第14話 星の海への帰還

 大規模改修作業の完了から、さらに3日が経過した。


 地下50000メートルの闇に沈んでいた銀色の巨神が、ついにその長い眠りから覚める時が来た。


「全システム、オールグリーン。動力炉、出力安定。流体金属装甲、硬化モードへ移行完了。各部バイタルデータ、すべて正常値の範囲内です」


 ラグナロクの広大すぎる司令室で、シズの凛とした声が響き渡る。


 俺は、かつて銀河連合艦隊の提督が座っていた、一段高い場所にある玉座のようなキャプテンシートに身を沈めていた。


 背中に吸い付くような革の感触。


 目の前に広がる、スタジアムほどもある巨大な空間と、壁一面を埋め尽くすホログラムモニターの群れ。


 そのすべてが、今は俺一人の意思に従っている。


 手のひらに汗が滲むのを感じた。


 恐怖ではない。


 武者震いだ。


「よし。いこうか、シズ。数万年の寝坊助を、散歩に連れ出してやる」


 俺は手元のホログラムコンソールに手をかざした。


 指先が震えないように、意識して力を込める。


「抜錨。重力アンカー、解除。反重力機関、始動」


 ズゥゥゥゥゥゥン……。


 腹の底、いや、魂を直接揺さぶるような重低音が、艦の深奥から響いてきた。


 それはエンジンの音というよりは、巨大な生き物が目覚めの唸り声を上げたかのようだった。


 全長20キロメートル。


 全幅5キロメートル。


 山脈一つ分に相当する途方もない質量が、物理法則をねじ伏せて浮上を開始する。


 本来なら、この規模の物体が動けば、凄まじい轟音と振動が周囲を破壊するはずだ。


 だが、ここには静寂がある。


 俺たちが施した最新の静音駆動システムと、重力制御による慣性中和フィールドが、巨体の動きを羽毛のように軽くしていた。


 コーヒーカップの水面すら揺れない。


「上昇開始。ゲート全解放。目標、惑星エンド衛星軌道」


「了解。メインスラスター、点火」


 俺の操作に合わせて、ラグナロクの艦尾に設置された巨大な重力推進ユニットから、青白い光が噴出した。


 だが、それは燃料を燃やす炎ではない。


 空間そのものを歪曲させ、後ろへ押し流すことで推進力を得る、重力波だ。


 ドヒュゥゥゥッ!!!


 加速。


 モニターの高度計の数字が、目にも止まらぬ速さで跳ね上がっていく。


「深度45000……40000……30000……」


 シズが淡々と読み上げる。


 本来なら乗員が肉塊に変わり、内臓が破裂するほどのGがかかる場面だが、艦内は無重力空間のように平穏だ。


 俺たちは、50000メートルの垂直坑道を、弾丸のような速度で駆け上がった。


 窓の外を、地層の断面が流れる川のように過ぎ去っていく。


「深度10000……5000……まもなく、地上に出ます」


「ベンケイ、通過するぞ!」


 俺はマイクに向かって叫んだ。


『ガハハハハ!見えますぞマスター!銀色の鯨が飛び出してきやがった!』


 断崖絶壁の上で作業をしていたベンケイの声が一瞬だけ交差し、すぐに彼方はるか下方へと置き去りにされた。


 分厚い岩盤を抜け、酸の雨を降らせる重金属の雲を突き破る。


「光だ……!」


 ルルが叫んだ。


 視界が真っ白に染まる。


 そして次の瞬間。


 俺たちの目の前には、永遠に続く漆黒 of 宇宙と、無数に輝く星々が広がっていた。


「……到達しました。高度300キロメートル。衛星軌道上です」


 シズがあっさりと告げる。


 地下を出てから、わずか数分の出来事だった。


 俺は重力制御を調整し、ラグナロクを軌道上で静止させた。


 シートから立ち上がり、メインスクリーンを見上げる。


 眼下には、巨大な惑星エンドが浮かんでいる。


 灰色と茶色に濁った、ゴミと汚染の星。


 所々に酸の海が光り、大陸の形すら判別できないほど荒れ果てた大地。


 だが、こうして宇宙から見下ろすと、そこにかつて俺たちが這いつくばっていた悲惨さは微塵も感じられない。


 ただ、静かに回転する一つの天体があるだけだ。


「……見ろよ。あんなに小さく見える」


 俺は防弾ガラスに手を当てた。


 冷たい感触。


 つい数日前まで、あの地表で酸の雨に怯え、泥水をすすり、今日を生き延びることだけに必死だった。


 今は、自分が神のような視点で星を見下ろしている。


 感慨深いなんて言葉じゃ足りない。


 人生がひっくり返った瞬間だった。


「警告。帝国軍の監視衛星、接近」


 シズの鋭い声で、俺は現実に引き戻される。


 モニターのレーダー画面に、赤い光点が近づいてくる。


「本艦との距離100km。高解像度光学カメラおよび熱源エネルギーセンサーによるスキャンが行われています。帝国軍監視衛星です」


「……へぇ、こいつか」


 俺は、モニターに映し出された無機質な機械の塊を睨みつけた。


「地上の俺たちをコソコソと覗き見しやがっていた元凶は、こいつだったわけだ。ステルス機能の首尾はどうだ?」


「完璧です。流体金属装甲がレーダー波を100%吸収し、熱光学迷彩が背景の宇宙空間をリアルタイムで投影しています。奴らのモニターには、何も映っていません」


 俺はニヤリと笑った。


 目の前を、帝国の無人偵察衛星が通過していく。


 無機質なレンズがこちらを向いているが、何の反応も示さない。


 かつては恐ろしい「監視の目」だったそれが、今はただのブリキのおもちゃに見えた。


 俺たちはここにいる。


 最強の戦艦に乗って、奴らの喉元にナイフを突きつけている。


 だが、奴らは気付かない。


 裸の王様はどちらかな?


「……痛快だな」


 俺はシートに戻り、全員に向き直った。


 広い司令室の中央に、円卓のホログラムが表示される。


「さて、散歩は終わりだ。これより、今後の方針を決める作戦会議を行う」


 メンバーは俺、シズ、ベンケイ(地上からの通信参加)、そしてギリアム。


 ルルはお菓子を食べながらのオブザーバー参加だ。


「まずは、拠点の完全移設についてだ」


 俺は空中に工場の図面を表示させた。


「地表付近に残してきた『万能物質マター生産工場(初期拠点)』の設備一式、およびグランド・タンク。これらをすべて回収し、このラグナロク、および地下のオメガドックへ完全移設する」


「賛成です」


 シズが即答する。


 手元のパッドを操作しながら、彼女は補足した。


「地表は環境が悪すぎますし、いつ帝国軍の直接攻撃を受けるか分かりません。地下50000メートルのオメガドックなら、帝国軍の攻撃を受けても耐えうるシェルターになります。それに、このラグナロクの第一格納庫には、グランド・タンクを100台収納しても余りあるスペースがありますから」


「ああ。これからは、この船そのものを『移動する工場』にする。生産能力をここに集中させ、効率を最大化するんだ。地表に残してきたグランド・タンクも、この後回収に向かう」


 俺は次のスライドを表示した。


 そこには、地下ドックに眠る残り1000万隻の艦隊が映し出されている。


 まだ改修されていない、眠れる巨人たちだ。


「次に、残りの艦艇の改修についてだ」


 ギリアムが眉をひそめる。


「しかしクロウ殿。ラグナロク一隻でさえ大変な労力でした。残り1000万隻すべてに、同じような流体金属コーティングとドロイド配備を行うとなると……百年あっても足りませんぞ」


 彼の懸念はもっともだ。


 俺たち4人の手作業では、寿命が尽きる方が早い。


「普通にやればな。だが、俺には考えがある」


 俺は指をパチンと鳴らした。


「『自己増殖』だ」


 シズが目を輝かせた。


「ラグナロクに搭載した工場システムを使って、まずは『自動工作艦』を100隻ほど生産する。その工作艦が、周囲の艦を改修する。改修された艦は、さらに次の艦を改修する機能を持つ……。ネズミ算式に作業速度を増やしていくんだ」


 俺はモニターのグラフを指差した。


 最初は緩やかなカーブだが、途中から垂直に近い角度で上昇していくグラフだ。


「計算上、最初の1ヶ月は立ち上がりが遅いが、数が揃えば爆発的に早くなる。すべての工程を自動化し、俺たちが寝ている間もドロイドたちに働いてもらう。半年だ。半年で全艦隊の改修が終わるはずだ」


「半年で……1000万隻を!?」


 ギリアムが絶句し、髭を震わせている。


「問題は『資源』だ。万能物質マターは等価交換が原則。1000万隻分の装甲とドロイドを作るには、膨大な同等の質量が必要になる」


 俺はモニターに向かって呼びかけた。


「それには、ベンケイ、お前の力が必要だ」


 画面の中のベンケイが、巨大なショベルアームを掲げて敬礼する。


『任せてください、マスター!地表には、まだまだ帝国のゴミ山が無限にあります!俺が拡張ユニットを使って、根こそぎ回収し、万能物質マター製造工場へ放り込みます!この星のゴミを全部食らい尽くす勢いでやりますよ!』


「頼むぞ。俺たちの軍隊は強くなる。この星を綺麗にしながら、最強の艦隊を作る。一石二鳥だ」


 俺は会議の締めくくりに入った。


 表情を引き締め、全員の目を見る。


 ここからが本題だ。


「そして、最後にもう一つ。俺たちが何のために力を蓄えるか、だ」


 俺は拳を握りしめた。


「ただ生き延びるためだけなら、このままステルスで隠れて、宇宙の果てへ逃げることもできる。誰もいない星で、この艦隊に囲まれて暮らすのも悪くないかもしれない」


 一瞬、俺の脳裏に、かつての仲間の顔が浮かんだ。


 才能がありながらも「5等民」というだけで捨て石にされた友人たち。


 スラムで飢え、病に倒れていった同胞たち。


 今も、帝国の圧政の下で、家畜のように扱われている人々。


 俺は、彼らの無念を知っている。


 俺は、彼らの痛みを知っている。


「だが、俺はそれを良しとしない」


 俺ははっきりと言った。


「俺は、助けたい」


 その言葉は、俺自身の心の中から自然と湧き上がってきたものだった。


「この力を使って、帝国内にいる5等民たちを救済する。鎖を断ち切り、彼らに自由と、戦うための力を与える。帝国という巨大なシステムに、風穴を開けるんだ」


 沈黙が降りた。


 それは重苦しいものではなく、決意を共有するための静寂だった。


「……素晴らしいです、クロウ殿」


 ギリアムが涙ぐんでいる。


「私のような老いぼれが、まさか革命の瞬間に立ち会えるとは……。この命ある限り、貴方様にお仕えしますぞ」


「ボクも!ボクもてつだう!みんなをたすけるの!」


 ルルが元気に手を挙げる。


 シズは静かに微笑み、深く一礼した。


「イエス・マスター。貴方様が望むなら、この身は銀河の果てまで、破壊と再生の鉄槌となりましょう。貴方様のエンジニアとしての理想を、実現させてみせます」


『やりましょう、マスター!俺たちの暴れっぷりを、銀河中に見せつけてやるんです!5等民の底力、思い知らせてやりましょうや!』


 ベンケイが拳を合わせる音が、スピーカー越しに響く。


 俺は頷いた。


 胸の奥が熱い。


 これが、仲間だ。


 これが、俺たちのチームだ。


「決まりだ。総員、配置につけ!まずは引っ越し作業だ!断崖の上のグランド・タンクを回収し、オメガドックを難攻不落の『要塞』化する!そして半年後……」


 俺は眼下の青く淀んだ星を見下ろした。


 その向こうに広がる、帝国の支配領域を睨みつける。


「俺たちは、銀河最強の無人艦隊を率いて、帝国のド真ん中へ殴り込みをかける」


 戦いは、次のステージへと進んだ。


 もう逃げ隠れするネズミではない。


 俺たちは、星を喰らい、銀河を覆す「龍」になったのだ。

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