第14話 敗者の価値、勝者の理論
ハンター管理局東京支部のロビーは、独特の熱気に包まれていた。
正面の巨大な電光掲示板には、関東近郊のダンジョン発生状況や、クランによる討伐速報がリアルタイムで流れている。
受付カウンターには長蛇の列ができ、魔石の換金を行う者、新たなライセンスの発行を待つ者でごった返している。
成功者たちの装備は輝いている。
最新素材のアーマー、魔力が付与された武器。彼らの周りには自信と余裕が漂い、自然と人が集まっている。
対照的に、ロビーの隅――通称「掃き溜め」と呼ばれるエリアには、どんよりとした空気が沈殿していた。
装備はボロボロ、目は死んでいる。
日銭を稼ぐために安い依頼を探す、数字の低いハンターたちだ。
僕はその「掃き溜め」の方へと足を向けた。
喧騒の中に、聞き覚えのある怯えた声が混じっているのを見つけたからだ。
「た、頼みます! 今回だけでいいんです! 荷物持ちでも、囮でも何でもやりますから!」
柱の陰で、小柄な男が、二人組のハンターに頭を下げていた。
安っぽい布の服に、使い古された皮の鞄。
痩せた身体に、黒縁の眼鏡。
記憶にある姿よりもさらにやつれているが、間違いない。三浦だ。
「あぁ? しつけぇな手前。お前みたいな『不発弾』を入れる枠なんてねえんだよ」
「前回もビビって小便漏らしたらしいじゃねえか。縁起が悪ぃんだよ、あっち行け」
二人組のハンターは、汚いものを見るような目で三浦を突き飛ばした。
三浦は無様に床に転がるが、すぐに這いつくばって懇願する。
「お願いします……! 今月、どうしても金が必要なんです……! 妹の入院費が……親父の借金が……!」
「知らねえよ! テメェの家の事情なんか!」
男の一人が、三浦の肩を蹴り飛ばした。
ドカッ、という鈍い音。
周囲のハンターたちもチラリと視線を向けるが、すぐに興味を失って目を逸らす。
こんな光景は、ここでは日常茶飯事だからだ。
弱者が搾取され、排除される。それがハンターの世界の縮図だ。
「うぅ……くそっ、なんで……」
三浦は床に突っ伏したまま、嗚咽を漏らしていた。
眼鏡が外れ、床に落ちている。
惨めだ。
見るに堪えない。
だが、僕の心は冷え切っていた。
同情はない。あるのは「値踏み」をする冷徹な計算だけだ。
(精神状態は最悪。装備も貧弱。だが、金への執着は本物だ)
借金と家族。
逃げられない理由がある人間は、裏切らない。
いや、裏切る余裕がないのだ。
プライドを捨てて地べたを這いつくばれる今の彼なら、僕の提示する条件に飛びつくだろう。
二人組のハンターが去っていくのを見届けてから、僕はゆっくりと三浦に近づいた。
「……眼鏡、落ちてますよ」
僕は足元に落ちていた黒縁眼鏡を拾い上げ、差し出した。
三浦がビクリと肩を震わせ、恐る恐る顔を上げる。
涙と鼻水で汚れた顔。
彼は僕の顔を見ると、わずかに目を見開いた。
「あ……あなたは……?」
「以前、一度だけ同じ臨時パーティになりましたね。覚えていませんか?」
「え、あ……朝霧、さん……?」
どうやら覚えていたらしい。
彼は慌てて眼鏡を受け取り、震える手でかけ直した。
そしてすぐに、卑屈な笑みを浮かべて立ち上がった。
「す、すみません、みっともないところを……。その、朝霧さんも、お仕事探しですか? 僕なんかで良ければ、何か手伝いますよ? ポーションの買い出しとか……」
必死だ。
ランク12の僕を相手にしても、何か仕事にありつこうとしている。
僕は周囲を見回し、人の少ない自販機コーナーの方へ顎をしゃくった。
「少し、話せますか。仕事の話があります」
「えっ……!?」
三浦の顔色がぱっと明るくなる。
地獄に垂れた蜘蛛の糸に見えただろうか。
あながち間違いではない。ただし、その糸の先が天国に繋がっている保証はないが。
自販機コーナーのベンチに座ると、僕は単刀直入に切り出した。
「単発の依頼です。役割は『荷物持ち(ポーター)』。期間は一日。場所はCランクダンジョン『水没都市』」
「は、はい! 喜んで――え?」
三浦の返事は、途中で裏返った。
彼は数秒間固まり、それから聞き間違いではないかと耳を疑うような顔をした。
「え、あの……Cランク、ですか? 朝霧さん、確かランクは……」
「12です」
「で、ですよね!? Cランクなんて無理ですよ! 入口の魔物に瞬殺されますって! それに、パーティメンバーは? 最低でもランク30以上のアタッカーがいないと……」
「メンバーは僕と、三浦さん。二人だけです」
「ひぃっ!?」
三浦が悲鳴を上げてのけぞった。
狂人を見る目だ。まあ、正しい反応だろう。
ランク二桁前半のハンター二人が、Cランクダンジョンに潜る。自殺志願者以外の何物でもない。
「じ、冗談ですよね? 死にますよ!? 絶対に死にます!」
「死にませんよ。僕がいる限りは」
僕は淡々と告げた。
根拠のない自信ではない。事実だ。
もし死ぬような事態になれば、その前に僕が死んで「やり直す」だけだ。
三浦が死ぬルートは、僕が回避する。
「報酬は日当5万。それに加えて、ドロップ品の運搬量に応じて成果報酬を出します。うまくいけば、一日で10万以上にはなるでしょう」
「じゅ、10万……!?」
三浦が息を呑む。
低ランクハンターが一日で稼げる額ではない。
借金に追われる彼にとって、それは喉から手が出るほど欲しい金額のはずだ。
三浦の視線が揺れる。
恐怖と、欲望。二つの感情が天秤にかかっている。
「で、でも……やっぱり無理です。ランク11の僕じゃ、Cランクの空気にあてられただけで動けなくなります……命あっての物種ですし……」
「借金、あるんですよね」
僕は冷たく、急所を突いた。
「ッ……!?」
「さっき聞こえました。妹さんの医療費ですか? 金利の高いところから借りているなら、早く返さないと雪だるま式に増えるだけだ。……チマチマと安い荷物持ちをしていて、返せる額なんですか?」
三浦の顔から血の気が引いていく。
図星だ。
彼は拳を握りしめ、唇を噛んだ。
「そ、それは……でも……」
「僕はあなたに『戦え』とは言っていません。ただ、僕の後ろについてきて、ドロップ品をリュックに詰める。それだけでいいんです」
僕は畳み掛ける。
彼に「No」と言わせないためのロジックを積み上げる。
「魔物は僕が処理します。あなたは安全圏で待機していればいい。戦闘に参加する必要はないし、魔法を使う必要もない」
「ほ、本当に……戦わなくていいんですか? 僕、攻撃魔法は全然ダメで……」
「知っています。だから『荷物持ち』を頼んでいるんです」
僕はカバンから、昨日『柳商会』で換金した札束の一部――5万円を取り出し、テーブルの上に置いた。
「前金です。これを受け取れば、契約成立とみなします」
生々しい現金の束。
三浦の喉がゴクリと鳴る。
彼は震える手で、その封筒を見つめた。
恐怖よりも、現状の詰み(・・)具合への絶望が勝ったようだ。
彼はゆっくりと、その金に手を伸ばした。
「……本当に、荷物を持つだけでいいんですね?」
「ええ。ただし」
僕は彼の目を真っ直ぐに見据え、声のトーンを落とした。
「ダンジョン内で見たこと、聞いたこと。その一切を他言無用にしてもらいます。僕の戦闘スタイル、手に入れたアイテム、全てです。もし約束を破れば――」
言葉を切る。
具体的な罰則は言わない。その方が、恐怖が増すからだ。
三浦は青ざめた顔で、コクコクと首を縦に振った。
「わ、分かりました……! 誓います! 誰にも言いません!」
「契約成立ですね」
僕は短く告げ、立ち上がった。
「出発は一時間後。必要な装備は支給します。駅前の広場に集合してください」
三浦は金が入った封筒を大事そうに懐にしまい、逃げるように走り去っていった。
まずは借金の一部を返しに行くのか、それとも家族に連絡するのか。
僕はその後ろ姿を見送りながら、小さく息を吐いた。
最初の駒ピースが手に入った。
頼りない、ひび割れた駒だ。
だが、使い方次第では「クイーン」を守る「ポーン」くらいにはなるだろう。
僕はスマホを取り出し、Cランクダンジョン『水没都市』の情報を再確認する。
【難易度:Cランク上位】
【推奨平均ランク:30】
【特徴:水陸両用型の魔物『リザードマン』の群れが生息。地形変化あり】
【注意:水中からの奇襲、およびボス『サーペント』の毒攻撃】
(リザードマンか……)
推奨ランク30。今の僕のランク12から見れば格上だが、システム上の「レベル16」と実戦経験があれば渡り合える相手だ。
堅い鱗を持つ亜人型だが、関節という弱点はある。
『銀蜂』の貫通力が役に立つはずだ。
それに、今回の目的はレベリングだけではない。
三浦の「活用法」のテストも兼ねている。
彼の魔力。
攻撃に使えないその無駄に多いリソースを、どうやって「実利」に変換するか。
僕は近くのアウトドアショップに向かい、潜入に必要な物資を買い揃えた。
簡易酸素ボンベ、防水スプレー、ロープ、そして大容量の登山用リュック。
準備は整った。
あとは、実践あるのみだ。
一時間後。
駅前の広場には、新品のリュックを背負い、緊張でガチガチになった三浦の姿があった。
まるで処刑台に向かう囚人のようだ。
「お、おはようございます……朝霧さん」
「おはようございます。準備はいいですか」
「は、はい……たぶん……」
覚悟は決まっていないようだが、身体は来ている。それで十分だ。
僕たちは電車に乗り、千葉県湾岸部にあるダンジョンゲートへと向かった。
ゲート前には、管理局の職員が常駐している。
Cランクダンジョンともなれば、入場のチェックは厳しい。
だが、今の制度では「自己責任」の誓約書さえ書けば、ランク詐称(身の程知らずの挑戦)を止める権限は彼らにはない。
クラン必須化の議論は進んでいるが、まだ施行前だ。今のうちに潜っておく必要がある。
「……あんたたち、本当に二人で行くのか? このゲートはCランクだぞ」
受付の職員が、僕たちのライセンスカードを見て顔をしかめた。
ランク12と、ランク11。
自殺行為に見えるだろう。
「問題ありません。探索ではなく、浅層での素材回収が目的ですので」
僕はスラスラと嘘をつき、誓約書にサインをした。
横で三浦が震えながらサインをする。字がミミズのようにのたくっている。
「……死んでも知らんぞ。遺体の回収も有料だからな」
職員は呆れながらゲートを開放した。
青白い光の渦が、口を開けて待っている。
潮の匂いがした。
『水没都市』特有の、湿ったカビと海水の混じった臭気だ。
「行きましょう」
僕は三浦に声をかけ、躊躇なく光の中へと足を踏み入れた。
視界が白く染まる。
転移の浮遊感。
そして、次に足がついた時、そこは崩壊したビルの残骸が海面に突き出た、灰色の廃墟だった。
バシャリ。
足元を波が洗う。
「ひっ……!」
三浦が小さな悲鳴を上げた。
水面から、ギョロリとした爬虫類の目が、こちらを無数に見つめていたからだ。
歓迎会のお出ましだ。
僕はコートを翻し、両手の剣を抜いた。
「仕事の時間です、三浦さん。……しっかりと、見ていてくださいよ」
死に戻りハンターの英雄譚(サーガ) ~「ロード」であらゆるジョブとスキルを継承した俺は、いつの間にか人類最後の希望になっていた~ ころん @koronmarble
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