クリスマス聖人戦争
@raralauss
第1話
豪華なことに、クリスマスツリーには電飾が施されていた。
しかし、ロビーの中央で煌々と輝くツリーに、道ゆく人々は一瞥すらくれない。
彼らは来る日も来る日も、身を削ってはひたすら仕事に邁進していた。
その目的はただひとつ、後世の歴史書に「勝利」の2文字を記させるためであった。
***
「マクローリン少佐、入室いたします」
「入れ」
海軍省の将官用個室。ひとりの若い士官は扉を開くと、部屋の主であるテイラー少将に敬礼した。
テイラーが軽く返礼すると、マクローリンはおもむろにカバンから書類を取り出した。
挨拶が簡素なのは、省はおろか、国全体で時間が足りないからである。
「閣下、空軍省に協力の承諾を取り付けました」
「よし。見せろ」
テイラーは書類を手に取ると、側から見たら読めているかすら怪しい速さで視線を左上から右下へと流していく。
最後に、赤い判が押されているのを確認すると、テイラーは満足そうに頷いた。
「クリスマスが待ち遠しいな」
まるでサンタクロースかのような微笑みをたたえるテイラーとは対照的に、マクローリンは若い顔を顰めていた。
「閣下。本当に実行するのですか?」
「そうだ。これで、戦友たちを救えるかもしれない」
「僭越ながら、正気とは思えません」
「海の向こうにいる戦友たちのためだ。あの憎いUボートどもをやっと、海の底に沈められる」
マクローリンはしばし沈黙すると、大声で具申した。
「しかし、サンタクロースを爆撃するのですよ!」
テイラーはため息をつくと、背もたれに寄りかかった。
テイラーたちの国は、危機に瀕していた。
大陸のちょっとした小競り合いから同盟が発動し、島国であるにもかかわらず、大陸の大戦争に巻き込まれてしまった。
戦争は史上類を見ないほどに激化し、陸上では機関銃や毒ガス、戦車が航空機が本格的に用いられ、陸軍省には官僚が膝をつくような損害報告が毎日届いていた。
「連中の新兵器、潜水艦・Uボート。これを撃破せねば大陸派遣軍は飢える。1日だけで何十隻という船が沈められている。我が軍の既存の艦隊では、一方的にやられてしまうだけだ」
「だからといって、聖者に爆弾を落とすのですか。あの『無償の愛の体現者』に、弓引くおつもりですか」
「…やむを得ない」
テイラーの顔は、嫌なことを思い出したかのように曇る。
20日前の話だった。
海軍は海中深くを潜航する潜水艦の捕捉に腐心していた。ソナーのような最新技術から漁船までを動員した目視捜索も実施したが、無情にも成果はなかった。
そして、とある参謀が冗談として、サンタクロースに潜水艦を探させよう、と言った。
テイラーはそれを、大真面目に検討した。
12月24日の夜、サンタクロースはどこからともなく現れて、子どもたちの枕元にプレゼントを残していく。
階級も性別も人種も無関係に贈り物を届ける彼は200年ほど前に列聖された。人を超えた存在である彼は史上初の「生ける聖人」として、今もなお人々の畏敬の対象となっている。
しかし、その正体も目的も皆目不明だ。たったひとりで、たった一晩のうちに、世界中の子どもたちへプレゼントを配る。明らかに物理法則を無視しているのだ。
移動手段は空を飛ぶトナカイとソリ。人智を超越した彼は「無償の愛の体現者」として、地上では天使のように扱われている。
彼はなにがあろうと、どこにいようと子どもにプレゼントを配る。炭鉱で生き埋めになった子どもにも、少年刑務所の奥深くに囚われた子どもにも、クリスマス・イブにプレゼントは届けられる。検証を行ったが、侵入経路は全くわからなかったらしい。
テイラーはこれを大いに利用するつもりだった。
「第一、成算はあるのでしょうか。潜水艦に子どもが乗船しているとは考えにくいです」
マクローリンの鋭い質問に、テイラーは堂々と答えた。
「統計学者によると、サンタは16歳までを子どもと認識するらしい。あの国の最低志願年齢は17歳だが、
マクローリンは諦めず抗弁する。
「しかし、サンタクロースに、聖人に向けて爆弾を落とすのですよ。万が一当たったり巻き込まれでもしたら。何より、サンタクロースが無傷でもこの事実は必ず宣伝に使われます」
「…名より実だ。今の我が軍に、余裕はない。裁きならば、首相と私が受けよう」
サンタクロースを爆撃する、というのは誇張だ。実際には、サンタクロースを目印に爆弾を投下する、だ。
まず、観測機やサーチライト、果てには天文台までもを動員してサンタクロースを捜索。発見次第、攻撃機と雷撃機を発進させ、サンタクロースを追尾。
サンタクロースが潜水艦内の子どもにプレゼントを届け、浮上した地点を目掛けて爆撃。これを、敵が全滅するか、こちらが限界を迎えるか、あるいはサンタクロースが死ぬまで続ける。
「ネックは、サンタクロースが本当に潜水艦にギフトを届けるか、だ。『無償の愛の体現者』ならば、我が軍の意図を察知したとき、みすみす潜水艦の位置を露呈させるかどうか。それのみが問題なのだ」
「地上への恩寵を踏み躙られたことに怒り、彼が航空隊に膺懲の一撃を加える可能性はお考えではありませんか。仮にそうなれば、パイロットたちは不名誉な戦死を遂げるのですよ」
「祈ろう。彼がちゃんと、仕事を果たすことを。贄は、私だ」
『Operation:The Happy Prince』
テイラーが用意したのは辞表ではなく、1発の弾を込めたレボルバーだった。
「クリスマスまでには家に帰す、と言ったのはこの私だからな」
“Judas Taylor”
テイラーはかつての部下から送られた拳銃の刻印をなぞった。
ロジャー。君は、ヴァルハラに行けたかい?
テイラーは心の中で、年季のこもった拳銃に話しかけた。
---
「ファルマス防空観測所より、サンタクロース発見の報告。海峡上空を北東へ100ノットで飛行中。現在、偵察機が追尾中」
「了解。待機中の航空隊にスクランブル発進命令。王子様をお迎えしろ」
戦時下。たとえそこが最前線であっても、人々の心に安らぎを与えるクリスマス。
その聖なる前夜祭に、夜を引き裂くような音を立てて、数えきれない軍用機が暗い海峡へ飛び立った。
「”Happy”ですか。かの王子は、自らの喜捨によってこそ、幸福だったのです」
「ならば私も対岸の友軍に、この身を捧げよう」
皮膚を焦がすような緊張に包まれた司令部。海軍省の地下に位置するここは、クリスマスに浮き足立つ世間とは完全に断絶していた。
他方はサンタクロースを祝い、他方ではサンタクロースを巻き込んで敵を爆破する。
大陸の戦争は、果てしない狂気を生んだ。人命の価値が、有史以来最も軽くなっている。
その狂気が、海を渡ってテイラーを侵したのだ。マクローリンはそう思った。
「Eyes On!航空隊の初陣がサンタクロースを捕捉。現在、海面へ降下中とのこと」
「了解。見失わないように頼む」
司令室の重い沈黙を破って、通信手が報告する。その額には汗が滲んでいる。
「どうやらサンタクロースは、我が海軍にもギフトをくれるみたいだな」
「サンタクロース、潜水!我が軍の潜水艦が展開している水域ではありません」
軍の潜水艦以外で海中を潜航できるものは存在しない。つまり、そこにはあの憎きUボートがいる。
ついに弓を引く準備は整ったのだ。
「航空隊は減速。縦隊を維持。賭けには勝った。あとは、パイロットたち次第だ」
「航空艦隊丸ごと破門でしょう」
「さらば、
正気を保つために放った軽口が虚空に消えてから数分。
ついにそのときが訪れた。
「サンタクロース、浮上!」
「各機、攻撃」
再び数分。
現地のことは無線でしかわからない。
通信の迅速性と、相互通信側の距離的隔絶は、技術革新の功罪と言える。
そこにいない人間の電話1本電信1通が何万という兵の命の行方を決めるのだ。
テイラーたちは一変してしまった戦争常識をこの数分で改めて痛感した。
「観測班より入電!水中爆発音を聴知。波形から見て、Uボートの撃沈に間違いないとのこと!」
一気に沸き立つ司令室。安堵の表情を浮かべたテイラーはすぐさま、冷静さを取り戻す。
「まだ始まりに過ぎん!第1陣は帰投して再度爆装。サンタクロースは絶対に見失うな」
これで、子どもたちへの義務を、大人としての責務を果たせる。
私たちの子どもたちにもう一度、故郷の土を踏ませる光明が見出せた。
私の身と引き換えてでも、絶対に。
これが、テイラーの為した「愛」であった。
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