第2話 エディルゼアの戦火

 少年と少女が大人になった時。

 エディルゼアは、もはや平和な世界ではなかった。


 かつて穏やかに行き交っていた街道には検問が置かれ、空には黒い煙が立ち昇る。人々は互いを疑い、奪い合い、正義の名の下に刃を向けるようになっていた。


 争いは連鎖し、街は次々と焼かれた。

 そのたびに、新しい兵器が生まれた。

 より速く、より遠くへ、より多くを壊すための道具が。


 空を飛ぶ機体は、すでに完成していた。


 アドヴィアとイヴィアンが辿り着いた設計は、かつての粗末な翼とは比べものにならない。安定した飛行、高度の維持、積載能力。

 ――それは、明らかに兵器へと転用できる性能だった。


 二人のもとには、要請が届いた。

 いや、要請という名の命令だった。


 それは、かつて一つだったエディルゼアの世界が分裂して生まれた「国」からのものだった。

 どの国も、同じ言葉を使って二人を誘った。


「技術を提供せよ」

「これは国のためだ」

「拒否すれば、どうなるか分かっているな」


 かつて夢を見守ってくれた大人たちの面影は、そこにはなかった。

 あるのは、恐怖と焦燥、そして力への渇望だけだった。


 逆らえば、どうなるか分からない。

 捕らえられるかもしれない。

 奪われるかもしれない。

 あるいは――消されるかもしれない。


 それでも、二人は首を縦に振れなかった。


 空を飛ぶという夢は、誰かを焼き払うためのものではなかった。

 殺すためでも、支配するためでもない。

 ただ、遠くへ行きたかっただけだ。


 アドヴィアは、かつて初めて浮かび上がったあの日の感覚を思い出していた。

 イヴィアンは、風が頬を打ったあの一瞬を、今も鮮明に覚えていた。


「……このままじゃ、全部奪われる」


 だから二人は、逃れる手段を考え始めた。

 技術を渡さず、命を失わず、そして――夢を裏切らないための方法を。


 完成した翼を、戦争の空へは飛ばさないために。

 二人は決めた。そうだ、僕たちは遠くへ行きたくて空を飛んだんだ。

 それならばこの空の果てまで飛ぶ機体を作り、空の向こうへ逃げればいい。


 それは、確かに逃避だったかもしれない。

 だが同時に、最後の抵抗でもあった。

 空の果てに何があるか、誰も知らなかったが、少なくとも今のエディルゼアよりはマシだと思った。


 そうして、アドヴィアとイヴィアンは、少年少女の頃に戻ったように再び研究に没頭した。

 誰にも見せない地下の工房で、夜も昼も区別せず、設計と試作を繰り返す。

 燃料効率、耐久性、長距離飛行に必要な構造――かつて夢だった技術は、今や現実として積み重なっていった。


 技術の発達したエディルゼアでは、それは決して不可能ではなかった。

 時間も、思ったほどはかからなかった。


 だがその間にも、戦火はどんどん広がっていく。


 遠くの街の炎が、夜空を赤く染める。逃げ惑う人々の噂が、風に混じって届く。

 大切な人を失った人の泣き声が夜ごと響く。路頭に迷った人々の呻く声が街角を埋めていく。


 かつて彼らの夢を笑い、見守り、称賛してくれた人々が、今は武器を手に立っている。あの頃の優しい表情なんてどこにもなかった。

 彼らの笑顔を最後に見たのがいつだったか、二人にはもはや思い出せなかった。


 他の人々を置いていくことに、二人は罪悪感を覚えた。

 この技術があれば、救える命があるのではないか。

 そう考えなかったわけではない。


 それでも――。


 もうこの世界は、子供の頃に夢見ていた「エディルゼア」ではなかった。

 一つだった世界は裂け、国となり、正義を名乗り合い、互いを焼き尽くす場所になってしまった。


 エディルゼアの空は、もう自由ではなかった。

 エディルゼアに自由なんてもうどこにもなかった。


 完成した機体は、静かに夜明けを待っていた。

 白い翼は武器を載せるためではなく、ただ遠くへ行くためだけに作られている。


 アドヴィアは、初めて空を飛べた日のことを思い出す。

 イヴィアンは、風に笑ったあの一瞬を胸に刻む。


 ――あのエディルゼアは、確かに存在した。


 だから二人は、飛び立つ。


 かつての世界を想いながら。

 空を飛ぶ夢だけを抱いて。


 その翼が向かう先が、どこであろうとも。

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