第20話 領地改革

 惑星エンドの地殻深く、オメガ・ドックの巨大なゲートが静かに閉ざされた。


 俺たちの乗る『フェンリル』は、再び暗黒の宇宙へとその白銀の船首を向けていた。


 ブリッジのモニターには、超光速通信回線越しにグレイ・ヴォルフ大佐の顔が映し出されている。


 背景には、真新しい訓練用スーツに身を包んだ兵士たちの姿が見えた。


『ボス、いや、閣下。後のことは任せていけ。次に会う時までには、このヒヨっ子たちを、帝国軍が裸足で逃げ出すような精鋭に鍛え上げておく』


 ヴォルフは不敵な笑みを浮かべ、敬礼を送った。


 その目には、かつての「狂犬」としての光と、新たな目的を見つけた男の輝きが同居している。


「頼んだぞ、大佐。資材と食料は自動搬送システムが定期的に供給する。存分に暴れてくれ」


 通信を切ると、俺はキャプテンシートに深く体を沈めた。


 隣には、黒いクラシックスタイルのメイド服に身を包んだ、専属ドロイドの『シズ』が控えている。


 彼女は音もなく紅茶を淹れると、完璧な手つきで俺に差し出した。


「旦那様。アッサムのセカンドフラッシュでございます。温度は最適にしてあります」


「ああ、ありがとうシズ」


 そして、操舵席には、燕尾服を隙なく着こなした初老の紳士が座っていた。


 彼こそが、我がフライハイト男爵家の執事長、『ギリアム』だ。


「旦那様。間もなく超高速航行ハイパードライブに入ります。お嬢様も、シートベルトをお締めください」


 ギリアムが穏やかで落ち着いたバリトンボイスで後方に声をかける。


 そこの豪華なソファには、可愛らしいドレスを着た少女が座っていた。


 『ルル』


 ギリアムと共に処刑ポッドで流され、奇跡的に生き延びた少女。


 俺は彼女を保護し、正式に養女として迎え入れた。


 今ではフライハイト男爵家の令嬢として、無邪気な笑顔を見せてくれている。


「はーい、ギリアム!ねえパパ、次はどこに行くの?新しいお家?」


 ルルが足をぶらつかせながら喜ぶ。


 その笑顔を守るためにも、俺は表の顔である「男爵」としての地盤を固めなければならない。


 裏の軍備は整った。


 次は、領地経営という戦場だ。


「ああ、そうだルル。俺たちの領地の中心、『ノルド・ステーション』へ向かう。そこに新しい屋敷を構えるつもりだ」


「新しいお家!楽しみだなあ」


 俺が帝国の公式記録上で治めることになった「フライハイト男爵領」は、銀河の辺境宙域D-9に位置している。


 領土となるのは、死の星『エンド』、資源採掘基地がある『アグリア』、そしてそれらの中継地点であり、領内の行政中心地となる宇宙ステーション『ノルド』の3つだ。


「……これは、想像以上に酷いですね」


 数時間後。


 ワープアウトしたフェンリルの目前に現れた『ノルド・ステーション』を見て、操舵席のギリアムが眉をひそめ、静かに呟いた。


 かつては資源交易の要衝として栄えたであろう巨大なシリンダー型コロニー。


 だが、今のその姿は、まるで宇宙の漂流ゴミだ。


 外壁は至る所で錆びつき、塗装は剥げ落ち、本来なら美しく輝いているはずの誘導灯も半分以上が消えかけている。


 周囲にはデブリが漂い、整備されていないドックには怪しげな改造船が数隻、死んだ魚のように係留されているだけだった。


「これが、我が領の首都か。前任の代官め、吸い上げるだけ吸い上げて、修理すらしていないな」


「前任者から受け取ったデータと照合いたしました、旦那様。ノルド・ステーションの稼働率は40%以下。環境維持システムに複数のエラー。治安レベルは最低ランクのF。経済状況は……破綻寸前です」


 シズが淡々と、しかし冷徹に数値を読み上げる。


「嘆かわしいことです。旦那様の領地として、あまりにも品位に欠ける状態と言わざるを得ません」


 ギリアムが静かな怒りを込めて言った。


 俺たちがドックに入港しようとすると、その巨体ゆえに管制塔がパニックを起こしていたが、無理やり外壁に接舷させて上陸した。


 エアロックの向こうには、出迎えの役人たちが並んでいたが、彼らの制服は薄汚れ、疲労の色が濃い。


 何より、その後ろから遠巻きに見ている領民たちの姿が痛々しい。


 痩せこけた頬、虚ろな目。


 ルルくらいの年齢の子供たちが、物乞いをするように手を差し出しているのを見て、ルルが俺の服の裾をギュッと握りしめた。


「パパ……みんな、元気がないよ……」


「心配するな、ルル。そのために俺たちが来たんだ」


 俺はルルの頭を優しく撫でると、冷たい視線で役人たちを一瞥した。


「案内しろ。政庁へ向かう」


「は、はいっ!こちらでございます、男爵様!」


 代表と思しき老人が、震える声で頭を下げた。


 恐怖と、諦め。


 どうせ今度の領主も、残った骨までしゃぶり尽くすつもりだろうという絶望が、その背中から滲み出ていた。


 俺は無言で彼らの前を通り過ぎ、かつての代官が使っていたという行政区画の最上層へと向かった。


 そこにある「屋敷」――という名の、悪趣味な装飾品で埋め尽くされた執務室に入ると、ギリアムがすぐに動いた。


 彼は懐から白いハンカチを取り出し、埃の積もった椅子をサッと拭き清めると、俺に勧めた。


「どうぞ、旦那様。……やれやれ、まずは大掃除から始めなくてはなりませんな。処刑ポッドの中よりはマシですが、似たような空気の淀みを感じます」


「頼むよ、ギリアム。屋敷の中はお前に任せる。俺は、外の掃除だ」


 俺は革張りの椅子に座り、指を組んだ。


 男爵としての「表の仕事」。


 それは、この死にかけた領地を、帝国内でも有数の豊かな経済圏へと変貌させることだ。


 それが結果として、俺の軍資金を隠すカモフラージュになり、裏の艦隊を維持する補給線にもなる。


「シズ、領内の監視網はどうなっている?」


「はい。領内には帝国軍の監視衛星が計12基設置されています。以前の代官がサボタージュ監視のために設置した旧式のものですが、現在も稼働しており、主要な航路と居住区を24時間監視しています」


「全基、撤去しろ。俺の領内で、誰かに覗き見されるのは気に入らん。それに、これからやる『事業』を見られるわけにはいかないからな」


「撤去……ですか?帝国への申請が必要ですが」


「事後承諾でいい。『老朽化による軌道逸脱の危険があったため、領主権限で緊急処理した』とでも報告書をでっち上げておけ。どうせ辺境の衛星だ、中央の役人は気にしない」


「承知いたしました。フェンリル、戦術AI起動。対空防御システム、オンライン」


 シズが命令を伝達すると、上空に浮かぶ白銀の巨艦が微かに反応した。


「目標ロック。排除開始」


 数十分後。


 ノルド・ステーションの上空で、次々と小さな爆発が起こった。


 フェンリルの戦術AIが制御する精密射撃によって、12基の監視衛星は瞬く間に宇宙の塵へと変わった。


 これで、この宙域は帝国の監視網から外れた「空白地帯」となった。


 万能物質マターの力は秘密だ。


 一般市民にもその製造過程を見せるわけにはいかない。


 これで、誰の目も気にすることなく作業ができる。


「目は潰した。次は、腹を満てしてやる番だ」


 俺はシズとギリアム、そして「私も行く!」と聞かないルルを連れて、ステーションの工業区画へと降り立った。


 そこは、かつて工場だった廃墟が広がる、ゴーストタウンのような場所だった。


 壊れた機械、崩れかけた天井。


 物陰には、職を失った労働者たちが力なく座り込んでいる。


 俺たち一行――高貴な身なりの男爵、燕尾服の老紳士、美しいメイド、そして愛らしいドレスの少女――という異様な組み合わせを見て、彼らは呆気にとられていた。


「皆、聞け!」


 俺は声を張り上げた。


 廃墟に俺の声が響き渡る。


「俺は新領主、クロウ・フォン・フライハイト男爵だ。今日からこの場所を、俺の直轄工場とする!」


 労働者たちが顔を見合わせる。


 何を言っているんだ、という顔だ。


 工場といっても、ここにはスクラップしかない。


「仕事が欲しいか?飯が食いたいか?」


 俺の問いかけに、一人の男がおずおずと手を挙げた。


「だ、男爵様……。仕事と言っても、機械は全部壊れてます。部品もねえ、電力もねえ……俺たちに何をしろって言うんですか」


「機械なら、今持ってきた」


 俺は指を鳴らした。


 それを合図に、ステーションに横付けされたフェンリルが動いた。


 船体下部にある、巨大な格納庫ハッチが音もなく開く。


「な、なんだ!?」


「地震か!?」


 労働者たちがパニックになる中、フェンリルの腹の中から、巨大な灰色の構造物が降下してきた。


 それは、フェンリルが船内に積載してきた、超巨大なコンテナブロックだ。


 事前に俺が万能物質マターで作り上げ、船に積んでおいた「工場区画」そのものである。


 ガコンッ!


 プシュゥゥゥ……!


 凄まじい音と共に、工場区画が廃墟の上に覆いかぶさるようにドッキングした。


 ロックボルトが打ち込まれ、ステーションの動力パイプと直結される。


 ものの数分。


 廃墟だった空間は、真新しい高層建築物によって完全に上書きされた。


「……え?」


「な、何が起きたんだ……?」


 労働者たちが口をポカンと開けて見上げている。


 目の前にあるのは、ピカピカに磨き上げられた銀色の外壁と、誇らしげに掲げられた『マター・ドロイド・インダストリー』の社章。


「ギリアム、ゲートオープン」


「御意」


 ギリアムが端末を操作すると、工場のゲートが左右に開いた。


 中から溢れ出したのは、清潔な空気と、最新鋭の自動生産ラインが稼働する音だ。


「わあ、パパ!中がキラキラしてるよ!」


 ルルが目を輝かせて歓声を上げる。


「ああ、そうだねルル。これが、パパが用意した『お土産』だよ」


 俺は呆然とする労働者たちに向き直り、説明を始めた。


「見ての通りだ。必要な設備は全て、俺の船で持ってきた。ここで行うのは、我が社が誇るドロイドの生産だ」


 俺はシズに目配せをした。


 彼女が手元のデバイスを操作すると、ホログラムで二つの製品モデルが表示された。


「生産ラインは大きく二つに分かれる。一つは、鉱山労働・土木作業用の産業ドロイド『ワーカー』。頑丈で、安価で、力持ちだ。この錆びついたステーションを直し、アグリアの鉱山を再稼働させるための主戦力だ」


 無骨で頼りがいのあるドロイドの映像に、労働者たちが「おお……」と声を上げる。


「そしてもう一つが、貴族向けの最高級愛玩・警護ドロイド『セラフィム』だ」


 次に表示されたのは、美しい女性の姿をしたアンドロイドだ。


 以前、帝国首都星セントラルで5等民と交換するために使った機体の量産型である。


 その美しさに、労働者たちが息を呑む。


「こちらは富裕層向けの高額商品だ。外装の仕上げからAIの調整まで、芸術品レベルの精度が求められる。お前たちには、これらのラインの管理と、物流を担ってもらう」


 俺は彼らを見回し、力強く宣言した。


「日給は帝国首都星セントラルの最低賃金の2倍。さらに、現物支給として『本物の』食料を1日3食提供する。家族の分もだ」


「ほ、本物の食料……?」


「パンや肉が、食えるのか……?」


「ああ、約束する。俺の工場で働く者には、決してひもじい思いはさせない」


 その瞬間、爆発のような歓声が上がった。


 彼らは涙を流し、俺に感謝の言葉を叫んでいる。


 ルルも嬉しそうに手を叩いている。


 だが、俺の心中には別の思惑があった。


 シズが小声で囁く。


「旦那様。『セラフィム』の生産ライン、裏コードの埋め込み準備も完了しています」


「ああ、分かっている」


 俺は誰にも聞こえない声で答えた。


 貴族たちが喜んで買い求めるであろう、美しき『セラフィム』。


 その全てには、以前のプロトタイプ同様、バックドアが仕組まれている。


 俺の合図一つで、戦闘モードに移行して主人を襲うか、あるいは超小型対消滅縮退炉を暴走させて屋敷ごと吹き飛ばす「動く爆弾」となる機能だ。


 俺は銀河中に、この美しい「トロイの木馬」をばら撒くつもりだ。


 経済を支配しつつ、同時に帝国の支配層の寝室に爆弾を仕掛ける。


 これが俺の、領地経営の真の目的だ。


「さあ、宴だ。今日は領民たちへの炊き出しも兼ねて、盛大にやろう」


「名案です、旦那様」


 ギリアムが微笑み、シズが食材の手配に走る。


 その日のうちに、ノルド・ステーションの空気は一変した。


「一夜城の工場」の噂は瞬く間に広がり、俺は救世主として迎えられた。


 だが、光が強くなれば、影もまた濃くなる。


 数ヶ月後。


 屋敷の執務室で、シズが報告書を持ってきた。


「工場の稼働率は120%。『ワーカー』は近隣の開拓業者に、『セラフィム』は近隣の貴族たちに飛ぶように売れています。特に『セラフィム』は、その美しさと高性能さから、社交界でのステータスになりつつあるようです」


「ククッ、愚かなことだ。自分たちの金で、自分たちを殺す兵器を買っているとも知らずにな」


 俺は窓ガラスに映る自分の顔を見た。


 慈悲深い領主の顔と、冷酷な復讐者の顔。


「しかし、これだけ派手にやれば、近隣の領主や商会が黙っていないのでは?」


 ギリアムが紅茶のおかわりを注ぎながら、静かに懸念を示す。


「だろうな。『ゴミ溜め』がいきなり黄金を産み出し始めたんだ。ハエたちが寄ってくるだろう。……だが、それも想定内だ」


 その時、執務室の通信機が鳴った。


 港湾管理局からの緊急通信だ。


『男爵様!大変です!未確認艦影多数!識別信号は……宇宙海賊団『ブラッド・ファング』です!こちらへ向かってきます!』


「宇宙海賊か……。ギリアム、来たぞ」


 俺は立ち上がり、マントを翻した。


「経済の次は、治安の回復だ。領民たちに、新しい領主の『力』を見せてやるとしよう。ギリアム、フェンリルを出せるか?」


「もちろんです、旦那様。いつでも出撃できるよう、暖機運転は済ませてあります。庭の害虫駆除も、執事の大切な役目ですからな」


 ギリアムが恭しく一礼し、不敵な笑みを浮かべた。


 シズもスカートの埃を払うようにして立ち上がる。


「ルル様は、私がお守りいたします」


「ありがとう、シズ。ルル、少し大きな音がするかもしれないけど、シズと一緒に待っていてくれ」


「うん!パパ、ギリアム、頑張ってね!」


 ルルの声援を背に、俺とギリアムは執務室を出た。


 監視衛星は既にない。


 つまり、誰に遠慮することなく、俺の『万能物質マター』の力をフル活用して暴れられるということだ。


「さて……。平和な商売の邪魔をする不届き者には、相応の教育が必要だな」


 俺は口元を歪めた。


 ノルド・ステーションの夜空に、まもなく海賊たちの断末魔という花火が上がるだろう。


 それは、フライハイト男爵領の独立を告げる、最初の一戦となるはずだ。

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