第4話 お塩
ある日、サブアカウントでパブリックを放浪していると、見覚えのある人影があった。
「あれは、まさか」
またこのアカウントであの人と出会ってしまった。しかし、今の俺は悲しみに打ちひしがれたクリスマスのときの俺とは違った。俺は正体を隠したまま彼女に近づいた。こちらのアカウントで何度か彼女と顔を合わせていくうちに、彼女とのjustにありつけた。
「実は俺、前からサクヤさんのこと知っていて、綺麗な人だなーって少し憧れみたいなものがあったんですよ」
「そうだったんですか!ありがとうございます!」
「だから今めっちゃドキドキしてて、あのサクヤさんとjustできるなんて夢みたいです!」
「えー、憧れとかいって、ほんとはただ私としたいだけだったんじゃないですかー?」
「そりゃそういう気持ちもありましたけどー、それだけじゃないですよー」
興奮を隠しながら軽口を叩き、プラベに移動する。正体はバレていない。まさかこんなかたちでこの人とjustをすることになるとは思わなかった。でもこれはこれで興奮するシチュエーションだ。プラベに着くと俺は早速、後ろから彼女に抱き着いた。
「ちょ、いきなり!?」
彼女が戸惑うのも当然だろう。だが俺はもう我慢できない。この時をどれほど待ち望んでいたことか。
「ずっとこうしたかったんですよ。サクヤさんに魅了されてからずっとこうやって交わりたかったんです。」
「そうだったんですね…でもちょっと怖いかな…」
「だったらちゃんと抵抗してくださいよ。」
俺は無理やり舌で彼女の口内に侵入し、彼女の粘膜を弄ぶ。
彼女と結合している感触など一切ない。しかしそれでいいのだ。これはこの女への復讐の一環であり、俺の自己満足の精神的な行為なのだ。物理的に彼女と繋がっている必要はない。彼女の隠されたもの、禁じられたものを疑似的に犯すことが目的なのだ。ああ、なんて最高な瞬間なのだろう。今この瞬間、俺は自分を否定した女に侵入し、禁断の扉をこじ開けたのだ。これほどの愉悦の瞬間を味わえる人間はそう多くはないだろう。俺は血走った目で一心不乱に快楽を貪り続けた。
***
本アカウントでサクヤさんと会うことが無くなった一方で、サブアカウントのほうでは彼女と気心の知れた仲となった。キッシュが俺であることはまだバレていないようなので、これからも「相手が実は自分が振った男だと知らずにjustをしている」というシチュエーションに興奮させてもらっている。客観的に見るととても気持ち悪い気がするが、それで興奮してしまうのだから仕方がない。
かのんに最近態度が冷たいと言われている。裏でサクヤさんと仲良くなってから、justをさせてくれないかのんに対しての気持ちが遠のいていることは自分でも自覚している。そもそもお砂糖相手がいながらサブアカでセフレを作るのは浮気のような気がしなくもない。というか完全な浮気だ。改めて自分の現状を鑑みると、俺は不道徳な人間関係を築いてしまっていることに気付いた。不道徳なことはわかっていても、今はとても都合が良くて気持ちがいい。今までもバレていないのだから、これからもバレないようにすればこのままで良いのではないかと考えてしまう。
倒錯した人間関係に煩わせられながら、イベントを運営する日々を送っていた。俺の鬱屈した内面とは裏腹に、イベントのほうは好調でキャストの数も客の数も増えて徐々に規模が大きくなっていた。そしてなんかサクヤさんも最近イベントに来るようになった。これはつまり俺のイベントは名実ともに人気で価値あるイベントになったということか?
ということはそのイベントを運営し、キャストもしている俺は価値のある人間になれたんじゃないか?
うんうん、今まで頑張ってきた甲斐があった。これで俺がイベントを作った目的が達成されたというわけでだな。ならば後は、この価値ある人間である俺がサクヤさんに告白するだけだな。イベントに来るようになったということは、あの人も俺を認めたということだ。前回は俺がまだ無名ユーザーだったためにフラれてしまったが、今度こそ成功するはずだ。しかし、問題なのはかのんだ。新しくお砂糖するにはその前にあいつとお塩する必要がある。めんどくせぇ。けど最近は倦怠期だからタイミング的には今がちょうどいいのかもしれない。変に引き留められることもないだろう。よし、早速あいつと予定合わせるか。
かのんとのDMのやりとりをし、会うのは3日後ということになった。その間に俺は尤もらしい理由を作って当日に備えた。
別れ話をする当日になり、俺はその日は一日中落ち着かなかった。かのんに対する気持ちは冷めている上、元々向こうから告白してきたわけで、満更ではなかったもののこちらはそんなに相手に恋愛感情は無かった。しかし、自分から別れ話を切り出すのは動機が動機なだけあって罪悪感がある。そうこうしている内に時間は過ぎていき、約束の時間が近づいていた。
「ちゃんとお塩できればいいけど。あー、メンタルに来る…」
ぼやきながらHMDを被る。VRChatを起動し、メニューから落ち着いた雰囲気の室内のワールドを探す。
「これでいいか」
適当に目に留まった室内のワールドを選び、インスタンスを建ててそこに移動する。約束の時間になり、インバイトをかのんにを送る。するとすぐにjoin通知が表示された。
「こんばんはー、急にどうしたの?」
かのんの機嫌は悪くなさそうだ。
「こんばんは、いや、ちょっと話があって…」
「話って?」
「実は俺、お塩したいんだ。最近全然会わなくなって、気持ちも冷めてきちゃったし。イベントとか、リアルのほうとか忙しいし…」
彼女は驚いた様子で言葉に詰まっていた。
「そうなんだ… 確かに最近すれ違いがあるし、イベント以外じゃ会えてないもんね。でも、そういうのはお互い話し合って努力していくものなんじゃないの?結論を出すのはまだ早い気がする。」
彼女の言うことは尤もだ。けど俺にとっては元々、彼女との関係は一時的なもの…
俺には本命がいるんだ。そして本命の相手とお砂糖できるよう今までVRChatで活動してきたんだ。そして今それが報われようとしているんだ。だから、どうにかして彼女とはお塩しなければならない。
「でも、会う頻度も少なくなってるし、お砂糖らしいこともしなくなったから、わざわざお砂糖という関係にこだわらなくてもいいと思うんだよね。お塩したからって関係が切れるわけじゃないし。」
これならどうだ。
「そんなにアールくんは私とお砂糖でいるのが嫌なの?」
少し低い声で発せられた質問。それはどう答えてもこちらの立場が不利になる質問だった。
ぐぬぬ…こいつ、なんて応えづらいこと聞いてくるんだ。そんなのYesかNoのどちらで答えてもこちらの思惑を詮索してくるに違いない。これはもういっそのこと…
覚悟を決めろアール!自分の目的のためには、時には自分の手を汚して悪人になる必要がある。
「そうなんだ。実はもうかのんとお砂糖でいるのが嫌なんだ。だからどうしてもお塩して欲しい。頼む!この通りだ!」
俺は彼女になんと罵られてもいいと腹を括り、土下座をした。いや、実際にはおれはフルトラッキングではないため土下座のような姿勢をしただけなのだが。これが今の俺にできる最大限のパフォーマンスだった。
しばしの沈黙が流れると、彼女は口を開いた。
「そう、そんなに嫌ならお塩してあげるわよ。なんか納得できないけど。あんた、絶対なにか他にお塩したい理由があるんでしょ。どうせ聞いても答えないんだろうけど。じゃあね、さよなら」
そう言った瞬間、彼女の姿は見えなくなった。ああ、ブロックされたのか。それも仕方ない。こんな振り方したのだから。でも、こうしないと俺の今までが無駄になってしまうんだ。あの人にフラれたあの日から、あの人にリベンジして俺のものにするために、俺はVRChatをしてきたんだから。
かのんを振った後、俺は罪悪感と精神の消耗を抱えた日々を送っていた。しかし、このまま立ち止まっているわけにはいかない。サクヤさんとは距離をとっていたが、イベントが大人気になったことで主催である俺のネームバリューも高くなったはずだ。俺は自分を鼓舞し、サクヤさんに久しぶりに連絡した。近日中に時間を作ってもらったので、その日に備えた。
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