Bパート
上月は卵をいろんな角度からじっと観察した。
「どこから持ってきた?」
「近所のおばちゃんちの鶏が卵を温めていたんだ。もう穴が開いてふ化しそうだから生まれるところを見ようとしたんだ。だから布にくるんで温めていたんだ」
「このバカが! 死んでしまうだろう!」
上月は卵をまた布に包んでそばにあった小さな発泡スチロールの箱に入れた。そこに腰からはがした使い捨てカイロを入れて、ペットボトルの水を少しだけ振りかけた。そして箱に蓋をした。
「これでよし。坊主! 名前は? どうしてここに来た?」
上月は男の子に尋ねた。
「翔太だよ。ここは僕の秘密基地なんだ。それで卵に何をしたの?」
「こうやってふ化させるんだ。日に何回も卵を動かして・・・温かくして湿気を与えるんだ。温度計があればいいんだがな。まあ、これくらいだろう」
「へえ~すごい」
翔太は感心しながら見ていた。
「翔太。お前も卵を動かしてみろ」
「わかった」
翔太は教えられたとおりに卵を動かしてから箱を閉じた。
「翔太。いいぞ。たまに開けて中を見てみるんだ。殻がうまく割れていっているかどうか・・・」
翔太はうなずいていた。
私は不思議な気持ちで見ていた。あの狂暴な男があんなにやさしい顔をして卵の世話をして子供に教えているから・・・。
その私の視線に上月は気づいた。
「なんだよ!」
「ちょっと不思議だと思って・・・」
「俺がこんなことをするのかが? 俺だって卵の世話くらいできる」
上月は笑顔になっていた。
「慣れているのね」
「ああ、昔、家で鶏を飼っていた。それで俺も卵をふ化させようとした。だがわきの下ではだめだった。やはり温度を一定にした容器の中じゃないとな・・・」
上月は昔の思い出を懐かしんでいた。
「鶏の世話は俺が主にやっていた。親父やおふくろは田や畑で忙しかったからな。エサやりや鶏舎の掃除・・・いろいろやったぜ。貧しかったけど楽しかった・・・」
上月の目は輝いていた。その頃は純粋な心を持っていたのだろう。豊かな自然に囲まれて幸せな毎日を送っていたに違いない。その彼がどうして・・・その疑問を尋ねる前に彼は答えてくれた。
「親父が死んでどうにもならなくなった。だから俺は都会に働きに出た。だが田舎育ちの俺をみんなが馬鹿にした。いじめてきやがったんだ。だから拳でお返ししてやった。すると警察が出てきやがった。一方的に俺を悪者扱いしやがって・・・」
上月の顔が憎悪に満ちた表情になった。元々、カッとする性格だったが根は純朴だったのだろう。それが周囲の人間にひどい目にあわされて暴行などの罪を次々重ねるうち、殺人を犯すような狂暴な人間になってしまったのだ・・・私はそう思った。
卵を大事にする上月の目は純粋そのものだ。一つの小さな命に対して真摯に向かい合っている。彼の中にはまだこんな心が残っているのだ。ここに賭けるしかない。
「あなたの気持ちはよくわかるわ。辛い思いをしたのね。でもこんなことはよくないわ。思い出して。あなたはこんな暴力を振るう人ではなかったはずよ・・・」
私は話し始めた。上月は怒りもせずに聞いてくれている。
「まだやり直せる。また元の優しかったあなたに戻れるわ。その証拠に卵をふ化させようとしているじゃない。あなたならできる・・・」
上月はうなだれていた。彼は反省して罪に向き合おうとしている・・・そう思った時、外に足音が聞こえた。
「日比野! どこだ!」
藤田刑事が私を探している。その声を聞いて上月が窓から顔を出した。
「上月か! おまえだな! 殺人容疑で逮捕する!」
「うるせえ!」
上月は怒鳴った。おとなしくなった彼をまた刺激してしまったようだ。翔太は驚いて私のそばで震えている。
藤田刑事はなおも大声を上げていた。
「おとなしくしろ! もう逃げ場はないぞ!」
「死ね!」
頭に血が上った上月は手に持った拳銃を撃った。
「パーン!」
だが幸いにも弾はどこにも当たらなかった。
「こっちにはおまえの仲間と子供がいるんだ! 来たらぶっ殺すぞ!」
上月は叫んだ。その顔は猛々しい表情になっていた。もうこの男を説得することはできない・・・私はおびえる翔太をそっと抱きしめてやるしかなかった。
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