第12話 蹂躙、あるいは教育的指導

「――おい」


 背後からかけられたその声は、僕の記憶にある音声データと完全に一致していた。

 声のトーン、間合い、そして含まれている冷ややかな侮蔑の色まで、1ミクロンの狂いもない。


 僕は足を止め、ゆっくりと振り返る。


 そこには、シルバーグレーの戦闘服を着た優男――『銀百合』の幹部候補、西条が立っていた。

 その左右には大柄な戦士と、痩せぎすな魔導士。

 配置も、装備も、彼らが浮かべているニヤニヤとした笑みも、すべてが数分前の「死ぬ前」と同じだ。


 ただ一つ違うのは、僕の心持ちだけだ。

 恐怖はない。かといって、万能感に酔っているわけでもない。

 あるのは、これから起こる事象への「対処」を考える、冷めた思考だけだった。


 「……何か用ですか?」


 僕は事務的に答えた。

 西条が微かに眉をひそめる。僕の反応が、彼の予想した「ビビる初心者」のものではなかったからだろう。


 「……ふん。用があるから声をかけたんだ」


 西条は顎をしゃくり、大男に合図を送る。

 ここまでは同じ進行(シナリオ)。

 大男がドカドカと歩み寄り、僕の肩を掴もうと腕を伸ばしてくる。


 「おい、確認し――」


 その手が僕の肩に触れる、コンマ1秒前。

 僕は無言で、ブーツの隠しポケットから抜いたサバイバルナイフを突き出した。


 「――ッ!?」


 大男が目を見開き、反射的に手を引っ込める。

 その鼻先数センチの空間を、錆びついた刃が通過した。


 「あぶねえなッ! 何しやがる!」


 大男が激昂して怒鳴る。

 僕はナイフをクルリと回し、逆手に持ち直しながら淡々と告げた。


 「いきなり触らないでください。防衛本能が働きます」


 「てめぇ……!」


 空気が凍りつく。

 西条の目がスッと細められた。


 「……ほう。威勢がいいな」


 彼は軽く拍手しながら歩み出てきた。


 「君か。ここのマイン・オーガを狩ったのは」


 「そうですが」


 「そうですが、じゃないだろう」


 殺気が膨れ上がる。

 周囲の温度が下がる感覚。

 前回はこれに圧(お)されて思考が鈍り、身体が竦んだ。

 だが、今の僕にはただの情報としてしか認識されない。

 相手のランクは40台。人数は3人。こちらはレベル16のステータスを持つ双剣士。

 条件は厳しいが、相手の手の内は全て知っている。


 「ここは『銀百合』の管理下だ。それを掠め取った詫び料として、その魔石と装備を置いていけ」


 セリフも同じ。

 僕は小さく息を吐いた。

 彼らと議論する時間は無駄だ。彼らの論理は「力が正義」という一点のみ。

 ならば、その論理に従って対処するしかない。


 「断る」


 「なら、力ずくで奪うまでだ。事故に見せかけてな」


 西条が魔法剣を抜く。

 青白い魔力が刀身に宿る。

 同時に、大男が背中の大剣に手をかけ、後ろの魔導士が杖を構える。


 3対1。

 数分前、僕を殺した布陣。


 僕は右手に『守護者の牙剣』を、左手に錆びたサバイバルナイフを構えた。

 不格好な二刀流。

 だが、構えた瞬間にジョブ『双剣士』の補正が働き、身体の重心が最適化される。

 左右の腕が、それぞれ別の生き物のように独立して駆動する感覚。


 「――殺せ!」


 西条の号令と同時に、戦いが始まった。


 最初に動いたのは大男だ。

 怒りに任せて大剣を振りかぶり、真っ向から叩き潰そうとしてくる。


(軌道A。速度、遅い)


 僕は避けない。

 右手の『守護者の牙剣』を、振り下ろされる大剣の側面に合わせる。


 ガギィンッ!!


 力で対抗するのではない。力のベクトルを横に逸らす「受け流し(パリィ)」。

 『クロス・パリィ』の技術が、脳内にあるイメージ通りに身体を動かす。

 大剣が地面に突き刺さる。

 大男の身体が前のめりになり、ガラ空きの脇腹が晒される。


 前回、僕が短剣で刺された場所だ。


 「……」


 無言のまま、左手の錆びたナイフを突き入れた。


 「ガアッ!? ぐ、あああぁぁ!?」


 深さは3センチ。致命傷ではないが、運動機能を奪うには十分な深さ。

 大男が悲鳴を上げて膝をつく。

 一人、無力化。


 「なっ……一撃だと!?」


 後ろで魔導士が叫ぶ。

 彼は慌てて詠唱を始めた。


 「『炎よ、集いて槍とな――』」


 僕は大男の巨体を盾にするように動きながら、足元の石ころを蹴り上げた。

 狙いは正確に、魔導士の口元。


 「ぶべっ!?」


 石が直撃し、詠唱が中断される。

 魔法使いが集中力を切らせば、ただの的だ。

 後で処理すればいい。


 残るは一人。


 「チッ、役立たずどもが!」


 西条が舌打ちし、魔法剣を構えて突っ込んできた。

 速い。

 腐ってもランク40台。身体能力は僕より上だ。

 レイピアのような細身の剣から繰り出される高速の突き。


 シュッ、シュッ、シュッ!


 鋭い刺突が、僕の喉、心臓、眉間を正確に狙ってくる。

 前回はこれに反応しきれず、防戦一方で削り殺された。

 だが、今は「視えて」いる。

 一度体験した攻撃パターン。そして、それを捌くための二本の刃。


 キン、キン、キキンッ!


 火花が散る。

 右手の牙剣で重い一撃を弾き、左手の錆びたナイフで細かい追撃を絡め取る。

 感情はない。

 ただ、迫りくる死の点を線で結び、消去していくだけの作業。


 「バカな……! なぜ僕の剣が見切れる!? 貴様、本当にランク12か!?」


 西条の顔から余裕が消え、焦燥が浮かぶ。

 彼はバックステップで距離を取り、左手を前に突き出した。


 「調子に乗るなよ! 『魔法障壁(シールド)』!」


 展開される不可視の盾。

 前回、僕の敗北の決定打となった防御魔法。

 彼はこの盾で僕の攻撃を防ぎ、その隙にカウンターを叩き込むつもりだ。


 「終わりだ、野良犬!」


 西条が盾を構えたまま突進してくる。

 片手武器の攻撃力では、この障壁は破れない――そう判断しているのだろう。


 正しい判断だ。一本なら。

 だが、計算が狂っている。

 僕には今、犠牲にできる刃がある。


 「【連撃(コンボ)・双牙】」


 僕は小さくスキル名を呟き、踏み込んだ。


 一撃目。

 左手の錆びたナイフを、思い切り障壁に叩きつける。


 ガィィンッ!!


 悲鳴のような金属音。

 安物のナイフは、魔法障壁の硬度に耐えきれず、真ん中からへし折れた。


 「ハハッ! 武器が壊れたぞ!」


 西条が叫ぶ。

 だが、その表情が凍りつくのに時間はかからなかった。

 ナイフが折れるほどの衝撃を受けて、魔法障壁の表面に、蜘蛛の巣のような亀裂が走っていたからだ。


 障壁の耐久値を、左手の武器一本と引き換えに強制的に削り取った。

 その結果生じた、わずかな硬直。

 そして、障壁の亀裂。


 そこへ、本命の右手を走らせる。


 「……砕けろ」


 黒き『守護者の牙剣』が、赤黒い魔力の光を纏って突き出される。

 狙うは亀裂の一点。


 パリィィィンッ!!


 ガラスが割れるような音と共に、西条の絶対防御が粉砕された。

 魔力の欠片がキラキラと舞う中、西条の無防備な胴体が晒される。


 「あ……」


 西条が間の抜けた声を漏らす。

 僕のダガーは、そのまま流れるような動作で、西条の右腕――剣を持っている手首を切り裂いた。


 「ギャアアアアッ!!」


 魔法剣が地面に落ちる。

 西条は手首を押さえて膝をついた。


 勝負あり。


 僕は折れたサバイバルナイフの柄を捨て、西条を見下ろした。

 彼は恐怖に顔を歪め、後ずさりする。


 「ひ、ひぃ……! ま、待て! 話せば分かる! 我々は銀百合だぞ!? こんなことをしてただで済むと……」


 「……」


 僕は無言のまま、牙剣の切っ先を彼の喉元に突きつけた。

 西条がヒッと息を呑み、硬直する。


 殺すべきか。

 『復讐者』のジョブを選んでいれば、迷わず首を刎ねていただろう。

 だが、今の僕にとって彼はもう「障害」ではない。

 ここで殺して殺人犯として追われるリスクと、生かして情報を持ち帰らせるリスク。

 天秤にかける。


 「……殺しはしない」


 僕は短く告げた。

 西条の顔に安堵の色が浮かぶ。

 だが、僕は続けて彼の懐に手を伸ばした。


 「あ、おい、何をする!」


 「損害賠償だ」


 僕は彼が持っていたマジックバッグを奪い取った。

 中には、彼らが今日狩った魔石や素材が入っている。

 そして。


 僕は地面に落ちていた、西条の『魔法剣』を拾い上げた。


 「か、返しやがれ! それは特注品だぞ! 100万はくだらない……!」


 「いい値段だ。僕のナイフを壊した代償には十分だろう」


 僕は魔法剣を軽く振った。

 重心のバランスがいい。魔力の通りも悪くない。

 『守護者の牙剣』には劣るが、サブウェポンとしては十分すぎる性能だ。


 「慰謝料として貰っておく」


 僕は魔法剣を左手に持ち、右手の牙剣と合わせて腰に納めた。

 黒い短剣と、銀のレイピア。

 歪な組み合わせだが、戦力としては大幅な強化だ。


 「ふざけるな! 銀百合が黙ってないぞ! 絶対に殺してやる!」


 西条が涙目で喚く。

 その言葉を聞いても、僕の心は波立たなかった。

 ただの事実として受け止める。

 彼らはまた来るだろう。次はもっと大人数で。


 僕は屈み込み、西条の目を見て告げた。


 「次に来る時は、もっとマシな準備をしてこい。返り討ちにする手間が省ける」


 脅しではない。事実の通告だ。

 僕は立ち上がり、大男と魔導士を一瞥する。

 彼らは戦意を喪失し、震えているだけだった。


 僕は背を向け、歩き出した。


 広場を抜け、駅へと向かう雑踏に紛れる。

 すれ違う人々は、誰も気に留めない。

 ただ一人、ダンジョン帰りのハンターが歩いているだけだ。


 路地裏に入り、人目がなくなったところで小さく息を吐いた。

 意識を集中させ、頭の中で「ステータス」と念じる。

 瞬時に、視界の端に半透明のウィンドウが浮かび上がった。


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【名前】 朝霧 透

【レベル】 16

【ジョブ】 双剣士(デュアル・ブレイダー)、暗殺者(アサシン)


【装備】

・守護者の牙剣

・魔法剣『銀蜂』(New!)

・黒影のコート


【スキル】

・ロード(死に戻り)

・気配遮断 Lv.2

・構造看破

・瞬発強化

・連撃

・クロス・パリィ

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 無機質な数値の羅列。

 強くなった実感はある。だが、まだ足りない。

 今回の勝因は「ロード」による情報アドバンテージがあったからだ。

 初見で格上に勝つには、まだ基礎能力が不足している。


 「……帰ろう」


 僕はウィンドウを閉じ、家路を急いだ。

 今日は長い一日だった。

 まずは身体を休め、明日からの効率的なレベリング計画を立てる必要がある。

 感情に溺れる暇はない。

 この世界で生き残るために、僕は淡々と、やるべきことを積み重ねるだけだ。

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