第3話 空の果て

 敵国の上空に差し掛かった瞬間、空気が変わった。


 鋭い警告音が機体に響き、次の瞬間、下方から無数の光と煙が立ち上る。

 迎撃兵器だった。弾道は正確で、もはや偶然の脅威ではない。


「来る……!」


 アドヴィアは操縦桿を引き、即座に機体を傾けた。

 速度を殺さず、最小限の動きで軌道をずらす。

 弾丸と爆風が、紙一重で翼の横をすり抜けていく。


 一撃、また一撃。

 攻撃は苛烈さを増していくが、アドヴィアの操作は迷いがなかった。

 それはかつて、何百回も失敗しながら空を夢見た少年の延長だった。


 機体は傷つきながらも、確実に高度を上げていく。


 地上では、警報と怒号が飛び交っていた。


「正体不明の飛行物体だ!」

「逃がすな、撃ち落とせ!」


 空を仰ぐ兵士たちの視線の先で、二人の機体は小さく、だが確かに存在していた。


 やがて、とある王国――科学技術が特に発達した国の軍が、最終命令を下す。


「巨大光学砲を使用せよ」


 山のような砲台が動き、内部に光が集まり始める。

 それは兵器というより、太陽の断片のようだった。


 それを見たイヴィアンは、息を呑んだ。


「アドヴィア……あれ、危ない!」


 叫ぶと同時に、空が白く染まる。


 巨大な光線が放たれ、一直線に空を貫いた。

 世界そのものが焼き切られるような一瞬。


 アドヴィアは、限界まで機体を傾けた。

 衝撃波が翼を叩き、警告音が悲鳴のように鳴り響く。


 だが――躱した。


 光線は機体のすぐ脇を通り過ぎ、その先で空間そのものを歪ませた。


 次の瞬間、そこに「穴」が開いていた。


 青い空が裂け、向こう側が見えない、底知れぬ裂け目。

 風の流れが狂い、重力さえ意味を失ったかのようだった。


 イヴィアンは、直感的に理解した。


「……ここから出るしかない」

「アドヴィア、ここが……空の果てだ!」


 迷いはなかった。


 アドヴィアは機体の進路を定め、最後の推力を解放する。

 傷だらけの翼が震え、それでも前へ進む。


 二人の飛行機は、裂けた空へと突っ込んでいった。


 背後で、砲撃の光が届くことはなかった。

 音も、炎も、すべてが遠ざかっていく。


 ――かつて夢見た空を、置き去りにして。

 そして、空の向こうへ飛び出した。


 空の穴を、どうにか抜けた先。


 二人の視界に広がっていたのは、見たことのない空間だった。


 そこには空があった。

 だが、どこか不自然な空だった。

 青は均一で、雲は規則正しく配置され、果てがあるようで、果てが見えない。


 その下には、巨大な研究施設のような構造物が広がっていた。

 無数の塔、光る軌道、空中を行き交う搬送装置。

 まるで、世界そのものが一つの装置であるかのようだった。


 機体は、限界を迎えていた。


 警告音が消え、推力が途切れる。

 制御を失った飛行機は、そのまま地表へと叩きつけられた。


 激しい衝撃。

 視界が白くなり、音が遠のく。


 ――そして、静寂。


 意識が戻った時、二人の周囲には人影があった。


 白衣のような服をまとい、端末を手にした人々。

 その姿は、アドヴィアやイヴィアンとほとんど変わらない。

 同じ手足、同じ顔の配置、同じ声の響き。


 違うのは、目だった。

 感情ではなく、評価と記録を見る目。


「まさか……殻を破って出てくるほどの技術進歩を見せるのが、これほどまでに早いとは」


 一人の研究者が、驚きよりも興味を滲ませて呟く。


「いや、これは異分子でしょう。外れ値だ」

「中はもはや滅亡の一途ですよ。争いの段階に入った時点で、ほぼ確定です」


 別の研究者が、淡々と端末を操作しながら言う。


「何回やっても、そういうものなのですな」

「やはり人間は、一定以上の技術と分断を与えると、同じ結末に向かう」


 会話は、二人を前にしているにもかかわらず、まるで標本を前にした議論だった。


 ふと、壁一面のモニターに映像が灯る。


 そこには、エディルゼアによく似た世界が映し出されていた。

 だが一つではない。


 平和なまま停滞する世界。

 争い、滅びゆく世界。

 技術が進みすぎ、空すら失った世界。


 無数の「エディルゼア」が、箱の中の実験結果のように並んでいる。


 アドヴィアは、言葉を失った。

 イヴィアンの指が、無意識に震える。


 理解したくない。

 だが、否定できない。


 自分たちが必死に生きてきた世界。

 夢を見て、飛び、争い、逃げた世界。


 それは――。


 箱庭だった。


 温度を与えられ、観察され、結末を待たれるための。

 殻の中で育てられた、卵だった。


 その事実だけが、はっきりと胸に落ちる。


「……僕たちの世界は」


 アドヴィアは、かすれた声で呟く。


「ただの箱庭で、温め続けられた卵だったんだ」


 その言葉に、研究者たちは否定もしなかった。

 ただ、新しいデータが取れたという顔で、記録を更新していく。


 殻を破った存在を、前にして。

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エデンの殻 常陸 花折 @runa_c_0621

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