得られる糧に釣り合わない対価

 改札を出て10分も歩かないで着く10階建てのビル。その7階にあるオフィスへ向かうエレベータを待っている。


「おはよう。みなもとさん」


 背後から声をかけられて振り返ると上司の係長がいた。


「おはようございます、係長。」


 いつも適当にしか仕事を回さない係長に最低限の挨拶を返す。


「相変わらず愛想ないねぇ。源 瑠璃なんてキラキラした名前なんだし少しあやかったら良いのに。それにしても……」


 係長はにこりともしない私に嫌味ったらしく聞いてもいないのにまだぶつぶつと何かつぶやいている。

 自分で好きにつけた訳でもない名前になんか言われても知ったことじゃない。地味な自分には似つかわしくないと本人が一番わかっているのでほっといてほしい。


 デスクに着いて早々、係長から仕事が回ってくる。


「源さん、クラウドにデータ入れてあるから見やすい資料になるようにデータまとめといて。あと、昨日出してた資料の数値違うから直しといて。ちゃんと確認してよ」


 言われた資料を確認する。

 

 不明瞭なざっくりとした指示。数値が違うのだって渡してきた元データがそもそも違ってたからなのに人のせいみたいに言ってくれる。

 細かく聞いたら聞いたでそんな事もわからないのかという始末。ほんと面倒だわ。


 「はい」とだけ返事をして作業に戻る私に係長は「ちゃんと話聞いてるのかね?」とわざと聞こえる様な独り言を言っている。


 モニターに向かってキーボードを無心で打っていると同じ課のお局様のような先輩社員が私のデスクの横を通りかかった。


「あら、源さん。今日もすごい量の仕事みたいね。でも、あなた達の世代はいいわよね、仕事さえしてればいいんだから。私達があなたぐらいのころは上司のお茶入れたりしなくちゃいけなかったもの。楽になったものね。」


 顔に一層何かが堆積しているのではないかと思ってしまうほどの厚化粧は能面みたいだ。何も得るものがない小言を垂れ流すだけのお局に辟易しながら仕事を続けた。

 ”私が”間違ったデータを確認しているとやはり引用元の数値に誤りがあった。それを修正して係長に提出する。


「次は気を付けてよね」

「はい。すみません」


 そう言ってやり過ごしてしまった。

 思ってもいない謝罪の言葉が自分の口から出るごとに体の中に何かドロドロとしたものが溜まっていくような気持ちになる。


 終業時間の間際、あのお局がデスクの横を通り過ぎていく。


「お先に失礼しまーす」


 自分の仕事を私に押し付けておいて、自分はフライングで退社する。どうせ素肌は能面で隠れ意味もな……いや、経済活動にしか貢献しないエステとやらに行くと昼休みに大声で言っていた。


「源さんも残業なんてしないでちゃんと帰ってよ」

「はい。すみません」


 無能な誰かの埋め合わせをして、得られるものは少ないのに支払われるだけの対価。それに対してすみませんとしか言えない自分に心は擦り減るばかりだ。

 

 オフィスに残る社員も私だけになり頭上の蛍光灯しかついてない暗がりの中、デスクに置かれたスマホの画面が煌々と光っている。画面には母からの着信によって名前が表示されている。しばらく光っていたが応答しないスマホは留守番電話の表示に切り替わっていた。

 留守番電話のアプリが自動で起こした文字情報をみると、どうやら勝手に決めたお見合いのことを聞いているらしい。


 『今度のお見合いはちゃんとやってよ』

 

 こちらの話も聞かないで決めたお見合いなんて、正直どうでもいいと思いながら作業を続けた。


 気付けば終電の時間が近づいていた。完成した資料をクラウドに保存し、勤怠システムを入力して退社する。

 小走りで駅に向かい終電より前にホームに着いた。電光掲示板をチラリと見て少し電車を待つ。そこに入ってきた電車はいつもより不気味なほど空いているように思えた。

 早く家に帰りたい私は何も考えずにその空いている電車に乗り込んだ。

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