第13話 近代化改修

「グランド・タンク」を、遥か頭上の断崖に残してきてから、丸二日が経過した。


 俺たちは今、地下50000メートルに広がる「鋼鉄の海」の底。


 超弩級戦艦『ラグナロク』の中枢、艦橋にある司令室にいた。


「……信じられん」


 俺は司令室の中央に浮かぶ巨大なホログラムテーブルに映し出された、ラグナロクの解析データを睨みながら呻いた。


 全長20キロメートル。


 全幅5キロメートル。


 全高3キロメートル。


 単なる戦艦ではない。


 これは、宇宙を航行するために作られた「人工の大地」だ。


 司令室の広さだけでも、ちょっとしたスタジアムほどもある。


 天井は高く、壁一面には無数のモニターが並び、かつては数千人のオペレーターがここで働いていたのだろう。


 今は俺とシズ、そして居住区画から遊びに来ているルルとギリアムだけだ。


 動力炉は、『対消滅縮退炉』を4基搭載。


 主砲は、大陸一つを消滅させる威力を持つ『大出力レーザー砲』


 装甲材質は、最上級の金属『オリハルコン』と『ヒヒイロカネ』の複合合金


 スペックを見るだけで、ヨダレが出そうになる。


 だが。


「……古いな」


 俺は冷静に分析した。


 傍らで、シズが冷たいコーヒーを注ぎながら頷く。


「はい、マスター。基礎設計は素晴らしいですが、システム思想が数万年前のものです。物理的な強度は高いですが、エネルギー伝達効率のロスが大きく、シールドの応答速度も現代の戦闘速度に追いつけない可能性があります」


「ああ。それに、オリハルコン装甲は頑丈だが、一度傷つくと修復に時間がかかる。今の帝国の兵器は、高出力ビーム兵器が主体だ。熱による溶解攻撃を受ければ、いくら伝説の金属でも蒸発する」


 俺は腕を組んだ。


 俺はエンジニアだ。


 目の前に「改善の余地」があるのに、それを放置することなどできない。


 ましてや、これは俺たちの新しい家であり、帝国へ反撃するための唯一の剣だ。


 中途半端な状態で宇宙へ上げるわけにはいかない。


 幸い、ここには「材料」だけは売るほどある。


 オメガドック内には、旧時代の艦隊を維持・補修するための膨大な資源が備蓄されたまま眠っていたのだ。


 高純度エネルギー鉱石、レアメタル。


 これらを使えば、俺の工場を次の段階へ進めることができる。


「やるぞ、シズ。まずは工場のアップグレードだ」


「了解。備蓄資源を使用。……万能物質マター製造工場、レベルアップシークエンスを開始します」


 シズがコンソールを操作すると、ドック全体が低い唸りを上げた。


 備蓄されていた資源が、次々と光の粒子となって分解され、俺の工場システムへと吸収されていく。


『レベルアップ完了。万能物質マター製造工場、レベル3へ到達しました』


 無機質なアナウンスと共に、俺の目の前に新しいウィンドウが開いた。


【惑星破壊兵器・対消滅縮退砲スーパー・ノヴァ】【ナノマシン含有型・流体金属装甲】


 ……とんでもないものがアンロックされたな。


 特に惑星破壊兵器。文字通り、星を一つ消し飛ばす力だ。


 だが、今の俺たちにはこれくらいの牙が必要だ。


「よし、近代化改修オーバーホールを開始する。この老いぼれた王様を、俺たちの技術で『現代』の最強に生まれ変わらせる」


 俺はニヤリと笑った。


「フェーズ1。装甲の全面換装だ。ただの張り替えじゃない。解放されたばかりの新素材……【ナノマシン含有型・流体金属装甲】を使用する」


 シズの目が微かに見開かれた。


「……流体金属装甲。理想の素材ですね。物理的衝撃に対しては硬化し、エネルギー攻撃に対しては拡散・吸収を行う。さらに、破損箇所をナノマシンが自動修復する、不死身の装甲」


「その通り。こいつで、ラグナロクの全身をコーティングする。20キロメートルの巨体を、だ」


 それは、正気の沙汰ではない計画だった。


 通常のドックなら、数十年かかる大工事だ。


 だが、俺には万能物質マターがある。


 そして、その工場本体グランド・タンクは、今まさに俺たちの頭上、50000メートルの断崖の上に鎮座している。


「通信回線、開くぞ。……おいベンケイ、聞こえるか?」


 俺は司令室のメインコンソールに向かって叫んだ。


 ザザッ……というノイズの後、野太い声が返ってくる。


『感度良好オールグリーンです、マスター!こちらの天気は最悪ですよ。酸の雨が土砂降りです!』


「そいつは好都合だ。雨の日は掃除に限るからな。……準備はいいか?」


『いつでもどうぞ!供給ライン、接続済みです!』


「よし。フェーズ1、開始スタート!グランド・タンクの生産プラント、最大出力!生成した流体金属装甲を、アンビリカル・ケーブルを通して全力で送り込め!」


 俺の号令と共に、遥か頭上の闇から垂れ下がっている、極太のパイプラインが脈動した。


 それは、グランド・タンクから地下ドックまで、垂直に50000メートルを繋ぐ供給管だ。


 成層圏に届きそうなほどの距離を落下してくる万能物質マターの圧力は、凄まじいものになる。


 グオオオオオオオォォォッ……!


 パイプの中を、高圧縮された流体金属装甲が駆け巡る音が、地底に響き渡る。


「噴射開始!」


 ドボォォォォォォッ!!


 司令室のメインスクリーンに、船外の様子が映し出された。


 それは、圧巻の光景だった。


 パイプの先端から、銀色の輝きが滝のように溢れ出した。


 水ではない。


 何兆、何京という数の極小ナノマシンが結合した、生きた金属の奔流だ。


 粘性を持った銀色の波が、ラグナロクの漆黒の船体を覆っていく。


 通常なら弾き返されるところだが、流体金属はまるで生き物のように船体へ吸い付いていく。


 数千年の眠りで生じた微細なクラックに入り込み、表面を覆い、分子レベルで既存の装甲と融合していく。


 黒かった巨艦が、見る見るうちに鏡のような輝きを帯びた銀色へと染まっていく。


「装甲定着率、10%……20%……。順調です。ナノマシンの自己増殖機能、正常に作動中」


 シズがモニターを見つめながら報告する。


「船体重量、わずかに増加。ですが、構造強度は従来比の500%を計測しています。これなら、恒星のプロミネンスの中に飛び込んでも無傷でいられます」


「最高だ。美しいよ、ラグナロク」


 俺はスクリーンの映像に見入った。


 ただ硬いだけじゃない。


 この流体金属は、俺の意思一つで形状を変えることもできる。


 必要に応じて装甲をパージしたり、棘のように変形させて敵艦を貫くことも可能だ。


 まさに、生きた要塞。


 だが、ハードウェアだけでは不十分だ。


 この巨体を維持するには、圧倒的に「手」が足りない。


 戦艦は巨大な都市だ。


 全長20キロメートルともなれば、内部の通路の総延長は数万キロにも及ぶ。


 配線の修理、弾薬の運搬、船内の清掃、火災の消火。


 それらをたった4人でこなすのは物理的に不可能だ。


「フェーズ2、移行。この船に『血液』を流すぞ」


 俺は次のコマンドを入力した。


「自律型作業ドロイド、生産!」


 シュオオオオオォン……!


 頭上のパイプラインから、今度は無数のカプセルが吐き出された。


 カプセルは空中で弾け、中から光の粒が飛び出す。


 それは、俺が同時並行で製造していた、小型の作業用ドロイドたちだ。


 大きさはバスケットボールほど。


 球体のボディから、多機能アームとスラスターが伸びている。


 特に愛称はない。


 ただの道具だ。


 だが、最高の働き手たちだ。


 その数、100万機。


「行け!船内の隅々まで点検しろ!錆びついいた回路は繋ぎ直せ!切れた電球は取り替えろ!床を磨き、壁を塗り直せ!この船を、建造時と同じに……いや、鏡のように磨き上げるんだ!」


『『『ピピピッ!ギギッ!ラジャー!ラジャー!』』』


 無数の電子音が合唱し、光の群れがラグナロクの艦内ハッチへと吸い込まれていく。


 ドックの闇の中を、100万の光が乱舞する様は、まるで銀河そのものが地上に降りてきたかのようだった。


「わぁ……!きれい……!おじちゃん、星が降ってきたみたい!」


 司令室の片隅で、ルルが窓に張り付いて歓声を上げている。


 ここからは、ドック全体が見渡せる。


 漆黒の空間に、銀色に輝く船体と、その周囲を舞う光の粒子。


「ほほう……。クロウ殿は、星屑まで操る魔法使いになられたか」


 ギリアムも目を細めて、窓の外の光景に見入っている。


 艦内モニターには、ドロイドたちの働きぶりが映し出されている。


 暗かった通路に次々と明かりが灯っていく。


 埃を被っていた床が、鏡のように磨き上げられていく。


 止まっていたベルトコンベアが動き出し、物資の搬送が始まる。


 死んでいた巨人の血管に、新たな血液が巡り始めたのだ。


 だが。


 これだけの大規模改修を行うには、当然ながら莫大な「代償」が必要になる。


 万能物質マターは魔法ではない。


「等価交換」が原則だ。


 オメガドックの資源備蓄分だけでは、いずれ枯渇する。


 手元のインベントリ管理モニターでは、工場の在庫ゲージがものすごい勢いで減り続けていた。


【警告:万能物質マター残量、低下。残り5%】


 シズが無機質に告げる。


「マスター。万能物質マターが枯渇します。このままでは、装甲のコーティングが不完全な状態でストップします」


「分かってる。だから、あいつを50000メートル上に残してきたんだ」


 俺はインカムのスイッチを入れた。


「ベンケイ!在庫が切れそうだ!飯の時間はまだか!?」


 頭上のスピーカーから、豪快な笑い声が降ってくる。


『ガハハハハ!お待ちどうさま!ちょうど今、特大の獲物を捕まえたところです!』


 モニターを切り替える。


 映し出されたのは、遥か彼方、50000メートル頭上の世界。


 断崖絶壁の上にある、地表付近の「ゴミ捨て場」だ。


 そこでは、地響きと共に、とんでもない作業が行われていた。


 俺たちを降ろした後、ブースターで再び崖の上へと舞い戻ったベンケイが、拡張作業ユニットを装着して暴れまわっていたのだ。


『オラオラオラァッ!!食え食えぇッ!!』


 全高10メートルのベンケイが、自身よりも巨大な瓦礫の山を鷲掴みにしている。


 それは、かつての大戦で撃墜された巡洋艦の残骸や、酸の雨で崩壊した高層ビルの成れの果てだ。


 ベンケイはそれを、グランド・タンクの後部に展開された巨大な「粉砕・投入口ホッパー」へと放り込む。


 ガガガガガガガガッ!!


 轟音と共に、鉄屑が粉砕される。


 分子レベルまで分解され、データ化され、そこから伸びる50000メートルのパイプラインを通って、地底の俺たちのもとへ送られてくるのだ。


『マスター!この辺りには、旧時代のレアメタルを含んだスクラップが山のようにあります!食べ放題です!おや、あれは……先日の戦闘で焼き払った変異体の死骸ですね!』


 ベンケイは楽しそうに、黒焦げになった巨大甲殻類の死骸を引きずり、粉砕機へ押し込む。


 その瞬間、手元のタブレットで確認していた資源量が、ギュンッと跳ね上がった。


万能物質マター供給、回復。生産ライン、フル稼働を維持】


「ナイスだ、ベンケイ!もっと食わせろ!装甲の次は、主砲の換装だ!腹が減っては戦いくさはできんからな!」


『了解!北側に、未開封のコンテナ群を発見!デザートに行きます!』


 ドゴォォォォォン!!


 地表での破壊音が、遥か地下まで微かに響いてくる。


 たまらない。


 俺は司令室の椅子に深く座り直し、震える手でコーヒーを啜った。


 エンジニアとして、これ以上の至福があるだろうか。


 帝国が捨てたゴミ。


 俺たちを苦しめた瓦礫。


 忌まわしい変異体の死骸。


 それらが今、銀河最強の剣と盾に変わっていく。


 リサイクルなんて生易しいもんじゃない。


 これは「転生」だ。


 ゴミ山から、神が生まれる瞬間だ。


 俺の指先一つで、伝説の巨神がさらに進化していく。


「……くくっ、はははは!」


 笑いがこみ上げてきた。


 腹の底から、止めどなく。


「どうしました、マスター?脳内物質の分泌量が異常値です。過労による錯乱ですか?」


 シズが真顔で心配そうに覗き込む。


「いや、違うさシズ。ワクワクしてるんだよ」


 俺は、完全に銀色に輝き始めたラグナロクのモニターを見上げた。


 そのシルエットは、もはや旧時代の遺物ではない。


 滑らかな曲線を描く流体装甲。


 内部で蠢く100万のドロイド。


 そして、その中心には、俺たちが育てた最強のAI『オーディン』が眠っている。


「想像してみろよ。あの見下していたゴミ捨て場の底から、こんな化け物が飛び出してくるんだぞ? 帝国の連中、どんな顔をするかな」


「……シミュレーション結果。99.8%の確率でパニック状態に陥り、指揮系統が崩壊。残りの0.2%は、恐怖のあまり失禁して気絶するかと」


 シズが淡々と答える。


「違いない」


 俺たちは顔を見合わせて笑った。


 準備は着々と進んでいる。


 流体金属の皮膚を持ち、100万のドロイドを血液とし、無限の資源を胃袋に詰め込んだ、不沈の要塞。


 新生ラグナロクの産声が上がるまで、あと少し。


「さあ、仕上げだ。ベンケイ、あと山3つ分くらい瓦礫を送れ!


 新しく手に入れた……惑星破壊兵器『対消滅縮退砲スーパー・ノヴァ』を実装してやる!」


『了解!』


 俺たちの反逆の準備は、加速度的に、そして爆発的に整いつつあった。


 地下50000メートルの闇の中で、銀色の巨神が、静かに目を覚まそうとしていた。

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