第17話 トロイの木馬

 帝国首都星セントラルの朝は、人工的な光で始まる。


 大気を覆うドームの天井が白く発光し、スモッグに塗れた下層区画まで平等に朝を告げるのだ。


 もっとも、その光がもたらす意味は階級によって異なる。


 この銀河帝国を支配しているのは、絶対的な『身分制度』だ。


 頂点に君臨するのは、神にも等しい権力を持つ『1等民』――すなわち皇族。


 その下に侍り、領土と利権を貪るのが『2等民』である貴族たち。


 経済力を持ち、豊かな生活を許された『3等民』の裕福な市民。


 帝国の大多数を占め、日々を生きるのに精一杯な『4等民』の一般市民。


 そして、人権など存在せず、物として扱われる最底辺の『5等民』――奴隷。


 俺たちは最高級ホテルのスイートで目を覚ますと、軽い食事を済ませてすぐに行動を開始した。


 今日の目的地は、第3区画にある『人材管理局』だ。


「……ここが、人を物のように売り買いする場所か」


 目の前にそびえ立つ無機質なビルを見上げ、俺は独りごちた。


 ガラスと特殊合金で覆われたその建物は、皮肉なほどに清潔で美しい。


 ここには帝国の「資源」である人間たちのデータが集約され、貴族や企業への斡旋、あるいは廃棄処分が決定される場所だ。


 俺の隣には、側近のドロイド『シズ』が控えている。


 彼女の冷徹な美貌は、すれ違う人々の視線を釘付けにしていたが、俺たちが身に纏う高価な衣服と、俺が放つ(ように擬態した)2等民特有の威圧感によって、誰も声をかけてはこない。


 自動ドアをくぐり、広大なロビーへと足を踏み入れる。


 冷房の効いた空気には、微かに消毒液の匂いが混じっていた。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 受付の女性が営業スマイルを浮かべて問いかけてくる。


 その首元には「3等民」を示す銀色のチョーカーが光っていた。


 彼女は裕福な市民階級であり、ここでは「管理する側」の人間だ。


 だが、そんな彼女ですら、帝国という巨大なシステムの一部品に過ぎない。


「5等民の購入を希望している。リストを見せてもらいたい」


「5等民……でございますか?」


 受付嬢が一瞬、怪訝な顔をした。


 無理もない。


 身なりの良い貴族(男爵)風の男が、わざわざ最下層の奴隷である5等民を買いに来たのだ。


 通常、貴族が求めるのは執事や秘書として使える教育の行き届いた3等民や、労働力としてある程度マシな4等民だ。


 犯罪者予備軍や政治犯、あるいは帝国に滅ぼされた亡国の難民で構成される5等民など、即死級の危険な鉱山労働か、放射能除去作業くらいにしか使い道がない「消耗品」だ。


「数は?」


「……あるだけ、と言ったら驚くか?だが、まずはリストを見てからだ」


「か、かしこまりました。別室へご案内いたします」


 俺の言葉に、彼女は慌てて奥の個室へと案内した。


 通されたのは、ふかふかのソファが置かれたVIPルームだった。


 すぐに担当の管理官が現れる。


 小太りで脂ぎった男だ。


 揉み手をしながら現れた彼は、俺が提示したクレジット残高(昨日、持ち込んだ資源を売却して得た莫大な額だ)と、正式な帝国の手続きで叙爵された俺の身分証(男爵位)を見た瞬間、目の色を変えた。


「これはこれは!ようこそお越しくださいました、男爵様!本日は労働力をお探しで?」


「ああ。単なる労働力ではない。『戦力』を探している」


「戦力、ですか……。でしたら3等民の民間軍事会社登録者などがおすすめですが」


「いや、5等民でいい。使い捨てにできる駒が欲しいのでな」


 俺はテーブルに投影されたホログラム・コンソールを操作し、膨大なデータベースにアクセスした。


 ――ズラリと並ぶ、顔写真とスペック。


 そこには、俺の想像を絶する数字が表示されていた。


 帝国の総人口、約1000兆人。


 そのうちの約3割、実に300兆人が、人権を剥奪された5等民――奴隷として登録されている。


 画面を埋め尽くすのは、銀河中から搾取された膨大な命のリストだ。


 名前、年齢、性別、そして「罪状」や「経歴」。


 彼らのほとんどは、かつて4等民や3等民だった者たちだ。


 借金、冤罪、あるいは敗戦。


 様々な理由で身分を剥奪され、5等民という地獄へ落とされた人々だ。


 俺は万能物質マター生産工場を手に入れたことで、物質的なリソースには困っていない。


 戦艦も、武器も、食料さえも無尽蔵に生み出せる。


 だが、唯一生み出せないものがある。


 それは「人間の経験」と「直感」だ。


 俺が作り出した無人艦隊は強力だ。


 AIによる精密射撃は百発百中だし、恐怖を感じずに突撃できる。


 しかし、予想外の事態へのアドリブや、泥臭い地上戦、あるいは占領統治といった場面では、やはり人間が必要になる。


 それに、俺の帝国への復讐には、帝国に虐げられた者たちの手が必要だった。


「条件を絞り込む。元軍属、艦隊勤務経験者、地上戦経験者、もしくは特殊技能持ち。年齢不問。……犯罪歴も不問だ」


 検索フィルターをかける。


 300兆という天文学的な数字が、条件に合わせて圧縮されていく。


 それでも、候補者は星の数ほど残った。


 表示されたプロフィールを順に見ていく。


 かつて戦争で活躍したが、上官のミスを告発して反逆罪に問われた元艦長。


 辺境の惑星でゲリラ戦を指揮していたが、帝国の焦土作戦で故郷を失い、捕虜となった反乱軍のリーダー。


 違法なサイバネティクス手術を受け、軍を追放された元特殊部隊員。


 宝の山だ。


 帝国という歪な社会構造が吐き出した、有能すぎる異端者たち。


 彼らは「協調性がない」「反抗的」「思想に問題あり」というレッテルを貼られ、300兆の底辺の中で腐るのを待つだけの身だ。


「素晴らしい……」


 俺は思わず口元を緩めた。


「こいつらを貰おう。とりあえず、このリストの上から順に5万名ほど」


 一度に運べる人数には限りがある。


 帝国首都星セントラルの超大型艦専用ドックに停泊させてある俺の船、全長3000メートル級戦艦『フェンリル』の定員と、一人ひとりを人間として扱うための受け入れ態勢を考えれば、まずは5万名が限界だ。


 残りはまた後日、あるいは別の手段で確保すればいい。


「5、5万名ですか!?」


 管理官が目を丸くした。


 個人が一度に購入する数としては、あまりに常軌を逸している。


「し、しかし男爵様……少々問題がございまして」


「何だ?」


「お目が高いと言いますか……ご指名の5等民の多くは、現在『所有者』がおりまして」


 管理官が操作すると、リストの多くの顔写真に『所有権:〇〇伯爵家』『所有権:〇〇重工』といったタグが表示された。


「所有者がいる?5等民にか?」


「は、はい。彼らは5等民とはいえ、元は優秀な軍人や技術者です。2等民である貴族の方々は、彼らを私兵として囲い込んだり、危険な実験の被験体としてキープされていることが多く……。市場には出回っているものの、『非売品』扱いの者が多いのでございます」


 なるほど。


 腐った貴族どもめ。


 飼い殺しにしているわけか。


 彼らは優秀な人材を使役するわけでもなく、ただ「持っている」ことで優越感に浸るか、あるいは万が一の時の捨て駒として倉庫に眠らせているのだ。


「金なら払うぞ。相場の10倍……いや、20倍でもいい」


「そ、それが……金銭の問題ではないのです。貴族の方々はプライドが高く、『自分の所有物を手放す』ことを嫌います。特に、出所の知れない成金……いえ、新興の男爵様に譲るとなれば、なおさらでして……」


 管理官は冷や汗を拭いながら申し訳無さそうに言った。


 金で動かないとなると厄介だ。


 だが、ここで引き下がるわけにはいかない。


 俺はシズと視線を交わした。


 彼女は無表情のまま、わずかに頷く。


 プランBだ。


「ならば、物々交換といこう」


「は?交換、でございますか?」


「ああ。貴族たちが喉から手が出るほど欲しがる『最高級の玩具』を提供する。……シズ」


 俺が合図すると、シズが持ち込んだアタッシュケースを開いた。


 中に入っていたのは、数本のデータチップと、小型のプロジェクターだ。


 投影されたのは、一機のドロイドの姿だった。


 滑らかな曲線を描く純白の装甲。


 人間と見紛うほど精巧な人工皮膚。


 そして、見る者を魅了する聖女のような顔立ち。


 俺が所有している工場で生み出した、高級ドロイド『セラフィム』だ。


「こ、これは……?」


「俺が現在、設立準備を進めている『マター・ドロイド・インダストリー』社の試作品だ。数年以内には銀河全土での発売を予定しているが、今回は特別に先行して提供しよう」


 管理官が息を呑んだ。


 帝国の技術でも、ここまでのドロイドを作るには天文学的なコストがかかる。


 外装の美しさだけでなく、関節駆動の滑らかさ、瞳の輝きに至るまで、明らかにオーパーツ級の代物だ。


「戦闘能力は帝国の近衛兵クラス。家事、警護、そして夜の相手まで完璧にこなす。AIはリアルタイム学習型で、主人の好みを完璧に理解する。さらにメンテナンスフリーで、自己修復機能を持ち、エネルギー効率も極めて高い」


 俺は管理官の反応を楽しみながら続けた。


「どうだ? 薄汚い5等民の男一人と、この美しき未来の最高級ドロイド一体。どちらが貴族の屋敷に相応しいと思う?」


「こ、これは……信じられません!これほどの代物を、たかが5等民と交換で!?」


「俺にとっては、ドロイドよりも経験豊富な人間の方が価値があるんだ。この条件で、現在の所有者たちに打診してくれ。『最新鋭の高級ドロイドと、不要なゴミを交換しませんか』とな」


 管理官は震える手で端末を操作し始めた。


 結果は、火を見るよりも明らかだった。


 数分後。


 コンソールに次々と「承認」のランプが点灯し始めた。


「す、すごいです!〇〇男爵、△△子爵、それに××軍事顧問までもが、即決で交換に応じると! 『そんなゴミでいいなら喜んで譲る』との返答が殺到しています!」


 当然だ。


 2等民の貴族たちにとって、反抗的な元軍人の5等民など、扱いに困る粗大ゴミに過ぎない。


 それが、見たこともない最高級の美少女ドロイドに化けるなら、断る理由はどこにもない。


「交渉成立だな」


 俺は満足げに頷き、リスト上の人材が次々と『所有権移行:完了』になっていくのを眺めた。


 ――愚かな貴族どもめ。


 俺は心の中で嘲笑った。


 彼らに提供するドロイド『セラフィム』。


 もちろん、ただの高級ドロイドではない。


 その中枢回路には、俺だけがアクセスできるバックドアが仕組まれている。


 さらに、コア部分には万能物質マターで生成した『超小型対消滅縮退炉』が内蔵されている。


 普段は従順で美しい、最高の召使いとして振る舞うだろう。


 主人の機嫌を取り、屋敷の警備システムを掌握し、貴族たちの生活に深く入り込む。


 だが、ひとたび俺が特定の信号を送れば――。


 彼女たちは一瞬にして殺戮マシーンへと変貌する。


 あるいは、屋敷ごと吹き飛ばす強力な爆弾となる。


 帝国の要人たちの懐深くに、俺の兵隊を送り込んだも同然なのだ。


 まさに『トロイの木馬』。


「では、輸送の手配を頼む。選別した5万名は、超大型艦専用ドックへ送ってくれ。……ああ、それと」


 俺はリストの一番上にあった、一人の男のデータを指さした。


「この男、グレイ・ヴォルフ元大佐も、その5万名と一緒にフェンリルへ送ってくれ。丁寧に扱えよ」


「承知いたしました!グレイ・ヴォルフ……『狂犬』と呼ばれた艦隊指揮官ですね。承りました!」


 管理官は、俺が差し出した莫大な手数料(賄賂)と、ドロイドのサンプルデータを受け取り、今までで一番深いお辞儀をした。


 管理局を出ると、外の空気は相変わらず淀んでいたが、俺の気分は晴れやかだった。


 これで、俺の軍団に「頭脳」と「牙」が加わった。


 そして帝国の喉元には、見えないナイフを突きつけることができた。


 隣を歩くシズが、無感情な声で囁く。


「マスター。『マター・ドロイド・インダストリー』の設立準備と並行して、生産ラインをフル稼働させる必要がありますね」


「ああ、頼むよ。勢いで数年後の発売予定なんて言ったが、このペースだと『プレゼント』としての需要が『爆発』しそうだからな」


「マスター。今日は一段と饒舌ですね。まさか本当に『爆発』するとは思わないでしょう」


 俺たちは待機させていたエアカーに乗り込んだ。


 管理局からフェンリルが停泊するドックまでの移動中、俺は考えた。


 今回の取引で成立した「交換」に必要なセラフィムの数は、50000体。


 それを、今夜の引き渡しまでに用意しなければならない。


 無茶な数だが、やるしかない。


 超大型艦専用ドックに戻ると、全長3000メートルの白銀の巨体、戦艦『フェンリル』が俺たちを待っていた。


 巨大すぎてドックに収まりきらず、船体の一部が外に突き出しているその姿は、周囲の帝国艦艇を子供のおもちゃのように見せている。


 入国管理官たちは、その威容に恐れをなしながらも、「こんな規格外の船を乗り回すなんて、辺境の成金は常識がない」と陰口を叩いていたが、そんなことはどうでもいい。


 俺たちは連絡艇で艦内に入ると、息つく間もなく最深部にある『工場区画』へと直行した。


「シズ、メイン動力炉直結!生産ラインAからZまで、全稼働させろ!万能物質マターの供給、最大出力!」


 俺は上着を脱ぎ捨て、袖をまくりながら叫んだ。


 貴族の仮面は脱ぎ捨てる。今は、エンジニアとしての俺の時間だ。


「了解。『セラフィム』設計図データ、展開。生産プロセス、最適化。……開始します」


 シズがコンソールに指を走らせる。


 ズゥゥゥン……!


 艦の心臓部が唸りを上げ、広大な工場区画の照明が一斉に点灯した。


 そこには、数百本のアームと、ナノマシンを噴出するノズルが林立している。


「急ぐぞ!5万人の命がかかってるんだ!」


 俺はメインコンソールに飛びつき、微調整を開始した。


 本来なら数ヶ月かかる精密機器の製造を、半日で終わらせる。


 そのためには、マターの変換効率を極限まで高め、物理法則ギリギリの速度で分子を構築する必要がある。


 シュウゥゥゥ……!


 銀色の流体金属――万能物質マターが、空中に幾何学模様を描きながら凝固していく。


 骨格ができ、人工筋肉が編み込まれ、シリコンスキンが被せられる。


 一体、また一体。


 美しい女性の姿をした『セラフィム』が、ベルトコンベアの上を流れていく。


 その顔立ちは、聖女のように清らかで、しかし瞳の奥には冷徹な戦闘AIが眠っている。


 そして、その心臓部には、俺が仕込んだ「プレゼント」――超小型対消滅縮退炉が。


「美しく、そして致命的だ。……我ながらいい仕事だ」


 俺は完成したばかりのセラフィムの頬を撫でた。


 温かい。


 人間と見分けがつかない体温と質感。


 帝国の貴族たちは、この温もりに溺れ、そして破滅するのだ。


「マスター、生産ペースが目標値を2.8%下回っています。このままでは納期に間に合いません」


 シズが警告する。


「チッ、冷却が追いついてないのか!排熱ダクトを全開放しろ!ドック内の気温が上がろうが知ったことか!」


「了解。強制排熱モードへ移行。……室温上昇。マスター、水分補給を推奨します」


 工場内がサウナのような熱気に包まれる。


 俺は汗だくになりながら、キーボードを叩き続けた。


 指が痙攣しそうだ。


 だが、止まるわけにはいかない。


 モニターの向こうでは、管理局の輸送車が、5万人の5等民を乗せてこちらへ向かっている。


 彼らを待たせるわけにはいかないのだ。

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