第18話 狂犬と晩餐
超大型艦専用ポートのVIP専用ドックには、静寂と喧騒が同居している。
分厚い防音ガラスの向こうでは、数多の輸送船や連絡艇が忙しなく離着陸を繰り返しているが、こちらの貴族専用ドック内は空調の低い唸りだけが支配していた。
その中心に鎮座するのは、我が家の乗艦『フェンリル』だ。
その姿は、一言で言えば「神話」だった。
全長3000メートルに及ぶ船体は、最新鋭の流体金属装甲で覆われ、恒星の光を反射して白銀に輝いている。
帝国軍の旗艦ですら足元にも及ばない威容。
滑らかな曲線を描くそのフォルムは、見る者を圧倒し、同時に畏怖させる美しさを持っていた。
俺――クロウ・フォン・フライハイト男爵は、船内のラウンジにある最高級レザーのソファに深く体を沈めていた。
手元には琥珀色のヴィンテージ・ウイスキーが揺れるグラス。
窓の外を見やれば、帝都の過剰なネオンが、汚染されたスモッグを極彩色に染め上げているのが見える。
数時間前、俺はあの街で「買い物」をしてきた。
5万人の命と、未来の火種を。
眼下のドックでは、異様な光景が繰り広げられていた。
管理局の輸送車から吐き出される、薄汚れた灰色の囚人服を着た5万人もの5等民たち。
彼らは怯えたようにフェンリルの巨大なハッチを見上げている。
そして、それと入れ替わるように、フェンリルのハッチから整然と行進してくる一団があった。
美しい女性の姿をした高級ドロイド『セラフィム』。
その数、5万体。
俺たちがフェンリルの工場で急ピッチで生産した、今回の「交換要員」だ。
泥にまみれた人間と、美しき人形たちの交差。
それは帝国の歪んだ価値観を象徴するような、残酷で滑稽なパレードだった。
「マスター。5等民5万名の収容、順調に進んでおります。セラフィム全機の引き渡しも完了。管理局側は、あまりの美しさと品質に腰を抜かしておりました」
傍らに控えていたシズが、澄んだ声で報告する。
クラシカルなメイド服に身を包んだ彼女は、人間ではないアンドロイドだが、その所作はそこらの貴族令嬢よりも洗練されている。
俺はグラスを傾け、氷が触れ合う音を楽しんでから頷いた。
「そうか。ゴミ同然に扱われていた人間たちと、俺たちが作った人形を交換して喜ぶとはな。帝国の連中は本当に見る目がない」
「彼らにとっては、忠実で美しい人形の方が、反抗的な人間よりも価値があるのでしょう。……皮肉な話ですが」
「全くだ。だが、おかげで俺たちは宝を手に入れた」
俺は不敵に笑った。
手放した5万人の人間たちこそが、帝国の土台を崩すための最強の武器になるのだ。
「……で、例の『狂犬』は?」
「最後のグループと共に搭乗しました。ギリアムが案内しております。すぐにここへ連れてくるでしょう」
俺は立ち上がり、エアロックの方へと向かう。
今回の「買い物」の目玉であるグレイ・ヴォルフ元大佐。
彼には、これから俺が作る軍隊の指揮官になってもらわなければならない。
奴隷としてではなく、同志として。
そのためには、まず最初に強烈な「挨拶」が必要だった。
エアロックの扉が開くと、そこには燕尾服を着こなした老紳士――ギリアムに先導され、一人の男が入ってきた。
ボロボロの囚人服。
伸び放題の髭と髪。
痩せこけた体躯からは、かつて大佐と呼ばれた威厳は感じられないように見える。
だが、その瞳だけは違った。
泥に塗れてもなお、決して曇ることのない、ギラついた猛獣の光。
後ろ手には手錠、首には爆発チョーカーが嵌められているが、その立ち姿は決して屈服していない。
「旦那様。お客様をお連れしました」
ギリアムが恭しく一礼して下がる。
ヴォルフはゆっくりと顔を上げ、俺を睨みつけた。
そして、鼻を鳴らして船内を見回した。
「……フン。外見は神々しいまでの白銀の巨艦、中身の主人は若い成金貴族か。俺たち5万人を纏めて買い上げるとはな。そのピカピカの床を磨くための奴隷でも欲しかったのか?」
声は嗄れていたが、その響きには殺気が籠もっていた。
俺は動じることなく、ソファに座ったまま彼を見下ろした。
「ようこそ、我が艦フェンリルへ。俺がこの船のオーナー、クロウ・フォン・フライハイト男爵だ。挨拶代わりの減らず口、嫌いじゃないぞ」
「挨拶だと?首輪に繋いでおいて、よく言う」
ヴォルフは鼻で笑ってみせた。
その反骨精神こそが、俺が求めていたものだ。
俺はシズに目配せをした。
彼女は無言で歩み寄ると、ヴォルフの首に嵌められた分厚い金属の首輪――奴隷管理用の爆発チョーカーに手を伸ばした。
「な、何をする気だ……」
ヴォルフが身構える。
だが、シズの指先が高速で動き、電子ロックをハッキングした瞬間。
カシュッ、という乾いた音と共に、首輪が弾け飛んだ。
同時に、手錠も解除され、床に重い音を立てて落下する。
「……あ?」
ヴォルフが唖然として、自分の首筋を触った。
そこにあるはずの、屈辱の象徴がない。
「拘束は解いた。ギリアム、彼をバスルームへ。服も用意してある。臭いままでは、ディナーが台無しだからな」
「き、貴様……正気か?俺は『狂犬』だぞ?首輪を外せば、貴様の喉笛を食いちぎるかもしれんのだぞ!それに、下のデッキに押し込んだ5万人もそうだ。全員の首輪を外したと聞いたが、暴動が起きたらどうするつもりだ!」
「やりたければやればいい。だが、俺を殺してもお前の腹は膨れないし、帝国が変わるわけでもない。それに、俺はお前たちを奴隷として買ったわけじゃない。『客』として招待したんだ」
俺は呆気にとられるヴォルフに背を向け、グラスを置いた。
「ギリアム、丁重にもてなしてやれ。それと、医務室でメディカルチェックもな。長い収容所暮らしでガタが来ているだろう。夕食は19時だ。遅れるなよ」
「畏まりました。さあ、こちらへどうぞ、ヴォルフ様。まずは温かいお湯で、旅の疲れを癒やしてくださいませ」
ギリアムに促され、ヴォルフは狐につままれたような顔で、よろよろと歩き出した。
その背中を見送りながら、俺は確信した。
彼はまだ折れていない。
ただ、怒りの向け先を見失っているだけだ。
ならば、俺がその矛先を定めてやればいい。
数時間後。
船内のメインダイニングは、柔らかな照明に包まれていた。
磨き上げられたマホガニーの長テーブルには、純白のクロスが敷かれ、銀の食器が煌めいている。
そこに並ぶのは、帝国の一般市民でさえ一生にお目にかかれないであろう、極上の料理たちだ。
風呂に入り、髭を剃り、仕立ての良いスーツ(マター製)に身を包んだグレイ・ヴォルフが、緊張した面持ちで席についている。
先程までの浮浪者のような姿は消え、その顔つきには歴戦の指揮官としての知性が戻っていた。
俺の隣には、愛娘のルルが座っている。
彼女は新しいドレスを着て、少し緊張しながらも、ヴォルフにペコリと頭を下げた。
ヴォルフは驚いたように目を見張った。
まさか、こんな「成金男爵」の船に、こんなに可憐な子供がいるとは思わなかったのだろう。
だが、彼の目はすぐにテーブルの上の料理に釘付けになった。
「これは……本物の、肉か?」
彼の目の前に置かれたのは、分厚いローストビーフだ。
マターで生成した最高品質の牛肉。
合成タンパク質で作られた代用肉ではない。
かつて絶滅した牛という生物の、完全な再現食だ。
滴る肉汁、芳醇な香り、大して鮮やかな赤身の色。
付け合わせには、瑞々しい緑色のブロッコリーと、鮮やかなオレンジ色の人参のグラッセ。
どれもが、有機的な生命の輝きを放っていた。
「ああ、そうだ。合成食料でも、リサイクルペーストでもない。正真正銘、土と水と太陽が育てた(ということになっている)有機食材だ」
俺はグラスを掲げ、乾杯の合図を送った。
「遠慮はいらんぞ、大佐。我が家のシェフ(工場)の腕は銀河一だ。冷めないうちにどうぞ」
ルルも、ニコニコしながら「どうぞ」と手を差し伸べるジェスチャーをした。
ヴォルフは震える手でナイフを握り、肉に刃を入れた。
抵抗なく切れる柔らかさ。
一切れを口に運ぶ。
その瞬間、彼の動きが止まった。
口の中に広がる、圧倒的な旨味。
脂の甘みと、肉本来の野性的な味わい。
そして、噛み締めるたびに溢れ出す肉汁。
それは単なる栄養補給ではない。
「生きている」という実感そのものだった。
5等民として扱われていた彼が、これまで口にしていたのは何だっただろうか。
下水処理場からリサイクルされた水と、家畜の餌にも劣る合成プロテインのブロック。
味などなく、ただ死なないために胃袋に詰め込むだけの物体。
それとの落差は、あまりにも残酷で、あまりにも鮮烈だった。
「……美味い」
ヴォルフが絞り出すように呟いた。
「美味い……本当に、美味い……」
一滴の雫が、彼の頬を伝ってテーブルクロスに落ちた。
かつて数万の艦隊を指揮し、数多の戦場を駆け抜けた鉄の男が、たった一皿の料理の前で涙を流している。
それは、彼が人間としての尊厳を取り戻した瞬間でもあった。
「……だが」
ヴォルフはフォークを置き、真剣な眼差しで俺を見た。
「俺だけが、こんな贅沢をするわけにはいかん。下のデッキにいる5万人の部下たち……いや、同胞たちはどうしている?彼らにも、まともな食事は与えられているのか?」
俺は満足げに頷くと、シズに合図をした。
空中にホログラム・ウィンドウが展開され、下層デッキの様子が映し出される。
そこには、広々とした食堂エリアで、5万人の人々が食事をとっている姿があった。
彼らの手にあるのは、薄汚れた配給パックではない。
湯気の立つ温かいシチューと、焼きたてのパン。
そして新鮮な果物。
ここにあるような高級料理ではないが、十分に栄養価が高く、何より「本物」の食事だ。
皆、泣きながら、あるいは笑いながら、むさぼるように食べている。
「安心してくれ。彼らにも同じ『本物』を提供している。俺の船に乗った以上、階級など関係ない。全員が俺のクルーであり、家族だ。飢えさせるような真似はしない」
その光景を見て、ヴォルフは大きく息を吐き、再び涙を流した。
今度は安堵の涙だった。
「……感謝する。あんたが何者かは知らんが、その心意気、信じよう」
「食え。おかわりはある。酒もな」
俺は静かに言った。
ヴォルフは涙を拭い、今度こそ一心不乱に肉を、野菜を、パンを口に運び続けた。
まるで、空っぽになった魂の穴を埋めるかのように。
食事が進み、ヴォルフの皿が空になり、ワインのボトルが2本ほど空いた頃。
彼の顔色には赤みが差し、瞳には理性の光が宿っていた。
俺たちはラウンジへと場所を移し、食後のコーヒー(これも本物の豆から淹れた絶品だ)を楽しんでいた。
「……俺は、誓ったんだ。二度と、無意味な殺し合いの駒にはならないと」
ヴォルフがポツリと語りだした。
「だが、あんたは違うようだ。5等民を人間として扱い、力を与えようとしている。……その目的は何だ?帝国への反逆か?」
「反逆、というよりは『掃除』だな。俺は俺の都合で帝国を潰す。腐りきった特権階級を引きずり下ろし、新世界秩序を作る。そのために、お前の力が必要だ。兵士を指揮し、俺の剣となってくれ」
俺はヴォルフの目を真っ直ぐに見据えた。
彼はしばらく俺を見つめ返していたが、やがて不敵な笑みを浮かべた。
「……いいだろう。その『力』とやらが本物で、あんたの志が嘘でないなら、この命、預けよう。狂犬としての牙がまだ残っているか、試してみるのも悪くない。下の連中も、腹いっぱい食って元気が戻れば、帝国への恨みを晴らすために喜んで銃を取るだろうよ」
彼は立ち上がり、軍隊式の敬礼ではなく、一人の男として俺に手を差し出した。
俺はその手を力強く握り返した。
分厚く、硬い、戦士の手だった。
「よろしく頼む、司令官」
「ああ。期待に応えてみせよう、ボス(男爵)」
翌日。
帝都での用件を全て済ませた俺たちは、惑星エンドへの帰還の途についた。
フェンリルのメインブリッジ。
俺はキャプテンシートに座り、前方スクリーンに映し出される星の海を眺めていた。
隣には、真新しい制服(マター製)に身を包んだグレイ・ヴォルフが立っている。
その背筋は伸び、昨日の薄汚れた姿は見る影もない。
「全人員、搭乗確認完了。船内各ブロック、異常なし」
シズの報告が入る。
この白銀の巨艦の腹の中には、5万人の新たな仲間たちが眠っている。
彼らは今、帝都を離れる安堵と、これから始まる未知の生活への期待に胸を膨らませていることだろう。
惑星エンドまでの航海で、ヴォルフが彼らを「軍隊」の卵へと育て上げてくれるはずだ。
「帝都を離れます。
操舵席のクルー(自動操縦AI)が声を上げる。
俺たちの船は、他のどの船よりも巨大で、美しく、そして誰よりも速い。
たった一隻で5万人を運び、帝国に喧嘩を売るための力を秘めた箱舟。
「行こうか。俺たちの国へ」
俺の号令と共に、フェンリルは推進器を最大出力へと引き上げた。
背後には、腐敗と繁栄が混ざり合った帝都の輝きが遠ざかっていく。
二度と戻ってくることはないだろう――少なくとも、「客」としては。
次にあの星を訪れる時は、俺たちが彼らを裁く時だ。
「大佐、まずは到着までに5万名の適性検査だ。使えそうな奴をピックアップしてくれ」
「了解した。……フン、久々に腕が鳴るな。下の連中を、目的地に着く頃には一端の兵士に叩き直してやる」
ヴォルフが獰猛な笑みを浮かべた。
頼もしい限りだ。
これで、俺の復讐劇に必要な役者がまた一人揃った。
準備は着々と進んでいる。
帝国が気づいた時には、もう手遅れになっているだろう。
星々が光の線となり、流れていく。
俺は手に入れた新たな「家族」たちと共に、未開の荒野へと帰る。
そこには、無限の可能性と、俺たちが作り上げる未来が待っているはずだ。
俺はグラスに残ったコーヒーを飲み干すと、不敵に笑った。
さあ、忙しくなるぞ。
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