わたしはゾンビ

京野 薫

お月さまの部屋

 ぽろり、ぽたり。


 そんな感じの擬音がぴったりな音と共に、自分の小指が床に落ちるのが分かった。

 落ちてみると、まるで食べこぼしのソーセージの様に見える。

 自分の指なのに、ビックリするほど現実味が無い。

 もっとも、ゾンビの私の時間に現実も何も無い。


 わたしはゾンビ。


「死」と言う概念はただの言葉遊びになり、時間は私の身体を気まぐれに崩すだけの……まるでまとわりつく子犬のような存在となった。

 そして私は潰される。

 彼の作ったこの部屋で。


 何本かのチューブに繋がれ、その先には高価そうなモニター。

 意味はあるんだろうけど、お馬鹿な私には分からない。

 分かる脳みそもいずれ崩れるんだろうな。

 インスタントのお味噌汁みたいに……ふふっ、つまんないの。


 暇つぶしに一年前を思い出す。

「ゾンビウイルス」と言う、人間の前頭前野を破壊するウイルスが広まった事。

 でも、それだけじゃなく体液から感染し、前頭前野だけで無く皮膚や筋肉組織までもランダムに破壊する。

 そして、それは空気感染することも分かり、人類はパニックになった。


 と、同時にそれを名声を得るチャンスに出来ると思う人も出てきた。

 ……私の恋人……だったんだろうな、と思う人も。


 感染した私を彼はこの檻のような中に閉じ込めて、毎日色々調べる。

 痛いことやそれほどでも無いことや。


 今は、痛覚も大分減ってきたからどうでもいい。

 でも、心の痛みは減らないね。


 ガチャリ。


 ドアが開いて、彼が入ってくる。

 無表情。


 ゾンビウイルス万歳だ。

 最初の頃のような、面倒くさい感情……期待、愛情、渇望、失望、絶望、憎悪。

 そんなこんなもそこまで感じない。


 なのに……なんで彼をじっと見ちゃうんだろ、私。

 教えて、エラい人。

 私はゾンビなの。

 人間の彼に愛してもらう資格なんて無い。

 せめて、彼の名声の役に立とうね、いい子だから。

 ね? ……あれ? 私、なんて名前だっけ?


 ねえ……思い出させて、敏夫。

 前は良く呼んでくれたじゃん。

 私の……すっかり埃を被って、どっか行っちゃった私の名前。


 あ、針刺した。

 ……ごめんね、もう血管ボロボロで上手くさせないよね。

 彼を見て微笑もうとしたけど、頬が引きつる。

 彼は無表情で私を見る。

 何の感情も無い、瞳。


 思い出した。

 この人、昔は私の笑顔、褒めてくれた。

「君の笑顔はホッとする」って。


 ねえ……今は……

 あ、やめた。

 考えるの。

 せっかく彼、メーター見てる。

 ブンブン針ブレたら彼、また帰れない。


 私、いい子でしょ?

 褒めて褒めて。


 外は綺麗な月明かり。


(遠回りして、帰ろっか? 答えを出さない時間って好きなんだ、俺)


 ……なんで、こんなお馬鹿な事しか浮かばないんだろ?

 そして、なんで時々……無性に……全部を……壊し。


「今、そんな時間ある? 敏夫? 私はたくさんあるよ。答え出ないこと」


 お月様に囁く。

 答えないけど。

 いいじゃん。

 お月様だけはいつも優しい。

 お日様は火傷するから。


 思い出しちゃった。

 敏夫と月明かりの下、歩いた。

 君と歩いた帰り道。

 私、人間だった。


「お月様、敏夫みたい……」


 私は月を見上げる。


「敏夫。何食べたい? 私、お肉。肉汁たっぷりのお肉……バーベキューのお肉」


 お月様、ぼやける。

 滲んで、消える。

 頬が濡れる。

 ベタベタに、濡れる。


「敏夫。何食べたい? 私ね……去年のクリスマスで食べた……チキンのお肉。一緒だったよね? え? プレゼントくれるの? やった」


 私はすっかりぼやけて、滲んだお月様に囁く。


「……敏夫に笑って欲しい」


 無理なの分かる。

 だって、わたしはゾンビ。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 最近なぜか、上手く立てない。

 からだに力、はいんない。


 でも、敏夫がなんかの注射を管から入れたら動けるようになった。

 やった。

 代わりに身体が痛くなる。

 痛くて痛くて、すぐゴロリ。

 ゴロリと寝転び、ウンウンうなる。


 敏夫、無表情で頷き、何か書き込む。

 お仕事、進んだ?

 良かったね。

 頑張ったんだよ。ねえ、笑って?


 あ、笑った。

 あら、ビックリ。

 でもでも残念。

 私じゃ無い。


 入ってきたのは、綺麗な女性。

 敏夫はニコニコ笑ってる。

 女性もニコニコ笑ってる。

 私は痛くて転がった。

 二人はそのまま出て行った。

 転がる私を置いてって。


 外から聴こえるこんな声。


「時間が無いな」

「国の監査が近いけど……まずくない?」


 わたしはゾンビ。

 怖い怖い、ゾンビ。

 でも……私は女だよ……ね?

 女なんだよ?

 あなたがちょっぴりだけ愛してくれた。


 柵を噛みつき、殴りつけ。

 拳はボロリと崩れ落ち……


 こんな、言葉遊び。

 つまんない。

 もっと、面白い遊びをしたい……


 私の脳みそはボンヤリしてる。

 でも、分かる。


 私に襲いかかったゾンビの気持ちが。

 あなたも……こんな気持ちだったの?


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 月明かりが、綺麗。

 上手く考えることは出来ないけど、柵が開いたのは分かる。

 鍵を閉め忘れ。

 あの女、ウッカリさん。


 私は月明かりの下、歩く。

 そっと、そっと。

 猫のように。


 この実験室を出て……二人を見つける。

 見つけて……どうしよう。

 私はかくれんぼする子供のような気持ちになる。


 お月様、綺麗。

 そっか、敏夫もゾンビになったら……また笑ってくれる。

 また、一緒にお肉、食べよ。


 私はボンヤリと歩いていると、ふと机の上の分厚いファイルに目がとまる。


 敏夫は最近、帰りが遅かった。

 机の上には、見慣れない書類が増えていたんだっけ?


 お馬鹿になっちゃった私に分かるはず無い。

 分かってはいるけど、読んだ。

 ゾンビになる前の彼の最後の一仕事だもん。

 彼女としては知ってあげたい。


 私は開いて読んだ。


 そこには……私の沢山のデータ。

 食べちゃおうか。

 そう思いながら読んでいく私の手、止まる。


 身体が震える。

 なんで……


 そこに書かれていた、沢山の文章。

 難しい文章。

 お馬鹿な私には分かんない。

 でも、分かるのもある。


 私は何度も読み返す。


『少しづつ。亀の歩み。それでも沙織は回復してる』

『沙織を見るのが辛い。でも、治る。彼女は。それまで機械だ。僕は機械』

『人間になった沙織とまた歩きたい。そのためなら……憎まれてもいい』

『沙織の歌、また聞きたい』


 私……名前、沙織だった。


 ポタポタ涙が落ちる。

 私……人間だったんだ……ね?


 フッと一文、目にとまる。


『国の監査機関に聞かれた。バレるとマズい。彼女を匿ってることが。そろそろ彼女と共に逃げようか? 楠さんも理解してくれている。彼女も弟を直したいと思っている同士だ』


「敏夫……さん」


 私はポタポタファイルの上に涙を落とす。

 ゴメンね、お仕事の……汚しちゃって。

 でも……迷惑かけるの、これで最後。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 私は、敏夫のファイルを見ながら、ありったけのお薬の瓶をカバンに詰める。

 そして、敏夫の部屋に行く。


 すると彼と楠さん? だろうと思う女性が二人で沢山の書類を抱えて出てきた。

 二人は私を見て驚く。


 そして……あ……

 思い出した。

 敏夫は私をそんな目で見てた。

 心配する様な目で。


 ごめんね。

 もう、迷惑かけない。

 だから……最後に一回だけワガママ、させて。

 悪い子に……


 私はわざと歯をむき出しにして、グルル……とうなった。

 うなり声、難しい。

 そして、信じてもらうためにうなりながら言う。


「肉……食わせろ……お前ら……」


 二人はギョッとして後ずさり。

 やった。


 私はさらにうなると、二人に噛みつくフリをして隣を駆け抜けた。

 早く……出て行こう。

 でないと、彼が捕まる。


 胸が、ぎゅっと縮む。

 目の前が、滲む。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 お月様、綺麗……


 私は人気の無い街を歩く。

 一人で。

 フラフラしながら。


 敏夫のお薬を飲んで、時々元気になるけど身体が痛い。

 我慢して歩く……けど、我慢しても……


 私はトボトボ歩く。


 廃ビルの横を歩いてると、うなり声。

 見ると、男のゾンビ。

 仲間だ。


 彼はまだ綺麗。

 私よりつやつや。


 彼は私をジッと見る。

 寂しそうに、心細そうに。


 フッと言葉が浮かんだ。

 遠い昔。ずっとずっと昔。誰かが誰かに言ってた言葉。


(ねえ、敏夫。泣いてる人が居るとき、どうすると思う? 私はね……)


 私はゾンビに近づいて言った。


「大丈夫。怖くないよ。一緒に行こっか」

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