バースデー・イブ

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バースデー・イブ


 ビジネススーツをきっちりと着こなすサラリーマンと思しきドーベルマンに似た犬族が、カフェのテラスで待ち合わせていた人族の同僚に声をかけた。

 その横では華やかなワンピースを纏ったソマリ系の猫族女性が、チベットスナギツネの親友とケーキを食べながら談笑している。

 人間と獣が共存する至極当たり前の日常だ。


 町の片隅にあるアパートの一室で、ニワトリに似た鳥族の青年カイチは目の前にある希望と絶望の産物を凝視していた。

 正確には、テーブルの上に心許なげな様子で鎮座するひとつの真っ白な「たまご」である。

「……置いていくなんて、あんまりだ」

 カイチの元妻は奔放な人、もとい鳥だった。彼女はある日突然「私、アイドルになる」と家を出ていってしまった。その朝に産みたてのたまごだけをカイチのもとに残して。

 実直で真面目、悪く言えば堅物なカイチは途方に暮れていた。

 鳥族にとってたまごは自分の命よりも大切だ。だが、男である自分の手羽先一つでどう温めてやればいいのか。仕事もあるし、彼は極度の奥手で、誰かに助けを求めることすらままならない。


 三日三晩悩み抜いた末にカイチは決意した。

 この孤独な育児……の前に、孵化の試練を共にしてくれるパートナーを求めよう、と。


 カイチはたまごを大切に布で包むと、いつものコンビニに向かった。

 この時間にレジを担当しているのは人族の女性、アスカさんだ。彼女はいつも丁寧で、仕事帰りのカイチに労いの言葉をかけてくれた。

 穏やかな信頼に基づく友情は、バツイチ子持ちとなった今の彼の中で仄かな恋心として色づき始めていた。

 彼は実直で真面目で奥手がゆえに頑固だった。恋をするなら結婚を前提に考えねば不誠実だと思う。


 不意に客の途切れたレジの前。カイチは震える手で包みからたまごを取り出してカウンターに置いた。

 真っ赤なトサカをさらに赤くして、意を決してアスカさんに告げる。

「俺のたまごを、温めてくれませんか」

 それは彼なりの最大限に誠実なプロポーズだった。鳥族の伝統的な求婚の言葉だ。

 アスカさんは目を見開き、少しだけ瞳を潤ませた。彼女の胸には重大な決意を迫られたような使命感に満ちた色が浮かんでいた。

「……かしこまりました」

 彼女は小さく、しかし確かな力強さをもって答えてくれた。


 カイチは歓喜に震えた。受けてもらえた。この慈悲深いヒトは、俺の家族になってくれるんだ。


 しかし次の瞬間、アスカさんは迷いのない手つきでカイチのたまごを取り上げると背後の業務用電子レンジの扉を開けようとした。

「あっ、ちょっ、違います!!」

 カイチはカウンターを乗り越えんばかりの勢いで叫んだ。アスカさんは「えっ?」と手を止めて振り返る。

「あれ、温めるんですよね?」

「物理的に加熱しろという意味じゃありません! 孵化させてほしいんです! 愛を持って!」

「ふ、孵化……愛を持って!?」

 ようやく状況を理解したらしいアスカさんはたまごをカウンターに戻し、涙を拭って安堵の息を吐いた。


「よかったー。自分の子供を食べるのかと思って、びっくりしちゃった。鳥族の方って自分に厳しいんだな、新手の命の授業みたいなやつかな、って」

「そんなわけ……俺、たまごは食いませんから」

 必死に弁解するカイチを不思議そうに見つめ、アスカさんは「ああ、そういえば」と過去の記憶を辿った。

「カイチさん、いつもおでんは『玉子抜き』ですもんね。そっか!」

「気づいてくれましたか」

「玉子アレルギーなんですね?」

「違います」

「玉子、嫌いなんですか?」

「いや……あの、鳥なので。他人が産んだものとはいえ、同族を食べるのはちょっと……」


 はっと思い至った様子で目を見開くアスカさんを頭のどこかで「天然にしても度が過ぎないか?」と思いつつ、別のどこかで「かわいいな」と思う。

 そしてカイチは自分の想いがまったく伝わっていないことに気づいた。

 深呼吸をして、今度は人間にも分かる言葉で一音一音を丁寧に伝える。

「アスカさん。その……俺と、結婚を前提に、暮らしてくれませんか。この子を一緒に育ててほしいんです」

 数秒の沈黙の後、人族らしく頬を染めたアスカさんはこくりと頷いてくれた。


「それと、電子レンジに玉子を入れるのは、だめですよ。危ないです」

「そうなんですね! でも、もう玉子は食べないので大丈夫です」


 ・◇・


 ほのぼのと優しく、どこかが少しだけずれたまま二人とひとつで共に過ごす暮らしが始まった。

 アスカさんは献身的にたまごとカイチに尽くしてくれる。ただ時々、感覚の違いが顔を出す。カイチの中では「種族差による違いだろう」ということになっていた。

 彼女が少々馬鹿なんじゃないかとうっすら気づきつつ、あばたもえくぼでやり過ごした。

 たまごを抱きしめながら毎日「おかえりなさい!」と元気に迎えてくれる彼女の笑顔を見れば、何も気にならなかったのだ。


「カイチさん、明日はクリスマスですよ! ケーキを買ってきましたから、一緒に食べましょ」

 仕事から帰宅したカイチに、アスカさんが満面の笑みで華やかにラッピングされた箱を差し出した。

 カイチは中身を一目見て静かに告げる。

「……玉子」

「えっ? あっ……これ、入ってます?」

「入ってますね。スポンジのメイン材料です」

 しょんぼりするアスカさんもかわいい。そんなことを考えながらカイチは羽でぽふぽふと彼女を慰めた。


「もう玉子は食べないって決めたのに。ごめんなさい、美味しそうだったから、つい」

「いいんですよ、アスカさんは人間なんですから。俺の分まで食べてください」

「そんなのさみしいじゃないですか! 私たち、家族なのに」

 彼女はうーんと考え込んでからすぐに「いいことを思いついた」と瞳を輝かせた。

「カイチさん明日お休みですよね。私、玉子を使わないケーキを調べて作ります! それなら一緒に食べられますよね」

「ええ、嬉しいです。……でも、やっぱりさっきのケーキは冷蔵庫へ。美味しそうにケーキを食べてるアスカさんの顔を見るほうが、俺も嬉しいです」

 鳥族は自分の「たまご」と食料の「玉子」を区別するものだから気にしないでほしいと付け加えながら。


「ケーキ、電子レンジに入れちゃだめですよ?」

「もう分かってますぅ! 爆発するからですよね」

「いや、ケーキは爆発しませんけど。ショートケーキを温めたら台無しになります」

「カイチさんは物知りですね~」

「……うん、まあ、褒めていただきありがとうございます」

 その時、アスカさんお手製のふかふか保温クッションの上でたまごが小さく音を立てたような気がした。


 明日のクリスマスにはこの賑やかな食卓にかわいらしい雛の囀りが増えそうだ。

 そして三人で迎える次の春はきっと、どんな御馳走よりも温かくて栄養たっぷりの日々となるだろう。

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