第6話 ランク12の就職活動と悪意の深淵

 僕は上着を羽織り、部屋を出た。

 向かう先は、駅裏の路地にある中古ハンターショップ『鉄屑屋』だ。


 自動ドアを手動でこじ開けると、鉄錆とオイルの匂いが鼻を突いた。

 店主の親父が、カウンターの奥からじろりと僕を睨む。


「いらっしゃい。……なんだ、冷やかしか?」


「武器を買いに来ました」


 僕はなけなしの全財産、五千円札を握りしめていた。

 研修で使った鉄パイプはもうない。それに、あんな鈍重な武器じゃ生き残れないことは、昨夜の装甲種戦で痛いほど思い知らされた。

 僕のジョブは『走者』だ。

 速さを殺さず、かつ決定打を与えられる武器が必要だった。


「予算は?」


「……五千円以内で」


 親父は鼻を鳴らし、顎で店の隅をしゃくった。

 そこには「ジャンク品」と書かれた木箱が無造作に置かれている。


「そこにあるのは死人の遺品か、廃業した奴の放出品だ。手入れはしてあるが、運はついてねえぞ」


 遺品。

 その言葉に背筋が寒くなるが、贅沢は言っていられない。僕は箱の中を漁った。

 刃こぼれした剣、凹んだ胸当て。どれもこれも、誰かの「敗北」の残骸だ。

 その中から、一本のサバイバルナイフを見つけた。

 刃渡りは20センチほど。グリップの樹脂は擦り減っているが、刃先だけは鋭く研ぎ直されている。


(これだ……)


 手に取ると、驚くほど軽かった。これなら全力疾走の邪魔にならない。

 レジへ持っていくと、親父は金をひったくるように受け取り、低い声で言った。


「坊主、一つ忠告だ。そのランクで武器に頼るなよ。ナイフ一本で怪物が殺せると思うな。お前の一番の武器は『足』だ。ヤバいと思ったら、プライドも何も捨てて逃げろ」


 心臓を見透かされたような気がした。

 僕は黙って頷き、ナイフを腰のベルトに装着した。

 これは戦うための武器じゃない。最後の最後に、自分を守るための御守りだ。


 午前9時。地下鉄A駅、3番出口。

 指定された場所には、すでに4人の男女が集まっていた。


「遅えぞ。お前が『トオル』か?」


 声をかけてきたのは、背中に大きな両手剣(クレイモア)を背負った大柄な男だ。

 新品のようなプレートアーマーが朝日を反射して輝いている。胸のバッジには『31』の数字。

 このパーティのリーダー、二階堂だ。


「すみません、朝霧透です。5分前には着いていたんですが、場所が分からなくて」


 僕は頭を下げて嘘をついた。

 変に反抗して目をつけられたくない。長いものには巻かれろ、それが弱者の処世術だ。


「チッ、これだからガキは。挨拶もできねえのか」


 二階堂の後ろで、派手なメイクをした女がクスクスと笑った。

 露出度の高いローブを羽織った、ランク24のヒーラー、ユリ。

 その隣には、槍を持った痩せぎすの男。ランク29のアタッカー、梶(かじ)。

 三人とも、明らかに僕を「世間知らずの子供」として見下した目をしている。


「で、そっちのビビってるのが三浦。ランクは11だそうだ」


 二階堂が顎で指したのは、僕の隣にいた青年だ。

 安っぽい布の服に、パンパンに膨らんだリュック。年齢は僕と同じくらいか。顔色は青白く、小動物みたいに震えている。


「よ、よろしくお願いします……三浦です……」


「よし、全員揃ったな。今回の仕事はDランクダンジョン『腐敗水路』の探索だ」


 二階堂がふんぞり返って宣言する。


「俺たちが前衛を張る。お前ら二人の仕事は荷物持ちと、雑用だ。俺たちの邪魔をするなよ? ランク10番台のゴミなんて、いてもいなくても変わらねえんだからな」


「きゃはは、本当よねー。足手まといになったら置いてくから」


 ユリが甲高い声で笑う。

 僕は黙って唇を噛んだ。

 悔しいが、これが現実だ。ランクの低い人間は、ここでは人間扱いされない。

 この3人は知り合い同士で、僕と三浦はただの数合わせ。使い捨ての「荷物持ち」だ。


 地下鉄の階段を降り、封鎖されたシャッターの脇にある通用口を抜ける。

 一歩足を踏み入れると、空気が変わった。

 カビと汚水、そして腐った肉のような臭いが混じった、ダンジョン特有の瘴気。


『Dランク・腐敗水路』


 薄暗い通路には、膝下くらいの深さまで汚水が溜まっていた。

 湿気が肌にまとわりつく。喉の奥に、鉄錆の味が蘇るようで気分が悪くなる。


「うぇ……臭い……」


 三浦が鼻をつまんで呻く。僕も胃の腑が縮む思いだった。

 怖い。

 一度「死」を知ってしまったせいで、暗闇のすべてが牙を剥いてくるように感じる。

 あの時のような、骨が砕ける音。肉が裂ける感触。それがまた、いつ襲ってくるか分からない。


 ――いや、違う。これは「恐怖」だけじゃない。


 視界が、妙にクリアだ。

 水面の揺らぎ、天井から垂れる水滴の波紋、壁の向こうの空気の流れ。

 Lv2になった身体の知覚補正が、環境情報を過剰なまでに脳に送り届けてくる。

 情報量が多すぎる。神経がやすりで削られるようだ。


(……何か、いる)


 前方、水路の曲がり角。

 水音が不自然に途切れている場所がある。

 肌が粟立つ。あの装甲種と対峙した時と同じ、捕食者の気配。


 だが、先頭の二階堂たちは気づいていない。

 大声で笑いながら、我が物顔で進んでいく。


「昨日のユリちゃんマジでエロかったよなー」

「ちょ、やめてよー! 仕事中でしょ!」

「へへ、ここ終わったら続きしようぜ」


 ……まずい。このままじゃ。

 こいつらが死ぬのは勝手だが、盾がいなくなれば、次に狙われるのは後ろにいる僕らだ。


「あ、あの!」


 僕は思わず声を上げた。


「何か、います! 角の先!」


「あぁ? なんだテメェ、急に」


 二階堂が不機嫌そうに振り返った、その瞬間だった。


 バシャンッ!

 水面が爆発し、黒い影が飛び出した。

 全長2メートルはある、巨大なナメクジのような軟体生物。Dランクモンスター『スラッジ・リーチ』だ。


「うわあっ!?」


 二階堂が情けない声を上げて尻餅をつく。

 完全な奇襲。

 リーチが太い触手を振り上げ、無防備な二階堂の頭上へと叩きつけようとする。


 死ぬ。

 二階堂が死んだら、陣形が崩壊する。そうすれば、僕らみたいな雑魚は一瞬で食い殺される。

 嫌だ。死にたくない!

 あんな痛みは、もう御免だ!


「伏せて!!」


 叫びながら、僕は咄嗟に足元の石を蹴った。

 狙ったわけじゃない。ただ無我夢中だった。

 けれど、カツン、と乾いた音が壁に反響し、リーチの注意が一瞬だけ逸れた。

 そのコンマ数秒の隙に、二階堂が無様に転がりながら触手を回避する。

 ドゴォン! と水面が激しく爆ぜ、汚水が僕らの顔にかかった。


「こ、この野郎ぉぉッ!」


 二階堂は顔を真っ赤にして立ち上がり、背中の大剣を引き抜いて振り回した。

 技術も何もない、恐怖に任せただけの乱暴な横薙ぎ。

 だが、腐ってもランク31。その筋力だけは本物だった。

 ブォン、という重い風切り音と共に、リーチの胴体が半ばから両断される。

 汚い体液を撒き散らして、怪物は沈黙した。


「はっ、はっ……! 見たか! これがランク31の力だ!」


 二階堂が肩で息をしながら叫ぶ。

 腰が引けていたくせに、終わった途端にこの態度だ。

 僕は心臓が早鐘を打っていた。助かった。首が繋がった。


「す、すごいです二階堂さん! 一撃だなんて!」


 ユリが黄色い声を上げて抱きつく。

 二階堂は「ふん」と鼻を鳴らし、ギロリと僕を睨んだ。


「おい朝霧! お前、急にデカい声出すんじゃねえよ! ビビらせやがって!」


「え……?」


 耳を疑った。

 僕が警告しなければ、今頃あんたは頭を潰されていたはずだ。石を蹴って注意を逸らしたのも僕だ。


「お前が叫んだせいで、敵が興奮して襲ってきたんだろうが! ったく、これだからガキは……状況判断もできねえのか」


「次やったら殺すぞ、テメェ。俺らを危険に晒すな」


 梶も槍の石突きで僕の肩を小突く。

 理不尽だ。あまりにも理不尽だ。

 けれど、僕は唇を噛んで耐えるしかなかった。

 ここで言い返して、彼らの機嫌を損ねて「置き去り」にされたら、僕の実力では生きて帰れないかもしれない。

 三浦も、真っ青な顔で震えているだけだ。


「……すみません」


 頭を下げる。

 握りしめた拳に爪が食い込んだ。

 これが、弱者の立場だ。数値が低いというだけで、命の恩人に対してさえ謝らなければならない。


「チッ、次はねえぞ。……行くぞ、奥はもっと稼げる」


 それから、地獄のような行軍が続いた。

 二階堂たちは、完全に僕らを「雑用」として扱った。

 素材の剥ぎ取りは僕と三浦の仕事。汚い内臓に手を突っ込んで魔石を探る作業を押し付けられ、少しでも遅れると梶が槍で小突いてくる。

 休憩中も、僕らは立ったまま見張りをさせられた。


「……朝霧くん、大丈夫?」


 三浦が小声で話しかけてくる。彼の顔色は紙のように白い。


「なんとか。三浦くんこそ」


「僕、もう無理かも……。足が震えて、感覚がないんだ。借金返済のために来たけど、こんなことになるなんて」


 三浦の言葉に、胸が痛む。

 彼もまた、追い詰められた人間の一人だ。

 僕らは互いに傷を舐め合うように、目配せをした。生きて帰ろう。それだけが共通の願いだった。


 だが、その願いは最悪の形で裏切られることになる。


 水路の奥深く。地図にも載っていないエリアに差し掛かった時だった。

 巨大な鉄扉が行く手を阻んでいた。

 扉には、髑髏のマークが刻まれている。素人目に見ても、危険な場所だ。


「お、レアエリアじゃねえか!」


 二階堂が目を輝かせた。

 Dランクダンジョンには稀に隠し部屋があり、そこには高価な宝箱があると言われている。

 だが、当然ながら強力な罠やボスもセットだ。


「リーダー、どうします? 罠の解除スキル持ってる奴なんていませんよ?」


 梶が不安そうに言う。

 二階堂はニヤリと笑い、僕と三浦を振り返った。


「いるじゃねえか。『解除要員』が二匹も」


 背筋が凍った。

 まさか。


「おい、お前ら。あの扉を開けてこい」


 二階堂が顎で扉を指す。


「え……で、でも、罠があるかも……」


 三浦が後ずさる。


「だからお前が行くんだよ! 荷物持ちの分際で口答えすんな!」


 梶が三浦の背中を強く蹴り飛ばした。

 三浦がつんのめり、汚水の中に倒れ込む。


「い、嫌だ……嫌だ!」


「行かねえとここで殺すぞ? ダンジョンの事故死なんて、誰も気にしねえからな」


 二階堂が大剣に手をかけ、脅すように笑う。

 本気だ。こいつらは、僕らを人間だと思っていない。ただの「使い捨ての罠探知機」だと思っている。


「……行きます。行くから、剣をしまってください」


 僕は三浦の腕を掴み、立たせた。

 三浦は泣きじゃくっている。


「朝霧くん……僕、死にたくない……」


「大丈夫だ。僕が先に行く」


 僕は震える三浦を背に庇い、扉へと近づいた。

 死にたくない。僕だってそうだ。

 でも、ここで逆らえば確実に殺される。扉の罠なら、僕の「目」で見切れる可能性があるかもしれない。

 一縷の望みに賭けて、僕は鉄の扉に手をかけた。


 ――その時だった。


 ビクリ、と身体が跳ねた。

 ログではない。

 肌が、神経が、本能が、全力で警鐘を鳴らした。

 扉の隙間から漏れ出す空気が、あまりにも「濃い」。

 Dランクの魔力じゃない。もっと異質で、圧倒的な死の匂い。

 研修で見た装甲種どころじゃない。これは、絶対に開けてはいけない蓋だ。


「伏せろッ!!」


 僕は叫び、三浦を抱え込んで横に飛んだ。


 轟音。

 扉が内側から吹き飛んだ。

 爆風と熱波が僕らを襲い、汚水が一瞬で蒸発する。

 煙の向こうから現れたのは、宝箱なんかじゃなかった。


 全身を赤黒い甲殻で覆われた、巨大な人型の怪物。

 手には、二階堂の大剣よりも巨大な戦斧を持っている。

 その双眸が、紅く光っていた。


「……は、はは……嘘だろ……?」


 二階堂の声が震えていた。

 怪物が一歩踏み出す。それだけで、水路全体が揺れた。

 『守護者(ガーディアン)』。

 ダンジョンの主。

 推定ランク、40以上。


「逃げるぞ! 全力で逃げろ!」


 二階堂が叫び、踵を返した。

 梶とユリも悲鳴を上げて走り出す。

 僕も三浦の手を引いて立ち上がろうとした。

 だが、遅かった。


 怪物が戦斧を振り上げた。

 狙いは、一番近くにいた僕らだ。


「ひぃッ!」


 三浦が腰を抜かして動けない。

 僕はナイフを抜いた。

 勝てるわけがない。でも、時間を稼げば、あるいは。


「おい、お前ら!」


 僕は逃げていく二階堂たちに向かって叫んだ。

 助けてくれ、とは言わなかった。

 せめて、援護射撃をしてくれれば、その隙に。


 だが、二階堂は振り返り、ニタニタと笑った。


「悪りぃな、朝霧! そいつの相手はお前らに任せた! 時間稼ぎ、感謝するぜぇ!」


 そして、梶が何かを投げつけた。

 小さな瓶。

 それは僕の足元で砕け、強烈な刺激臭を放つ液体を撒き散らした。

 『誘引剤(ルアー)』。

 モンスターを興奮させ、ターゲットを固定させるアイテムだ。


「お前ら……!」


 怒りで視界が真っ赤になる。

 こいつらは最初から、何かあったら僕らを囮にして逃げるつもりだったんだ。


 怪物の咆哮が轟いた。

 誘引剤の臭いに反応し、赤い瞳が僕と三浦だけに固定される。

 戦斧が振り下ろされた。


「逃げろ三浦ぁ!!」


 僕は三浦を突き飛ばした。

 直後、凄まじい衝撃。

 とっさにナイフで受けようとしたが、まるで意味をなさなかった。

 ナイフは飴細工のように砕け、衝撃波だけで僕の身体は壁に叩きつけられた。


「がはっ……!」


 背骨が折れた音がした。

 内臓が破裂した熱い感覚。口から血の塊が溢れる。

 動けない。

 視界の隅で、三浦が這いずりながら逃げようとしているのが見えた。

 だが、怪物は無慈悲だった。

 戦斧の裏側で、虫を潰すように、三浦の下半身を叩き潰した。


「あ……あ……」


 三浦の絶叫が水路に響き渡る。

 助けなきゃ。

 でも、指一本動かない。

 怪物がゆっくりとこちらを向く。

 その巨大な足が持ち上がり、僕の頭上に影を落とした。


 怖い。

 痛い。

 死にたくない。

 二階堂、梶、ユリ。あいつらだけは。

 あいつらだけは、絶対に許さない。


 グシャリ、という音と共に、僕の意識は闇に落ちた。


 ――ラン終了。

 ――評価を開始します。

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