第7話 数値の暴力

 視界が、反転した。

 天井だと思っていた場所が床になり、床が壁になる。

 平衡感覚が消失し、冷たい泥の中に沈んでいくような浮遊感だけが残った。


 痛みはなかった。

 直前まで全身を駆け巡っていた、背骨が砕け内臓が破裂する激痛は、嘘のように消え去っていた。

 あるのは、絶対的な「無」と、暗闇の中に浮かぶ青白い光だけだ。


 ――ラン終了。

 ――評価を開始します。


 無機質な文字列が、僕の意識のスクリーンに流れる。

 スマホの画面じゃない。僕の魂そのものに刻み込まれるようなシステムログだ。


【死亡ログ】

原因:圧殺

部位:全身粉砕(即死)


【ラン終了ログ】

終了理由:死亡

総合評価:C


内訳:

・討伐成果:あり(異界獣・装甲種/二頭型)

 ※ランク格差討伐を確認。

・貢献行動:開扉/身代わり

・死亡要因:パーティによる囮指定(裏切り)


【報酬】

・獲得経験値:4,500(装甲種撃破ボーナス含む)

・獲得コイン:3,000(装甲種撃破ボーナス含む)


 レベルが上がった音がした。

 ファンファーレも何もない。ただ、身体の奥底で何かが「書き換わる」乾いた音だ。

 魂の器が無理やり広げられ、そこに焼けるような力が注ぎ込まれていく。


【レベルアップ:Lv2 → Lv10】

【基礎身体能力が大幅に向上しました】

【コイン残高:3,070】


 意識の中で、僕は叫び出しそうだった。

 悔しい。怖い。痛い。

 死ぬ瞬間の、あの虫けらのように潰された感覚が消えない。

 二階堂たちのニヤついた顔。梶が投げた小瓶。三浦の絶叫。


 システムは分かっていたのだ。

 僕が前の世界であの装甲種を倒した実績も、今回あいつらが僕らを囮にしたことも。

 全てを数値に変えて、突きつけてくる。


(力が……要る……)


 僕は必死に思考を紡いだ。

 復讐したいとか、そんな高尚なものじゃない。

 ただ、このまま終わりたくない。

 あんなクズたちに笑われて、使い捨てられて死ぬなんて、絶対に嫌だ。

 生き残るために、あの化け物(ガーディアン)を殺せる武器が必要だ。

 そして、二度と誰にも「ゴミ」扱いされないための、圧倒的な力が。


 思考に応えるように、ログが展開する。

 ショップ画面だ。死の間際にだけ開く、魂の交換所。

 装甲種を倒した報酬のおかげで、コインの桁が跳ね上がっている。


【交換可能なジョブ/スキル】

・ジョブ『見習い盗賊(シーフ)』:消費150コイン

 <補正:敏捷小アップ/スキル:気配遮断Lv1>

・スキル『投擲Lv1』:消費50コイン

・スキル『構造看破(ウィークポイント)』:消費1,500コイン

 ※装甲種撃破により解放


 『構造看破』。

 その文字に目が吸い寄せられた。

 説明文にはこうある。

 <対象の重心、装甲の継ぎ目、可動域の隙間を視覚的に強調する>


 これだ。

 あの時、装甲種の牙を避けた時に感じた「違和感」。それをスキルとして固定化するものだ。

 そして、その弱点を突くためには、敵に気づかれずに近づく技術がいる。

 僕は迷わず『見習い盗賊』を選んだ。


『スキル【構造看破】を習得しました』

『ジョブ【見習い盗賊】を獲得しました』


 その瞬間だった。

 ログが激しく点滅し、ノイズのような音が響いた。


『――適性を確認』

『既存ジョブ【見習い走者】+ 新規ジョブ【見習い盗賊】』

『統合条件:敏捷値要件をクリア』

『ジョブ統合を開始します……』


(え? 何だ?)


 聞いたことのないアナウンス。

 走者(ランナー)と盗賊(シーフ)。逃げ足の速さと、隠密性。

 二つの下級職が混ざり合い、溶け合い――新たな文字を形作る。


『ジョブランクアップ!』

『上位ジョブ【暗殺者(アサシン)】へと昇格しました』

 <補正:敏捷大アップ/致命撃率大アップ>

 <固有スキル:急所特効>


 震えが走った。

 下級職の組み合わせで、上位職へのルートが開いたのか。

 「走る」ことと「盗む」こと。下級だと思われていた技術が組み合わさって、上級の「殺し」のジョブに化けたのだ。

 これこそが、僕の生きる道なのかな。


 さらに、残ったコインでスキルを追加する。


『スキル【気配遮断Lv1】を習得しました』

『スキル【投擲Lv1】を習得しました』

『残高:1,370コイン』


 データが身体に馴染んでいく。

 筋肉の質が、神経の伝達速度が、作り変えられていく感覚。

 どこを突けば生物は死ぬのか。どう歩けば音が出ないのか。

 それらが「知識」ではなく「本能」として脳に焼き付いていく。

 怖い。自分が自分じゃなくなっていくようだ。

 でも、弱いまま死ぬよりはずっといい。


 そして、最後の選択肢が表示された。


【再挑戦(ロード)しますか?】

 YES / NO


 僕は、心の中で「YES」を選んだ。

 戻るぞ。

 もう二度と、あんな死に方はしない。


 ガバッ、と勢いよく上半身を起こした。

 世界が反転し、色を取り戻す。


「……っ、うぷっ、おぇぇッ!」


 激しい動悸と共に、胃の中身が逆流した。

 僕はアスファルトに手をつき、激しく嘔吐した。

 胃液の酸っぱい臭い。

 腹をさする。

 ない。穴がない。潰れてない。

 けれど、内臓が破裂した時の熱い感覚だけが、幻痛として残っている。


「おい、汚ねえな! 何やってんだお前!」


 頭上から罵声が降ってきた。

 見上げると、顔をしかめた男が立っていた。

 槍を持った痩せぎすの男、梶だ。

 その横には、派手なメイクの女、ユリ。そして、リーダーの二階堂。


「いきなり座り込んで吐きやがって。体調管理もできねえのか? これだからランク12は……」


 二階堂が不快そうに鼻を鳴らす。

 場所は、地下鉄A駅の3番出口前。

 時間は午前9時。集合した直後だ。


 手が震える。

 目の前にいるのは、数分前――いや、数時間後の未来で、僕を笑いながら見殺しにした連中だ。

 殴りかかりたい衝動と、本能的な恐怖が混ざり合って、指先が痺れている。

 まだ、怖い。

 暗殺者の力を手に入れても、染み付いた「弱者」の記憶は消えない。

 こいつらはランク31だ。まともにやり合えば、数の暴力で押し切られるかもしれない。


「……すみません。ちょっと、緊張してて」


 僕は口元を拭い、ふらりと立ち上がった。

 平静を装うのが精一杯だった。

 今はまだ、牙を隠せ。従順なフリをしろ。


「チッ、いいか? 足手まといになったら即置いていくからな」


 二階堂がテンプレ通りのセリフを吐く。

 隣を見ると、三浦が心配そうに僕の背中をさすってくれていた。


「朝霧くん、大丈夫……? 顔色が真っ青だよ。無理しないほうが……」


 三浦。

僕と一緒に囮にされ、下半身を潰されて死んだ青年。

 彼の手の温かさに、胸が締め付けられるようだった。

 こいつも、何も知らずに殺されたんだ。借金を返すために必死で、理不尽な悪意に踏みにじられて。


「……ありがとう、三浦くん。平気だよ」


 僕は努めて優しく答えた。

 声が震えないように必死だった。

 今回は絶対に死なせない。彼だけは、何としても生きて帰す。

 それは僕に残った、せめてもの人間としての意地だった。


 地下鉄の階段を降り、ダンジョンへの通用口を抜ける。

 カビと汚水の臭い。

 一度味わった不快感が、二度目は「予兆」として肌に張り付く。


 歩き出すと、違和感があった。

 身体が軽い。

 足音を立てずに歩くことが、呼吸をするように自然に行える。

 新しいスキル『気配遮断』の効果だ。意識しなくても、気配が薄くなる。

 そして、視界がおかしい。

 二階堂たちの背中を見ると、妙な「線」が見えた。

 鎧の隙間、首筋、膝の裏。

 赤いラインがぼんやりと浮かんでいる。

 『構造看破』。これが弱点か。


(……すごい)


 自分の身体じゃないみたいだ。

 これなら、戦える。

 でも、過信はするな。慎重に、臆病に、狡猾に立ち回るんだ。


 水路を進む。

 二階堂たちは相変わらず大声で雑談しながら歩いている。

 その背中を見つめながら、僕は拳を握りしめた。


 最初のポイント。

 水路の曲がり角。

 1周目では、ここで僕が叫んで奇襲を招き、石を蹴って二階堂を助けた。

 今回は、黙っていよう。

 彼らがどれだけ戦えるのか、冷静に見極める必要がある。


 バシャンッ!

 水面が爆発した。

 巨大ナメクジ、スラッジ・リーチの奇襲。


「うわあっ!?」


 二階堂が間抜けな声を上げて尻餅をつく。

 1周目と全く同じ反応だ。

 触手が振り上げられる。


「ひぃッ!」


 三浦が悲鳴を上げる。

 僕は三浦の腕を引き、とっさに後ろへ下がらせた。


 ベチャッ!

 触手が二階堂の肩を直撃した。

 プレートアーマーがひしゃげる鈍い音。


「ぎゃあっ!?」


 二階堂が悲鳴を上げて転がる。

 泥水にまみれ、無様にのたうち回るリーダー。


「リーダー!?」

「く、くそったれがぁぁ!!」


 二階堂は半狂乱で大剣を振り回した。

 運任せの一撃が、偶然リーチの急所に当たり、怪物は真っ二つになって沈黙した。


「はぁ、はぁ、はぁ……ッ! い、痛ぇ……!」


 二階堂が肩を押さえてうずくまる。

 鎧のおかげで骨折はしていないようだが、打撲は免れないだろう。


「おいテメェら!!」


 案の定、二階堂が僕らを睨みつけた。目は血走っている。


「なんでボーッとしてやがる! 荷物持ちなら盾になれよッ!」


「すみません……足がすくんで」


 僕は俯いて謝った。

 顔を見られたら、冷ややかな目つきがバレてしまうかもしれない。

 今はまだ、耐える時だ。


「チッ、使えねえゴミどもが……。次やったら殺すぞ」


 二階堂が毒づく。

 殺す、か。

 その言葉を聞いても、不思議と恐怖はなかった。

 ただ、胸の奥でどす黒い感情が静かに燃えているだけだ。


 僕らは進んだ。

 二階堂の負傷により、パーティの空気は最悪だった。

 梶とユリもピリピリしている。八つ当たりで小突かれる回数が増えたが、僕は無言で耐えた。

 三浦はずっと震えている。

 大丈夫だ、と目で合図を送る。


 そして、運命の場所に辿り着く。

 地図にないエリア。

 髑髏のマークが刻まれた、巨大な鉄扉。


「……レアエリアだ」


 二階堂が脂汗を浮かべた顔でニヤリと笑う。

 強欲な男だ。怪我をしているのに、お宝を目の前にすると判断力が鈍る。


「おい、お前ら。開けてこい」


 来た。

 死刑宣告。


「え……でも、二階堂さん、怪我が……」


 三浦がおずおずと言う。


「うるせえ! 俺の怪我を治す薬が入ってるかもしれねえだろ! さっさと行け!」


 梶が三浦を蹴ろうとする。

 その瞬間、僕は三浦の前にスッと出た。


「分かりました。僕が開けます」


「朝霧くん!?」


 三浦が驚いて僕を見る。


「へへ、最初からそうすりゃいいんだよ」


 梶が腰のポーチに手を伸ばす。

 知っている。あの中には『誘引剤(ルアー)』の入った小瓶がある。


 僕は三浦に耳打ちした。


「三浦くん、下がってて。扉が開いたら、絶対に動かないで。壁に張り付いて息を殺すんだ」


「え……?」


「いいから。僕を信じて」


 三浦の肩を強く握る。彼は僕の真剣な目を見て、コクコクと頷いて下がった。

 僕は扉の前に立つ。

 深呼吸。

 手のひらにじっとりと汗が滲む。

 怖い。

 スキルがあっても、レベルが上がっても、恐怖は消えない。

 あの扉の向こうには、僕を殺した怪物がいる。


 でも、やるしかない。

 僕はポケットに手を入れた。道端で拾った小石を握りしめる。

 鉄の取っ手に手をかけ、勢いよく蹴り開けた。


「グルァァァァァァァッ!!」


 鼓膜を破るような咆哮。

 扉の向こうから、赤黒い巨人が飛び出してくる。

 『守護者(ガーディアン)』オーガ・ジェネラル。


「ひっ!?」


 二階堂たちが腰を抜かす。

 パニックの中、梶が震える手でポーチから小瓶を取り出した。


「こ、こいつを食らえぇ!」


 僕に向かって投げようとする。

 来る。

 僕は懐から、小石を取り出した。

 【投擲Lv1】。

 狙うのは梶の手元。


 ビュッ!


 小石が空を切り、梶が瓶を投げようとした手首を直撃した。


「あだっ!?」


 梶の手から小瓶がすっぽ抜ける。

 瓶は放物線を描き――二階堂たちの足元で砕け散った。

 パリーンッ!

 強烈なフェロモン臭が、彼らの周りに充満する。


「な、なんだこれ!? 臭ぇ!!」


 二階堂が叫ぶ。

 守護者の赤い瞳が、ギロリと二階堂たちを捉えた。

 僕なんて目に入っていない。最高の餌の匂いがする方へ、一直線に突っ込んでいく。


「うわあああ来るなあああ!!」


 二階堂が大剣を構えるが、守護者の戦斧が一閃した。


 ドゴォォォン!!


 金属がひしゃげる音と共に、二階堂、梶、ユリの3人がまとめて吹き飛ばされた。

 壁に叩きつけられ、悲鳴を上げる暇もなく瓦礫の下に埋もれる。

 即死はしていない。高価な防具が命を繋いだようだ。だが、手足はあらぬ方向に曲がり、ピクリとも動かない。


「が、はっ……たす、けて……」


 二階堂が血泡を吹いて呻く。

 守護者は、ゆっくりと彼らに近づいていく。トドメを刺すために。

 巨大な背中が、僕の目の前に立ちはだかる。


(やるんだ……!)


 僕は恐怖をねじ伏せ、地面を蹴った。


 スキル【構造看破】、発動。

 世界の色が変わる。

 薄暗い地下水路の風景がグレーに沈み、守護者の肉体だけが赤く脈動する塊として浮かび上がる。

 筋肉の流れ、骨格のライン、そして――「継ぎ目」。

 幾重にも重なった甲殻の隙間に、糸のように細い光のラインが見える。

 あそこだ。


 僕は音もなく背後に迫る。

 【気配遮断】の効果で、守護者はまだ僕に気づいていない。

 だが、近づくにつれて凄まじい熱気と威圧感が肌を刺す。

 一撃でも触れれば、僕の身体なんて紙屑みたいに千切れるだろう。


 ビクリ、と守護者の肩が動いた。

 気づかれたか?

 いや、二階堂のうめき声に反応しただけだ。

 守護者が大斧を振り上げる。


 今だ!

 僕は跳躍した。

 狙うは首筋。

 だがその瞬間、守護者が予想外の動きを見せた。振り上げた大斧を、そのまま背後の空間――僕がいる場所へ向けて、予備動作なしで裏拳のように突き出したのだ。


「――ッ!?」


 本能的な勘。

 僕は空中で身体を捻り、紙一重で大斧の柄を回避した。

 ゴォンッ!

 風圧だけで吹き飛ばされそうになる。

 バレた。気配を消していても、殺気までは消せていなかったか。


「グオオオオオオッ!!」


 守護者が咆哮し、完全にターゲットを僕に切り替えた。

 二階堂たちへの興味を失い、目の前の小蝿を叩き潰そうと向き直る。

 速い。

 巨体に見合わない、異常な俊敏さ。

 横薙ぎの一閃が襲う。


 【瞬発強化】――最大出力!


 僕は地を這うようにスライディングし、刃の下を潜り抜けた。

 筋肉がブチブチと悲鳴を上げるのが聞こえる。

 構うものか。

 頭上の数センチを死が通り過ぎていく。

 髪の毛が数本、風圧で切れたのが分かった。

 心臓が破裂しそうだ。

 怖い。逃げたい。

 でも、ここで引けば三浦も死ぬ。僕も死ぬ。


 守護者が足を振り上げる。

 踏み潰し攻撃。

 単純だが、回避範囲が広い。

 逃げ場はない。壁際だ。


(見える……!)


 スローモーションのような世界。

 【構造看破】が、守護者の膝の皿の「隙間」を強烈に示している。

 踏み込む瞬間、関節には必ず負荷がかかる。


 僕は避けるのをやめた。

 逆に、踏み下ろされる足に向かって飛び込む。


「そこッ!!」


 サバイバルナイフを逆手に持ち、膝の裏側へ斬りつける。

 硬い。

 けど、通る!

 ブシュッ、と汚い血が噴き出す。

 腱を断ち切る感触。


「ガアアアアッ!?」


 守護者の体勢が崩れる。

 片膝をつく怪物。

 巨体が傾き、僕の目の前に「それ」が降りてきた。

 首筋。

 さっきまでは高すぎて届かなかった急所が、今、目の前にある。


 これが、最初で最後のチャンス。

 外せば死ぬ。

 浅くても死ぬ。


 僕は守護者の肩に足をかけ、駆け上がった。

 敵の身体を足場にする、捨て身の接近。

 守護者が僕を掴もうと巨大な手を伸ばしてくる。

 その指先が僕のジャケットを掠める。


 遅い。

 今の僕は、ただの『走者』じゃない。


 『暗殺者(アサシン)』だ。

 誰よりも速く、影よりも深く。


 光る点。

 甲殻と甲殻が重なる、わずか数ミリの空隙。

 そこに、僕の全ての重さと、速度と、殺意を込める。


「おおおおおおおッ!!」


 気合と共に、ナイフを突き立てる。

 スキル【急所特効】。

 サバイバルナイフの切っ先が、吸い込まれるように光る点へと突き刺さる。


 ズプッ。

 硬い軟骨をすり抜ける感触。

 その奥にある、生温かい神経の束。

 ナイフの刃が根元まで埋まり、脊髄を断断した。


「ガ、……ア……?」


 守護者の動きが凍りつく。

 僕を掴もうとしていた手が、空中でだらりと力を失った。

 赤い瞳から光が消えていく。

 巨体が揺らぎ、そして――


 ズシーンッ!


 地響きを立てて、その場に崩れ落ちた。

 舞い上がった土煙が、ゆっくりと晴れていく。

 僕は守護者の背中に乗ったまま、荒い息を吐いていた。

 手はまだナイフの柄を握りしめたままだ。指の感覚がない。全身が汗でぐっしょりと濡れている。


「はぁ、はぁ, はぁ……」


 やった。

 殺した。

 自分を殺した怪物を、自分の手で。

 生きてる。

 僕はまだ、生きてる。


 視界に、無機質なログが浮かび上がる。


【討伐記録:守護者(オーガ・ジェネラル)】

【評価ステータス:保存済み(次回のラン終了時に精算)】

【ドロップアイテム:守護者の大斧、守護者の甲殻片】


 そこには「お前の成果を記録した」という冷徹な事実だけがそこにある。

 だが、それでいい。

 この勝利は、僕が次に死んだ時のための力になる。


 僕はゆっくりとナイフを引き抜き、守護者の死体から降りた。

 足元には、守護者の手からこぼれ落ちた、巨大な大斧が転がっていた。

 そしてその向こうには――瓦礫に埋もれた3人の男女。


 二階堂たちが、信じられないものを見る目で僕を見上げている。


「あ、あ……」


 二階堂が震える声で何かを言おうとしている。

 恐怖と、困惑。

 自分たちが見下していた「ゴミ」が、自分たちを壊滅させた怪物を倒したのだ。

 それも、まぐれじゃない。圧倒的な速度と技術で、正面からねじ伏せた光景を目の当たりにして、言葉を失っている。


 僕は血振るいをして、ナイフを鞘に収めた。

 足がまだ震えている。吐き気がする。

 でも、ここで弱みを見せるわけにはいかない。

 やるしかないんだ。


 僕は呼吸を整え、ゆっくりと彼らに歩み寄った。

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