第16話 クロウ・フォン・フライハイト男爵

 辺境交易ステーション『ノルド』のVIPルーム。


 紫煙がくゆり、安っぽい香水の匂いが充満するその部屋で、歴史的な(少なくとも俺たちにとっては)契約が結ばれようとしていた。


「いやはや、クロウ様。……いや、これからは『男爵閣下』とお呼びせねばなりませんな!」


 代官が、テーブルに積み上げられた黄金の延べ棒を愛おしそうに撫で回しながら、猫なで声で言った。


 その浅ましい顔を見ていると、俺は吐き気を催しそうになるのを必死で堪え、努めて尊大な笑みを浮かべた。


「ああ。金は十分に渡したはずだ。手続きに不備はないだろうな?」


「もちろんですとも!の爵位売買法……いえ、『特別寄付による栄典授与制度』に則り、貴方様は正統な帝国貴族として登録されます。何一つ、後ろ暗いことはございません」


 代官は端末を操作し、俺の目の前にホログラムの申請フォームを表示させた。


「さて、ここで重要なのが『家名』です。男爵家を興すにあたり、どのような名を登録されますか?」


 家名。


 俺は少しの間、目を閉じた。


 かつて、俺には姓がなかった。


 5等民には名前しか与えられない。


 番号で呼ばれるか、「ゴミ」と呼ばれるか、そのどちらかだった。


 だが今、俺は自分で自分の名乗りを決めることができる。


 俺の脳裏に、この半年間、共に戦ってきた仲間たちの顔が浮かんだ。


 そして、これから救い出す同胞たちの顔が。


 俺たちが求めているものは何だ?


 力か?富か?復讐か?


 いいや、その根底にあるのは、たった一つの渇望だ。


「……『フライハイト』だ」


 俺は静かに告げた。


「フライハイト……ですか」


 代官が首をかしげる。


古語オールド・タングですな。帝国標準語では確か……」


「『自由』だ」


 俺はサングラス越しに、鋭い光を放った。


「俺は自由を愛する男でね。形式張った貴族社会に、新しい風を吹かせたいのさ」


「ホッホッホ!なるほど、粋なネーミングですな!クロウ・フォン・フライハイト男爵。うーむ、実に響きが良い!」


 代官は何も気づいていない。


 その名が、帝国が最も忌み嫌い、徹底的に弾圧してきた概念そのものであることに。


 俺は帝国の貴族名簿に、革命のスローガンを刻み込んでやったのだ。


「では、家族構成と従者の登録も行いましょう」


 次のフォームが表示される。


 俺は事前に打ち合わせておいた設定を、淀みなく伝えた。


「まずは家臣団の筆頭、執事長としてギリアムを」


「ほう、あの老紳士ですな。知性が滲み出ておられる。元はどこぞの学者崩れ……いやいや、博識な賢者とお見受けしました」


「次に、私設秘書兼メイドとして、シズを」


「あのドロイド……いや、バイオドロイドですかな? あれほどの美人は帝国首都星セントラルでもそうそうお目にかかれませんぞ。羨ましい限りですな」


 代官がいやらしい笑みを浮かべる。


 こいつの目が節穴で助かった。


 もしシズが、かつて異生命体を嬉々として殲滅していた、戦闘用ドロイドだとバレれば、このステーションごと吹き飛ばさなければならなかっただろう。


「そして最後に、養子としてルルを登録する。俺の娘だ」


「おや、あのような可愛らしいお嬢様を?孤児院からの引き取りですか?それとも……」


「詮索は無用だ」


 俺は声を低くして釘を刺した。


「彼女は正当な『フライハイト男爵令嬢』だ。それ以上の説明が必要か?」


「い、いいえ!滅相もございません!ルル・フォン・フライハイト嬢。しっかりと登録いたしました!」


 代官が慌てて入力完了ボタンを押す。


『登録完了。帝国中央サーバーへ送信されました』


 無機質な電子音が、俺たちの運命が変わったことを告げた。


「おめでとうございます、男爵閣下!これにて仮登録は完了です。ですが……」


 代官が揉み手をする。


「正式な叙爵と、貴族IDのロック解除を行うには、やはり本国での手続きが必要です。帝国首都星セントラルにある『紋章管理院』へ出頭し、皇帝陛下の(代理AIによる)認証を受けねばなりません」


帝国首都星セントラル……か」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の胸の奥で、古傷が疼いた。


 全宇宙の中心にして、繁栄と腐敗の象徴。


 俺が生まれ、育ち、そして才能がありながらも「5等民」として弾圧され、最終的にゴミのように捨てられた場所。


 まさか、こんな形で帰ることになるとはな。


「分かった。すぐに向かおう」


 俺は立ち上がり、コートを翻した。


「手間をかけたな、代官。この金は取っておけ。今後も『便宜』を図ってもらうことがあるかもしれんからな」


「へへーっ!ありがたき幸せ!フライハイト男爵家の益々のご発展をお祈り申し上げます!」


 代官が床に頭を擦り付けるのを見下ろしながら、俺は部屋を出た。


 廊下に出ると、シズが待っていた。


「マスター……いや、男爵様。終わりましたか?」


「ああ。芸のない茶番だったがな」


 俺は苦笑いした。


「行くぞ。みんなが待っている」


 ***


 ステーションに横付けされた白銀の巨艦『フェンリル』に戻ると、そこでは奇妙な光景が広がっていた。


「……お似合いですよ、シズさん」


「分析。この衣装のフリル装飾は、空気抵抗を増加させ、戦闘時の機動性を3.5%低下させます。非合理的です」


 シズが、白と黒のクラシカルなメイド服に身を包み、スカートの裾を摘まんで困惑していた。


 いつもは機能的なボディスーツだが、今回は俺の「従者」としての偽装が必要だ。


 ギリアムが選んだその服は、いわゆる「可愛い系」ではなく、格式高い旧時代の宮廷調のロングスカートメイド服だった。


 清楚でありながら、シズの冷ややかな美貌を際立たせている。


「いや、戦闘するわけじゃないからな。あくまで貴族の世話係としての記号だ」


 俺が口を挟むと、シズが振り返り、完璧なカーテシー(膝を折る礼)を披露した。


「イエス・マスター……いえ、イエス・マイ・ロード(旦那様)。貴方様が望むなら、この姿で敵の中枢を殲滅します」


「殲滅はしなくていい。お茶を淹れてくれれば十分だ」


「クロウ殿! 見てくだされ、ルルお嬢様を!」


 燕尾服を着こなしたギリアムが、孫を見るような目で手招きする。


 その先には、深紅のドレスを着たルルが、鏡の前でくるくると回っていた。


「パパ!見て見て!お姫様みたい?」


 ルルが駆け寄ってくる。


 髪は綺麗に結われ、小さなティアラまで乗っている。


 栄養状態が良くなったおかげで、頬には血色が戻り、天使のような愛らしさだ。


 これが、かつて泥の中で咳き込んでいたあの子だとは、誰も思うまい。


「ああ、世界一可愛いよ、ルル。いや、ルル・フォン・フライハイト男爵令嬢」


 俺はルルを抱き上げた。


「パパ……えへへ、パパだって!」


 ルルが俺の首に腕を回す。


 その温もりが、俺の決意をより強固なものにした。


 この笑顔を守るためなら、俺は悪魔にでも、成金貴族にでもなってやる。


「ギリアム、似合ってるぞ。老練な執事そのものだ」


「恐縮です。かつて学問の世界にいた頃、礼法も嗜んでおりましたゆえ。……しかし、まさか再びこのような正装をする日が来るとは」


 ギリアムが目頭を押さえる。


「貴方様は、本当に魔法使いのようですな。ゴミ溜めから、我々をこんな場所まで連れてきてくださった」


「まだだ。ここはスタート地点に過ぎない」


 俺は全員を見渡した。


「これより本艦フェンリルは、帝国首都星セントラルへ向かう。そこは敵の本拠地であり、俺たちを捨てた元凶だ」


 俺の声に、空気が引き締まる。


「だが、今回は逃げ隠れして行くわけじゃない。堂々と、正面玄関から入る。俺たちは『フライハイト男爵家』だ。銀河の辺境で成功した、大金持ちの一行としてな」


「了解。フェンリル、出航準備」


 シズがメイド服のままオペレーター席に座り、コンソールを叩く。


「後方のラグナロクおよび艦隊本隊へ、待機命令を……」


「いや、待て」


 俺はシズの操作を止めた。


 ニヤリと笑う。


「丸腰で虎の穴に入るほど、俺はお人好しじゃない。連れて行くぞ」


「……連れて行く、とは?」


「ラグナロク、および第一機動艦隊10万隻。すべて随伴させろ」


 ギリアムが仰天する。


「な、なんと!?10万隻を帝国首都星セントラルへ!?そんなことをすれば即座に開戦ですぞ! 貴族の身分も吹き飛びます!」


「心配するな。誰が『見せて』行くと言った?」


 俺はモニターを指差した。


「ラグナロクのステルス性能は、帝国の監視衛星を完全に欺けることを実証済みだ。艦隊全艦を『完全隠蔽モード』で航行させる」


 俺は手を広げた。


「フェンリルの後方1光年。そこに、見えない10万隻の軍勢を配置する。俺たちの船は、ただの成金船じゃない。史上最強にして、視認不可能な『用心棒』を引き連れているんだ」


 シズが瞬時に計算を終え、頷く。


「……了解しました。ラグナロクの演算能力をフル活用し、10万隻の光学迷彩と熱源遮断フィールドを常時同期させます。帝国軍のレーダーには、ただの宇宙空間として認識されます」


「そういうことだ。もし帝都で、俺たちの身に何かあれば……あるいは交渉が決裂すれば」


 俺は瞳を細めた。


「その瞬間に10万の砲門が、1光年の距離を一瞬で跳躍して、帝国首都星セントラルを至近距離から狙い撃つ。奴らの喉元に、見えないナイフを突きつけて入国するんだ」


「ククク……恐ろしいお方だ」


 ギリアムが震えながら笑った。


「悪魔も裸足で逃げ出す胆力ですな。承知いたしました」


「よし。行くぞ!」


 ズズズズズ……。


 白銀の超巨大戦艦が、重力を振り切り浮上する。


 その背後の遥か彼方の虚空に、見えない脅威が追従する。


 銀河を滅ぼせるほどの力が、俺たちの背中を守っているのだ。


 俺たちはノルド・ステーションを離れ、星の海へと飛び出した。


 目指すは銀河の中心。


 帝国首都星セントラル


 ***


 超光速航行ハイパードライブによる旅は、数週間で終わった。


「まもなく、首都宙域へ突入します。ワープアウトまで、3、2、1……」


 シズのアナウンスと共に、窓の外の景色が変わる。


 光の帯が収束し、通常の星空が戻ってくる。


 そして、俺たちは「それ」を見た。


「……これが」


 俺は息を呑んだ。


 目の前に広がっていたのは、惑星ではなかった。


 それは、恒星そのものを覆い隠す、超巨大な金属の殻だった。


 帝国首都星セントラル


 星系区分では『ダイソン・スフィア』と呼ばれる、究極の建造物。


 ダイソン・スフィア自体は銀河にいくつか存在しているが、この『帝国首都星セントラル』こそが間違いなく最大であり、最も強固な要塞だ。


 直径、約2億キロメートル。


 中心にある恒星の全エネルギーを独占し、その内側に無限の居住空間を作り出した、人工の世界。


 遠目には、巨大な鋼鉄のボールに見える。


 だが、近づくにつれて、その表面に幾何学的な模様――都市の灯りや、大陸規模の工廠、そして無数に行き交う艦船の光が見えてくる。


「でっかい……!」


 ルルが窓に張り付いて、口をあんぐりと開けている。


 無理もない。


 一つの星系が丸ごと「建物」になっているのだから、距離感が狂う。


「……外から見るのは、これが初めてだ」


 俺は防弾ガラスに手を当てて呟いた。


 俺はここで生まれた。


 だが、俺が知っている「帝国首都星セントラル」は、汚れたパイプと、人工灯の薄暗い光と、閉塞感に満ちた地下区画だけだった。


 俺たち5等民は、この巨大な殻の最下層、あるいは排熱処理区画の周辺に押し込められ、一生外の世界を見ることなく死んでいく。


 外壁がこれほど美しく、威圧的で、神々しいものだとは知らなかった。


「分析。直径1.8天文単位。表面温度、摂氏25度で安定。完全な環境制御下にあります」


 シズが淡々とデータを読み上げる。


「後方確認。ラグナロクおよび随伴艦隊、展開完了。帝国首都星セントラルの防衛ライン外縁、1光年後方の座標にて待機中」


 シズの声は平然としていたが、言っていることはとんでもない。


 今、俺たちの背後には、帝国首都星セントラル防衛艦隊を瞬殺できる戦力が、ワープアウトの号令を待っているのだ。


「こちらセントラル管制。貴船のIDを確認した。フライハイト男爵家の所有艦『フェンリル』だな」


 通信機から、慇懃無礼な声が響く。


「入港を許可する。第3赤道ゲート、超大型艦専用ポートへ進路を取れ。……しかし、また辺境からとんでもない成金が来たものだ。個人で戦艦を乗り回すとは」


 通信が切れる直前、そんな陰口が聞こえた。


「失礼な奴らですな」


 ギリアムが眉をひそめる。


「構わんさ。バカだと思って油断してくれる方が、むしろ好都合だ」


 俺は不敵に笑った。


 管制官は気づいていない。


 この成金船の後ろに、自分たちの命を握る死神がいることに。


 もし俺が指を一本振れば、彼らの自慢の『殻』など、紙屑のように吹き飛ぶのだ。


「着陸するぞ。役者の準備はいいか?」


 フェンリルは誘導に従い、セントラルの赤道付近に開いた巨大なゲートへと向かった。


 ゲートといっても、惑星が丸ごと入るようなサイズだ。


 その中へと、無数の船が吸い込まれていく。


 俺たちの『フェンリル』も、その巨体を滑らせるように内部へと侵入した。


 通過の瞬間、視界が一変する。


 金属の空。


 金属の大地。


 そして、遥か彼方の中心に輝く、人工的に制御された太陽。


「……帰ってきたぞ」


 俺は拳を握りしめた。


 かつてゴミとして排出されたゲートを、今は白銀の巨艦で逆行している。


 ポートに着陸すると、そこには冷たい人工の風と、微かに香る人工香料の匂いがあった。


 タラップを降りる。


「ようこそ、帝国の心臓へ」


 出迎えたのは、形式的な笑顔を貼り付けた入国管理官と、数体の警備ドロイドだった。


 入国管理官は、背後にそびえ立つ全長3000メートルのフェンリルを見上げ、内心で舌打ちをしていた。


 (まったく、辺境の田舎貴族というのは、どうしてこうも常識がないのだ。帝国軍の主力艦ですら、ここまで巨大ではない。こんな軍事要塞のような代物を、個人所有の船として乗り付けてくるとは……。管理するこちらの身にもなってみろ)


 彼女は顔を引きつらせながらも、職務上の笑顔を崩さずに言った。


「手続きを行います。男爵閣下、およびご家族の方は、こちらのゲートへ」


 俺たちはゲートをくぐる。


 スキャン光線が体を走る。


 以前の俺なら、ここで「警告:不法居住者」「警告:5等民」のランプが点灯し、即座に殺処分されていただろう。


 心臓の鼓動が早くなる。


 IDデータは完璧か?


『認証完了。ランク:2等民(下級貴族)。クロウ・フォン・フライハイト男爵。卿を歓迎いたします』


 緑色のランプが点灯した。


 俺は心の中でガッツポーズをした。


 通った。


 俺は今、帝国のシステムに「人間」として認められたのだ。


「問題ないようですね。では、紋章管理院への移動には、こちらのリムジンをお使いください」


 管理官が指差した先には、浮遊式の高級リムジンが待機していた。


 俺たちはそれに乗り込む。


 車は音もなく発進し、透明なチューブの中を滑るように走り出した。


 窓の外には、エキュメノポリス特有の多層都市が広がっている。


 上を見れば、さらに上層の都市基盤が空を覆い、下を見れば、無限に続くビルの谷間がある。


「あそこを見てみろ...」


 俺は窓の外、遥か下方を指差した。


 霞んで見えないほどの深淵。


「あのずっと下が、俺たちがいたスラムだ」


「……あんな深いところに」


 ルルが怖そうに身をすくめる。


「大丈夫だ、ルル。もうあそこには戻らない」


 俺はルルの頭を撫でた。


「俺たちは今、一番上にいる」


 リムジンは数十分の飛行の後、上層区画にある官庁街へと到着した。


 その中心にそびえ立つ、威圧的な黒鉄の塔。


『紋章管理院』


 貴族の叙任や領地の管理を行う、帝国の権威の象徴だ。


 俺たちは車を降り、巨大な扉の前へ立った。


「行くぞ」


 俺はシズとギリアムを従え、ルルの手を引いて歩き出した。


 ロビーに入ると、そこは静まり返っていた。


 床は大理石、天井にはホログラムのシャンデリア。


 そして、カウンターには退屈そうな顔をした官僚たちが座っている。


「あぁ、何の用だ?」


 受付の男が、俺たちを一瞥して言った。


 その目は、俺たちの巨艦と同じように、俺の成金趣味な高級スーツを見て蔑んでいた。


「田舎者が。ここは観光地じゃないぞ」


「叙爵の手続きに来た。ノルド代官所からのデータが届いているはずだ」


 俺は、わざと横柄な態度で言い放った。


「名前はクロウ・フォン・フライハイトだ」


「フライハイト……?」


 男が端末を操作する。


「ああ、あの『金で買った』男爵か。……フン、金さえあれば猿でも貴族になれる時代とは、嘆かわしいものだ」


 男は聞こえよがしに呟いた。


 背後で、シズの拳がピクリと動く。


 俺はそれを手で制した。


「手続きを頼む。時間は金なんだ」


「はいはい。少々お待ちを」


 男は嫌々ながら処理を進める。


「……本人確認、生体認証、DNAスキャン……。すべて一致。寄付金の入金も確認済み。……チッ、金だけは唸るほどあるようだな」


 男は引き出しから、一つの箱を取り出した。


 それをカウンターにドンと置く。


「これを持っていけ。男爵位の証、『貴族指輪ノーブルリング』と、領地経営の許可証だ」


 俺は箱を開けた。


 中には、帝国の紋章が刻まれた、重厚な指輪が入っていた。


 これが欲しかった。


 これさえあれば、俺は帝国の法の下で、5等民を「所有」し、「移動」させる権利を持つ。


 俺は指輪を左手の中指にはめた。


 ずしりとした重みが、指に伝わる。


「ありがとうよ、役人さん。いい仕事だ」


 俺は懐から、金貨を一枚取り出し、カウンターに弾いた。


「チップだ。美味いものでも食え」


「き、貴様……っ!神聖な管理院で、なんという侮辱を!」


 男が顔を真っ赤にして立ち上がる。


「侮辱?感謝の印だよ。それとも、足りなかったか?」


 俺はさらに数枚の金貨を積み上げた。


 男の目が泳ぐ。


 プライドと欲望の葛藤。


 結局、男は震える手で金貨を掻き集めた。


「……手続きは完了した。とっとと失せろ!」


「ああ、そうさせてもらう」


 俺は踵を返した。


 背中で感じる視線は、憎悪と軽蔑、そして羨望が入り混じっていた。


 建物の外に出ると、人工太陽の光が夕暮れのモードに切り替わっていた。


「やりましたな、クロウ殿……いや、旦那様」


 ギリアムが興奮気味に言う。


「これで、貴方様は正真正銘の帝国貴族です」


「ああ。第一関門突破だ」


 俺は指輪を見つめた。


「これで、俺たちは『システムの内側』に入り込んだ。ウイルスのようにな」


 シズがタブレットを提示する。


「次のステップです、マイ・ロード。


 貴族の権利を行使し、5等民の買い取り申請を行うには、『人材管理局』へのアクセスが必要です。


 本日はもう閉庁していますが、明日の朝一番で向かえば、昼には数万人規模の移送許可が下りるでしょう」


「早いな」


「金次第ですので」


 シズが真顔で言う。


「なるほど、腐ってて助かるよ」


 俺は笑った。


「よし、今日はホテルで祝杯だ。帝国首都星セントラルで一番高いホテルを予約しろ。スイートだ」


「了解しました。『グランド・セントラル・ホテル』の最上階を確保します」


「やったー! ホテル!」


 ルルが跳ねる。


 俺たちは再びリムジンに乗り込んだ。


 チューブロードを走りながら、俺は眼下に広がる無限の都市夜景を見下ろした。


 無数の光。


 その一つ一つが、誰かの生活であり、欲望であり、そして犠牲だ。


「待っていろ、同胞たちよ」


 俺は窓ガラスに映る、スーツ姿の自分――「クロウ・フォン・フライハイト男爵」に向かって呟いた。


「この指輪が、お前たちの首輪を外す鍵になる」


 今夜だけは、勝利の美酒に酔おう。


 だが明日からは、銀河史上最大の「爆買い」が始まる。

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