メイド二人の甘い仕事事情
ぞ
本編
フィオーレ王城のメイド作業室は、午後の穏やかな日差しが差し込み、埃がきらきらと舞っている。
他のメイドたちが各々持ち場に戻っていく中、チェリーは一人、作業台に広げられた柔らかいドレス生地とにらめっこしていた。
(サクラ様のドレスは……もう少しですね)
チェリーの主であるサクラは、フィオーレ王国の姫だ。
チェリーはサクラの専属メイドとして、サクラの夜会用のティードレスの装飾を整えているところだった。
(……これが終わったら、ルリ様のドレスも装飾しないと……。ふふ、お二人にきっと似合います)
サクラと、その伴侶のルリは、とても仲の良い姫と妃として近隣国の間で有名だった。
そしてその仲の良い二人に似合うペアコーディネートを考えるのは、チェリーの重大な仕事であり、また至福の時間でもあった。
繊細なサテンステッチで、一針一針、丁寧に色を埋めていく。
ドレスの胸元を飾る、薔薇の花。
サクラの薄紅色の髪に映えるよう、少しだけ濃い色の糸を選んだ。
(……よし、あと少しです)
花びらの一枚を縫い終え、「ふう……」と小さく息を吐く。
一度針を針山に休ませて、疲れを取るように目を閉じた、その時だった。
「チェリーさん、お疲れ様です」
「うひゃあっ……」
不意に耳元で囁かれた声に、チェリーの喉からは間の抜けた声が漏れた。
それはチェリーの専属メイドの仕事仲間、キウイの声だった。
「ちょっと、キウイさん……っ!」
抗議するより早く、背後からキウイの腕が回され、チェリーは柔らかな体温に包みこまれる。
「愛しいチェリーさん……気の抜けた声も、とても可愛らしいですね」
耳元でわざと吐息を吹きかけるように囁かれ、温かい体温とともに、柔らかい二つの塊が背中に押し付けられる。
チェリーはどくんと心臓が跳ねるのを感じた。
「んっ……お、お仕事中ですよ!」
「知ってます。だからこうしてこっそり、チェリーさん成分を補給しているのですよ」
キウイは仕事仲間であり、チェリーの恋人だ。
チェリーのことを好きすぎて、仕事中でも構わず、隙あらばチェリーに触れようとする。
チェリーはそれに対していつも小言を言いつつも、なんだかんだ心地よくも感じているのだった。
「そろそろサクラ様とルリ様のお部屋のお掃除の時間ですが……いかがですか?」
キウイが落ち着いた声でそう言うのに、チェリーは「あっ」と声を出した。作業に没頭するあまり、時間を忘れていた。
「すみません、もうそんな時間だったのですね……」
「お忙しいようなら、今日は私一人でやりましょうか」
チェリーは一瞬迷うように、目の前のドレスを見た。
「……いえ、大丈夫です。行きます。……でも、あとほんの少しでこの刺繍が完成しそうなので、少しだけ待っていただけますか?」
「はい、わかりました」
キウイはその言葉に素直に返事をすると、チェリーの背中から離れ、チェリーの横にある椅子に座った。
そして、寄り添うようにチェリーに身体を寄せる。
「もう……針に刺さらないように気をつけてくださいよ」
チェリーは困ったように笑いながら、針山から針を抜き、再び作業台の生地に向き合った。
ちく、ちく。
針が布を通る音だけが、静かな作業室に響く。
(集中、集中……)
そう思うのに、すぐ隣に密着しているキウイの体温と、微かに香るヘアオイルの甘い匂いに、どうしても集中を乱されてしまう。
「……綺麗ですね」
不意に呟かれたキウイの一言に、チェリーはわずかに肩をぴくりと跳ねさせた。
「……ありがとうございます。刺繍が、ですよね?」
「ええ、色の選択と置き方が芸術品のようです。もちろんチェリーさんも、お綺麗です」
「調子がいいんですから……」
歯が浮くようなセリフをしれっと言うキウイに、チェリーは胸の内が熱くなるのを感じた。
苦しい胸を深呼吸して落ち着かせながら、続きを縫っていく。
「差し色が……欲しいですね」
チェリーは針山に針を挿し、刺繍糸をいくつか手に取った。
刺繍の上に重ねるようにして色味を確認し、差し色として使う刺繍糸を選ぶ。
針箱から新しい針を取り出し、その糸を針に通そうとした。
しかし、小さな針の穴にうまく焦点が合わず、糸が通らない。
「お疲れですか?」
「ずっと……細かい作業をしていたので、なんだか目がチカチカしてしまって……すみません」
チェリーが目をこすりながら言うと、キウイが優しく声をかける。
「貸してください。通しますよ」
「えっ、でもキウイさん、刺繍なんて……」
「針に糸を通すぐらいできますよ」
そう言いながら針と糸を受け取ったキウイは、器用にあっさりと糸を通した。
「ほら、どうぞ」
「あっ……ありがとうございます」
チェリーがそれを受け取ろうと手を差し出す。
だが、キウイは悪戯そうに微笑むと、針をすっと引いてチェリーの手をかわした。
「ちょっと、キウイさん。ふざけないでくださいよ」
「お礼をいただかないとお渡しできません。お礼はキスでいいですよ」
「も……もう! 今はお仕事中ですからっ!」
「ええ、知ってます。ですから、早くお仕事に戻るためにも、早急に『お礼』をください」
キウイはそう言うと、椅子に座ったままのチェリーに顔をぐっと近づけた。
チェリーは背もたれに後ずさる。
逃げ場のないチェリーの顔を覗き込み、キウイは楽しそうに目を細めた。
「ほら、早くしないと、サクラ様たちのお部屋のお掃除の時間がなくなってしまいますよ?」
「……っ、わかりました、わかりましたからっ! あ、あの、目を……瞑ってください」
チェリーが恥ずかしそうにそう言うと、キウイは満足そうに微笑み、自分の椅子に姿勢を戻してからゆっくりと目を閉じた。
チェリーは顔を赤く染めながら、その頬にそっとキスをした。
ちゅ、と触れて、すぐに離れようとした、その瞬間。
キウイの手がチェリーの手首を掴み、引き寄せた。
「ひゃっ!?」
キウイはゆっくりと目を開けると、掴んだチェリーの手首をそのままに、溜め息をつきながら残念そうに呟く。
「……チェリーさん。お礼にしては、随分と軽いキスですね?」
「き、キスはキスです……っ」
「私はキスは唇の方が好きなのですが……まあいいでしょう」
キウイはそう言うと、掴んでいたチェリーの手首を、自分の唇に持っていき、その手の甲にそっとキスを落とした。
「……っ」
「では分割払いということにいたしましょう。ちゃんと後から残りのお礼をくださいね? 愛しいチェリーさん」
キウイは微笑みながら、もう片方の手でチェリーの手を包み込むように手を重ね、糸が通った針を持たせた。
「……け、検討しておきますっ」
チェリーは火照る顔を隠すように俯き、高鳴る鼓動を必死に抑えながら、刺繍の仕上げに取り掛かった。
キウイはその横顔を、愛おしそうに、そして満足そうに眺めていた。
「よし……これで完成です」
チェリーは小さく呟くと、糸切り鋏で、ぱちんと小気味よく糸の始末をした。
針を針山に挿し、改めてドレス全体を広げて、その出来栄えを確認する。
「……いい感じですね」
満足そうに深く頷くと、散らかった刺繍糸や道具を手際よく片付けていく。
「キウイさん、お待たせしました。サクラ様とルリ様のお部屋のお掃除に行きましょう。でも、その前に、ドレスを仕舞うのでワードローブに寄らせてください」
「はい、わかりました」
チェリーはサクラのドレスを丁寧に腕に抱えると、扉に手をかけようとした。
「チェリーさん、忘れ物ですよ」
キウイが落ち着いた声でそう告げると、チェリーは焦るように振り返った。
「ええっ、すみません、何、を……」
振り返ったチェリーは、一歩前に踏み込んできたキウイに押され、数歩後ずさった。
「わっ……」
ドレスを抱えていない方の肩が、こつん、と作業室の固い扉にぶつかる。
チェリーが顔を上げると、キウイが逃げ場を塞ぐように、チェリーの顔のすぐ横の扉に、とん、と片手をついていた。
キウイの整った顔がすぐそこにある。
透き通った緑色の瞳が、獲物を見つけた獣のように細められているのを間近で見て、チェリーの心臓が大きく跳ねた。
「き、キウイさん……っ」
扉についていない方のキウイの手が、ゆっくりと持ち上がる。
その指先が、熱を持ったチェリーの頬にそっと触れた。
「ひゃっ……」
ぞくぞくするような感触に、チェリーの肩がびくっと震える。
キウイの指が、まるで愛おしい宝物に触れるかのように、チェリーの輪郭を優しくなぞった後、そっと顎に指をかけた。
「分割払いの、残りをお忘れです」
「えっ、あ……」
キウイの顔が、ゆっくりと、近づいてくる。
チェリーは、その真剣な眼差しに見つめられて、身体が縫い付けられたように動かない。
吐息がかかるほどの距離になり、チェリーは抵抗を諦めて、きゅっと目を閉じた。
しかし予想していたような、いつもの濃厚な感触ではなく、ちゅ、と触れるだけの優しい感触が唇に触れた。
(……あれ?)
チェリーが驚いて薄目を開けようとした瞬間、キウイの手がチェリーの後頭部にそっと回され、角度を変えるように引き寄せられた。
「んっ……!」
今度は逃がさないとでも言うように、深く、味わうように唇を合わせられる。
その激しさに、チェリーは胸が締め付けられて息を詰まらせた。
さっきの軽いキスとは比べ物にならない熱が、キウイから流れ込んでくる。
しばらくチェリーの唇を堪能したキウイは、そっと唇を離した。
「糸を通したお礼、確かにいただきました。ふふ」
キウイは満足そうに、悪戯っぽく笑う。
ようやく呼吸を再開できたチェリーは、耳まで真っ赤になっていた。
「き、キウイさんっ、そういうのは、お仕事中は……っ!」
「ダメでした? ではお仕事が終わったら改めて、もっと濃厚な『お礼』をいただきましょう」
「もう……っ!」
チェリーがぷいっと顔をそむける。
キウイはそんなチェリーの反応すら愛おしいというように微笑むと、そっと手を差し出した。
「さあ行きましょうか。愛しい……私のチェリーさん」
「……はい」
チェリーはまだ頬の熱が冷めないのを感じながらも、その差し出された手に、自分の手をそっと重ねた。
固く手を繋ぎながら、二人はメイド作業室を後にした。
メイド二人の甘い仕事事情 ぞ @zozozozo
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