Cパート
最悪な事態となった。多分、藤田刑事は応援を呼んできてこの家を包囲するだろう。そして機を見て突入してくるはずだ。そうなればどうなるかわからない。
「ねえ! 聞いて」
私はまだ説得を続けようとした。だが、
「うるさい!」
上月は取り合おうとしない。完全の頭に血が上っている。この男の気持ちを鎮める方法はないのか・・・。私はふと卵の入った箱が目に入った。これだと思ってすぐに開けてみた。
「殻がだいぶん開いているんじゃない?」
私はそう言ってみた。するとすぐに横にいる翔太が箱の中をのぞき込んだ。
「本当だ。殻が外れかけているよ」
それを聞いて上月が拳銃を懐にしまってそばに来た。
「いよいよ生まれるぞ!」
上月の顔がパッと明るくなった。
「翔太! よく見ておけ! ヒヨコが生まれる様子が見られるぞ」
私たち3人はじっと箱の中の卵を見つめることになった。少しずつ殻が外れていく。だが完全に取れるまでにはかなり時間がかかる。
そのうちに外から声が聞こえてきた。
「上月! 人質を解放するんだ! これ以上、罪を重ねるな・・・」
倉田班長の声だ。包囲は完了したのだろう。だが人質がいるのと上月が拳銃を持っているから容易には踏み込めない・・・。
一方、上月の方はそんな呼びかけに耳を貸そうとしない。彼は卵に集中していた。
「がんばれ! がんばれ! もうすぐだ・・・」
彼は小さな声で応援している。その目は真剣そのものだ。
(ヒヨコが生まれれば上月は説得に応じるかもしれない・・・)
そう思っていた私は知らない間に眠ってしまっていた。
◇
気づくと朝になっていた。私の横で喜びの声が上がっている。
「やった! 生まれたぞ!」
「やったあ!」
上月を翔太が箱を囲んで手を打っていた。私が箱の中をのぞくとヒヨコは生まれていた。ピッピ、ピッピと鳴いている。上月が翔太に言った。
「いいか。翔太。ヒヨコは生まれてすぐに見たものを親と思うんだ。だからお前はこいつの親になるんだ。しっかり世話をしてやれよ!」
「うん!」
翔太は元気に答えた。確かにヒヨコは翔太を親と思っているようでその手にすり寄っている。
「俺は思い出したよ。子供の頃、こんな気持ちだったんだと。俺は人が憎かった。だがそれも今日で終わりだな」
「じゃあ・・・」
「ああ。逃げるのはやめだ。捕まるよ」
上月はそう言った。その顔は清々しい表情となっていた。
「手錠を外して。いっしょに外に出ましょう・・・」
私がそう言った時だった。いきなりガチャンと窓ガラスが割れて何かが投げ込まれた。煙が出ている。
(催涙弾だわ! 突入する気だ!)
私は叫んだ。
「やめて! すべた解決したわ! もう大丈夫よ!」
だが警官たちが突入してきた。すぐに上月を取り押さえようとする。 私は翔太とともに身を伏せた。こうなったらもう収拾はつかない。
上月は狂暴な顔をして暴れ出した。
「この野郎!」
そばに来る警官をなぎ倒していった。だが彼は逃げようとはしない。ヒヨコの入った箱の前で戦っているのだ。踏み荒らされまいと・・・。
「そばに寄るな!」
上月はついに拳銃を抜いた。近づく警官を撃とうとしていた。
「拳銃を放せ! でないと撃つぞ!」
倉田班長が「パーン!」と威嚇射撃をした。だがそれでも上月は拳銃で威嚇をやめようとしない。それどころか、警官に向かって拳銃を撃っていた。このままでは上月は射殺されてしまう・・・。
「やめて! もうやめて!」
私は叫んだ。だが倉田班長の拳銃が上月に向かって火を噴いた。彼の胸が真っ赤に染まる。
「うわっ!」
上月は倒れた。だが彼はまだ動いていた。頭を上げて箱の中をのぞきこんでいる。箱の中ではヒヨコは元気にピヨピヨと鳴いていた。それを見て彼はうれしそうな顔をしていた。そしてそのまま目を閉じて動かなくなった。
私は嘆息した。上月を救うことができなかった。もしかしたら罪を償って完全に更生できたかもしれないのに・・・。だがこれだけは確かだ。
狂暴な殺人犯の上月・・・最期に彼は卵から生まれたばかりの一つの小さな命を守ったのだ。
卵の命 広之新 @hironosin
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