第2話 理の開門

■ 1. 宣告という名の公開処刑


 翌朝、村の広場は重苦しい熱気に包まれていた。

 王都から派遣された鑑定士。白亜の法衣を纏ったその男が携える『真理の石板』は、個人のレベルだけでなく、潜在能力の限界値までを見通すと噂されている。


「次、アルト・ウォーカー」


 鑑定士の無機質な声が響く。

 アルトは泥に汚れた服のまま、震える足で石板の前へと進み出た。周囲には村中の人間が集まっている。その視線は、期待ではなく「欠陥品が公式に認定される瞬間」を待つ、残酷な好奇心に満ちていた。


「手を。……ふむ」


 鑑定士が石板に魔力を流し込む。

 数秒の沈黙の後、石板に浮かび上がったのは、昨日までと変わらぬ、しかしあまりに冷酷な「事実」であった。


『個体名:アルト・ウォーカー』

『レベル:1』

『身体能力値:全項目 E(最低値)』

『成長限界:レベル1(固定)』


 広場に、さざ波のような失笑と、それ以上の深い軽蔑が広がった。


「……限界が1だと? そんな人間、歴史上でも数人しかいないぞ」

「三年間も無駄な素振りをしていたのか。ただの『欠陥品』だったわけだ」


 鑑定士は溜息をつき、憐れみの欠片もない声で告げた。


「アルト。君の器は、最初から満たされている。……正確に言えば、君の『器』には蓋(ふた)がされているのだ。これ以上、どれほど経験値を注ごうとも、器から溢れるだけで成長することはない。君の三年間は、物理学的に無価値だったということだ」


 その言葉は、アルトの心臓を直接抉(えぐ)る刃であった。

 三年間、一千日の努力。手のひらのマメ、断裂した筋繊維、夜の闇で流した涙。その全てが「物理学的に無価値」だと、世界の理を司る者が断罪したのだ。



■ 2. 絶望の号砲


 アルトが石板から手を離し、逃げるように群衆を離れようとした、その時だった。


 ――ゴォォォォォォォォン……!


 村全体を揺るがすような、不吉な警鐘の音が響き渡った。

 それも、一回や二回ではない。連打される五回。


「五連打……『災害級』の警報か!?」


 ボルド団長の叫び声。広場は一瞬でパニックへと変わった。

 村の境界にある防壁を突き破り、土煙を上げて現れたのは、漆黒の剛毛を逆立てた巨大な影だった。


「レベル3……『黒銀の狼(シャドウ・ウルフ)』だと!? なぜこんな場所に!」


 体長四メートルを超える魔獣。その眼光は血の赤に染まり、放たれる殺気だけでレベル1の村人たちが次々と気絶していく。

 レベル3。それは人類最高位のレベル5に次ぐ、伝説の入り口に立つ災厄だ。レベル2のボルド団長ですら、その威圧感の前に一歩も動けなくなっていた。


「……っ、逃げろ! 全員、地下へ逃げろ!」


 ボルドが必死に叫ぶが、狼の速度はそれを許さない。

 狼が咆哮し、地面を蹴った。その狙いは、鑑定士を守ろうとして立ち塞がったリーニャへと向けられた。


「リーニャ! 避けろ!」


 アルトが叫ぶ。だが、リーニャのレベル2の動体視力をもってしても、レベル3の神速は「視認不能」な暴力となって迫っていた。

 死。

 彼女の細い喉元を、狼の牙が貫こうとしたその瞬間。


(……ああ、もう、いい……)


 アルトの中で、何かが、音を立てて壊れた。

 絶望。屈辱。無価値な三年間。

 それら全てが限界を超えた時、彼の視界の隅で三年間無視され続けてきた「小さな点滅」が、太陽のような輝きを放った。



■ 3. 理の破壊、ロゴス・マップ


(……見ろ。僕の三年間が、本当に無価値だったのか、証明してやる)


 アルトは、本能的にその輝きへと意識を叩きつけた。

 ――カチリ、と。

 世界の歯車が、本来あるべきではない方向に回り出す音がした。


『ステータス・マッピング・システム 強制起動』

『個体:アルト・ウォーカーの「理(ことわり)」を再定義します』

『保有ポイント:1,095pt』


 瞬間、時間は停止し、アルトの精神は宇宙のような広大な空間へと引き摺り込まれた。

 目の前に広がるのは、星座のように無数の光点が結ばれた巨大な設計図。

 ――『理の地図(ロゴス・マップ)』。


 本来、この世界のレベルシステムは「経験値を器に貯める」ことで自動的に成長を促す。だが、アルトの前に現れたのは、肉体の構造そのものを直接操作する「設計図」だった。


「全部だ……。全部、ここに注ぎ込め!!」


 アルトは震える意識で、図表の中心にある【筋力】【敏捷】【耐久】の定理節へ、三年間貯め込み続けた一千余りのポイントを、奔流として叩き込んだ。


『筋力:5 → 40(解放コスト 300pt)』

『敏捷:5 → 45(解放コスト 350pt)』

『耐久:5 → 30(解放コスト 250pt)』


 ――ドォォォォォォォォン!!


 次の瞬間、世界のシステムが悲鳴を上げた。

 アルトの肉体に刻まれた「成長限界:1」という蓋を、内部から爆発的に膨れ上がった「数値(じじつ)」が粉砕したのだ。


『警告:器の定義(限界レベル1)と実数値が著しく乖離しています』

『……定義エラー。……物理的実数値を優先。器の再構築(リビルド)を開始します』


「構うもんか……。今だけ動けば、それでいい!」



■ 4. 理外の一撃


 停止していた世界が、色を取り戻した。


「グルァァァッ!」


 狼の牙が、リーニャの喉元に届く寸前。

 

 ――ドォン!!


 一歩。

 アルトが踏み出したその一歩だけで、広場の石畳が円形に陥没し、凄まじい衝撃波が観衆を吹き飛ばした。

 次の瞬間、アルトは狼の懐に潜り込んでいた。レベル3の魔獣ですら、その反応速度は「停止」に等しい。

 

「……三年間、この軌道だけを、練習してきたんだ」


 アルトは腰に差していた錆びた鉄剣を抜かず、鞘のまま、逆手に握った。

 そして、三年間毎日一千回繰り返してきた、あの「垂直の振り抜き」を、全身のバネを使って叩き込んだ。


 ――ドォォォォォォォォォォン!!


 爆音。

 レベル3の魔獣の側頭部が、アルトの放った「異常な質量」の一撃によって、一瞬でひしゃげた。

 四メートルを超える狼の巨体が、まるでピンボールの玉のように吹き飛び、村の強固な外壁を三枚貫通して、森の奥深くまで消し飛んでいった。


 広場に訪れたのは、死のような静寂であった。


「……え……?」


 死を覚悟していたリーニャが、掠れた声を上げた。

 彼女の目の前に立っているのは、ボロボロの服を纏った、昨日までと変わらぬはずの少年。

 だが、彼の周囲の大気は、あまりの高熱で陽炎のように揺らめいている。


「……あ、あぁ……」


 鑑定士の男が、腰を抜かし、持っていた石板を地面に落とした。

 石板には、異常な点滅と共に、ありえない情報が書き換えられていく。


「レベル、3……? 限界突破……? 馬鹿な、限界は『1』だったはずだ! 理(システム)が壊されているというのか!?」



■ 5. 歪んだレベルアップ


 アルトは、全身から吹き出す汗を拭い、荒い呼吸を整えた。

 全身の骨が悲鳴を上げている。器を力ずくでこじ開け、レベル3相当の力を詰め込んだ代償だ。

 だが、脳裏にはこれまでにない、歪な通知が鳴り響いていた。


『格上(レベル3)の討伐により、膨大な経験値を検知』

『……器の強制拡張に成功。……レベルを実数値に同期します』


『レベルが上昇しました:1 → 3』


 それは神の加護による成長ではない。

 ロゴス・マップによって「肉体の事実」を書き換えた結果、世界の理がアルトの存在を無視できなくなり、後付けで数値を同期させた――いわば「世界に対する勝利」の結果であった。

 

「……ようやく、鳴ったか」


 アルトは、砕けた鉄剣の柄を握り締め、静かに笑った。

 成長限界レベル1。その絶望的な呪いを、少年は自身の積み上げた一千日の重みで粉砕した。

 

 もはや誰も、彼を「無価値」と呼ぶことはできない。

 そしてこの日、アルト・ウォーカーは世界の「異分子」として、理の外側へと踏み出したのである。

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