End of Fantasy(改稿版)

Lemon the cat

霧に消えた光。神話の終わり

なぜ、世界は魔法を捨てたのか?


かつて、円卓の時代。

人々は妖精と共に生き、神話の中にいた。


それが、どうして現実に堕ちたのか。


とある少年と少女だけが、その理由を知っていた。

今、その物語が幕を開ける。



・設定補足


【1話の舞台は5世紀のブリテン。

少年と少女が出会う前の、すでに閉じた世界の物語だ。

トゥリレアはかつてダーナ神族と暮らしていたが、幻想世界の衰退とともに仲間は聖域に身を隠す。逃げ遅れた彼女は、六年間ひとり孤独に逃亡を続けている。】


※幻想世界 = まだ神話が息づいていた過去世界のこと。



―――――――



瞳に太陽十字を宿す少女――トゥリレア。霧の島、

命を賭した逃亡の幕が上がる。



──ブリテン西方、霧に包まれた孤島。



「いたぞ!あの先だ! 逃がすなッ!!」


息が乱れる。足も、もう限界だった。

霧の島は、白い壁に閉ざされたようだった。太陽の光も届かず、世界と私を隔てている。潮の匂いと湿った風が鼻をつく。


霧に包まれた崖沿いの道。転びそうになりながらも、私は必死に走る。 重たい鉄靴の音が、背後から響く。


胸の奥がきゅっと締めつけられる。 指先で頬をそっとなぞり、震えを押さえる。


(大丈夫……私なら、逃げ切れる。いつもの事だ)


崖の縁で立ち止まった瞬間、私は深呼吸をした。

単に逃げるだけじゃない、正しいと信じる道を選ぶために——誇りを胸に、再び走り出す。


止まるわけにはいかない。

捕まれば、何が待っているか……私はよく知っている。


足音に合わせて、金の髪が肩にかかる。

だが、振り返る余裕などない。意志だけが、私を支えていた。


「まったく、何が神族だ。今やネズミも同然じゃねえか」

「売れば金になるぞ。特に女はなぁ」


やめて。そんな言葉、聞きたくない。


唇を噛む。絶対に捕まるわけにはいかない。

この六年間、"私だけ"が生き延びてきた。


(お願い……もう少しだけ……足を……!)


悔しさと恐怖、すべてを胸に押し込める。

誰にも屈したくはない。それが、私が私たる所以だからだ。


それでも……世界は冷酷で、私の意思とは無関係に足は動かなくなる。 ブリテン兵の足音が、すぐそこまで迫っていた。


「っ……!」


私の瞳は、虚を見つめていた。

そして、覚悟を決めるように、そっと瞳を閉じた。



(―――ケルトの神よ……どうか、お許しください―――)



深く息を吸い、震える指で自らの瞳に触れる。


すると……地を覆っていた枯葉が、不意に舞い上がる。

風が吹き、落ち葉が渦を描く。


澄んだ青の瞳に、不思議な紋様が浮かぶ。

十字架と、薄い円。


【 心霊より授かりし、陽の力 】


この世に出たときから、それは私と共にあった。

私に残された、ただひとつの名。


……その名は、『トゥリレア・ロア・エスカ』


日輪のような光が、霧の中へとにじんでいく――


けれど、


その光を破裂音が打ち消した。


「――ッ!」


何かが額をかすめ、熱が一筋、頬を裂く。私の視界が、白に染まっていく。


ブリテンの持つ、異能兵器――

この世界を分断した……、鉛を吐く筒状の武器。

通称「神の鉄槍」。


私は指先に針を刺し、境界にある意識を繋ぎとめる。 火薬の匂いが鼻をつく。仲間の命を奪ってきた、あの匂いだ。


「弾がかすっただけで、これかよ……さすが、神族のお嬢様だな」


兵士たちの手が私を掴む。腕も脚も、力が入らない。


でもその時だった。森の奥から低い唸り声が響いた。


「……獣か?」

「な、なんだ……?」


風が吹き、枯葉が渦を描く。

その下から現れたのは、苔と鱗に覆われた巨体――竜……いや、"竜だったもの"。


「ゾンビ……竜の、ゾンビか!?」

「うわぁぁぁ………!?」


竜はゆっくり首を振り、兵士たちを見下ろす。

咆哮と共に襲いかかる。高慢にふるまっていた兵士たちは悲鳴を残し、霧の中へ消えた。

私は地面に投げ出され、泥と血に濡れる。


(……だ、……さ……様……)


薄れゆく意識の中、私は探していた"主の名"を口にした。


かつて神族を滅ぼそうとした竜族が、私を助けるわけがない。

でも、死を覚悟することはまだとてもできなかった。


私はまだ、生きたい。こんなところで、死にたくない。


……皆に、会うまでは……。


そのときだった。私の目の前に、その巨体と、鋭い竜の牙があった。


(……?)


ぼやけた視界の中に、腐竜の濁った瞳が映っていた。でも……それはどこか、悲しそうな視線にも見えた。


(正気、なのだろうか?)


私は最後に、そう思った。その瞳に映るのは、悲しそうな竜の視線。なぜだか、視界の端が滲んだ。




パンッ、パン……!




何度も聞いた、あの不吉な音が連続して響いた。

竜のうめき声。 続いて、地面を叩く重たい音……、彼の生涯が今、終わりを迎えたのだ。

かつての宿敵。それでも私は、どうしようもなく、揺らいでいた。


彼が、なぜ最後……あんな瞳をしていたのか。

ようやく、わかった気がした。終わりゆく幻想。敵も味方もない。

きっと……ここで終わっていく、"同志"だから。


私たちは――衰退した世界の、敗者なんだ。


そのとき。


兵士たちの声が聞こえた。


「ったく……手こずらせやがって」


兵士たちの声が近づく。 足音が迫る。


(……あぁ……)


今日まで、数多の死地を切り抜け、ひとりで生き延びてきた。

それだけは、確かだった。 でも、今度は違う。

もう……みえていた。どう足掻いても届かない未来が、静かに迫っていることを。



怖い、よ……。誰か、お願い――



ひとりになっても、強く生きてきた。

でも、ここまで震えが止まらなくなったのは、初めてだった。

その瞬間、私は魂まで冷たく凍てついた。



(……すけて)



冷たい空気の中、背後で兵士たちの笑い声が響いた。


鉄の匂い、地面に押し付けられる感触……。


誰かの手が、乱暴に私の腕を掴んだ。



救いなど、存在しない。

それが、この世界の現実だった。



……それでも私は、願わずにはいられなかった。


夢見る騎士の世迷言が、いつかどこかに届くようにと。


その日、祈りの届かぬ世界で、


幻想の扉が静かに閉じた。





鳴るはずのない鐘の音に、



私はいつまでも……耳を澄ませていた――――

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