第12話 超弩級戦艦ラグナロク
「グランド・タンク」のホバーユニットが、重々しい排気音と共に停止した。
長い、長い旅の終わりだった。
6万キロメートルを俺たちは走り抜けた。
酸の雨に打たれ、変異体の群れを焼き払い、時には
そうして辿り着いた場所は、世界の果てと呼ぶにふさわしい場所だった。
「……ここが、終着点か」
俺はキャプテンシートから立ち上がり、ハッチを開けた。
プシュゥゥゥ……。
気圧調整の音が響き、外部の冷たく乾いた空気が流れ込んでくる。
俺たちは呼吸補助器を装着し、グランド・タンクの甲板へと出た。
目の前に広がっていたのは、絶望的なまでの「断崖」だった。
大地が、スパッと刃物で切り落とされたように途切れている。
その先は、底の見えない巨大な闇だ。
地殻変動で裂けた大地の傷跡か、それとも神がハンマーで叩き割った穴か。
眼下に広がる竪穴の直径は、優に数百キロメートルはあるだろう。
「座標ポイント・オメガ……。データと一致します」
シズがグランド・タンクの縁に立ち、強風にスカートをなびかせながら言った。
「ですが、ここから先は車両での進入は不可能です。この断崖は、垂直に数万メートル落ち込んでいます」
「ああ、見ての通りだ。いくらグランド・タンクでも、ここを降りるのは骨が折れる」
俺は愛機「グランド・タンク」の装甲をポンと叩いた。
ここまで俺たちを守り抜いてくれた、最強の移動要塞。
だが、ここから先は留守番だ。
この崖の上に鎮座させ、簡易的な前線基地として機能させる。
「ベンケイ、出番だ」
俺は振り返り、鋼鉄の巨人に声をかけた。
『了解。降下シークエンス、準備完了』
グランド・タンクの後部ハッチが展開し、全高10メートルのベンケイが、重厚な足音を響かせて歩み出る。
彼は崖の縁に立つと、その背中にある追加ブースターを展開した。
地下鉄での戦闘以来、俺が何度も改造を重ねた結果、今のベンケイは短時間の飛行能力すら有している。
「みんな、ベンケイに乗れ。地獄の底まで、エレベーターなしの直行便だ」
「……落ちないでしょうね?」
ギリアムが恐る恐る、ベンケイの差し出した巨大な掌に乗る。
「大丈夫だよ、ベンケイは力持ちだもん」
ルルは慣れた様子で、ベンケイの肩によじ登り、アンテナにしがみついた。
俺とシズも、それぞれの位置に掴まる。
「よし、行けベンケイ!照明弾、用意!」
『アイ・ハブ・コントロール。――降下開始』
ズオォォォォォッ!!
ベンケイが地面を蹴った。
浮遊感。
胃が持ち上がるような感覚と共に、俺たちは闇の中へと躍り出た。
背後でグランド・タンクの姿が小さくなり、やがて闇に飲まれて見えなくなる。
耳元で風が唸りを上げている。
深い。
あまりにも深い闇だ。
高度計の数値が、恐ろしい勢いで減っていく。
深度10000……20000……30000メートル。
「まだ底が見えないのか……?」
俺が呟いた時、ベンケイのセンサーが反応した。
『着地地点、確認。ブレーキ・スラスター、点火』
ゴォォォォォォォッ!!
ベンケイの背中と脚部から、青白い炎が噴射される。
強烈なGが身体にかかる。
落下の速度が殺され、俺たちはふわりと「底」へと降り立った。
カシャン。
金属質の着地音が響く。
そこは、岩盤の上ではなかった。
人工的な、鋼鉄の床の上だった。
「……真っ暗だな」
俺はバイザーの暗視モードを起動しようとした。
だが、それより早く、シズが動いた。
「広域照明弾、発射します」
シズが腕を掲げる。
シュルルルルル……ポンッ!
頭上で強烈な閃光が弾けた。
人工の太陽が、地下の巨大空間を昼間のように照らし出す。
その光が、闇の帳を引き剥がした瞬間。
俺たちの目の前に現れた光景に、全員が言葉を失い、呼吸さえ忘れた。
「…………嘘だろ」
俺は呻いた。
声が震えていた。
そこにあったのは、海だった。
だが、水ではない。
鋼鉄の海だ。
見渡す限りの広大な地下空間を、無数の宇宙戦艦が埋め尽くしていた。
整然と並ぶ、金属の巨体。
槍のように鋭く天を指す巡洋艦。
城壁のように巨大な装甲空母。
ハリネズミのように砲塔を備えた駆逐艦。
それらが、地平線の彼方まで、何重にも、何列にも連なっている。
上を見上げれば、遥か頭上の岩盤に張り付くように係留された空中ドック群。
下を見れば、地底湖の水面に浮かぶ潜水宇宙艦の群れ。
前後左右、上下。
視界の全てが「兵器」で埋め尽くされている。
「な、な……なんという……」
ギリアムが腰を抜かし、ベンケイの手の上でへたり込んだ。
「これは、夢ですか?それとも、死後の世界ですか?」
「夢じゃないさ。……こいつは、とびきり上等な現実だ」
俺は乾いた唇を舐めた。
『スキャン……スキャン……』
ベンケイのモノアイが、異常な速度で明滅し、首を左右に振っている。
彼の電子頭脳をもってしても、この光景を処理しきれていないのだ。
『計測不能……いいえ、再計算。エリアAからZ、および大深度エリアαからΩまで、全域に艦影を確認。……報告します、マスター』
ベンケイの声が、厳粛な響きを帯びた。
『現在確認できる範囲だけで……1000万隻。旧銀河連合艦隊。その主力戦力のほぼ全てが、ここに眠っています』
1000万隻。
その数字の暴力に、俺はめまいを覚えた。
ここは、銀河の墓場ではない。
銀河の揺り籠だ。
「……降りるぞ」
俺たちはベンケイから降り、足元の甲板――どうやら巨大な輸送艦の背中らしい――に立った。
鋼鉄の海を歩く。
近づいて分かったことがある。
これらの艦は、死んでいない。
朽ちていないのだ。
「状態はどうだ、シズ」
シズが近くのハッチに手を触れ、アクセスジャックを突き刺して診断する。
「……驚異的です。地下空間が完全な真空、かつ極低温状態で密閉されていたため、金属の酸化も腐食もほとんど進んでいません。内部の電子回路も、ナノマシンの自己修復機能によって維持されています」
シズが顔を上げ、興奮気味に言った。
「これは『新品』です、マスター。動力炉に火を入れれば、すぐにでも宇宙へ上がれます」
まるで、つい昨日ドック入りしたかのような美しさだ。
数千年の時を超えて、この艦隊は出撃の時を待ち続けていたのだ。
「すげえ……」
俺は近くにあった駆逐艦の装甲を撫でた。
ひんやりとした感触。
その奥に眠る、莫大なエネルギーとテクノロジー。
エンジニアとして、これほどの宝の山を前にして、震えないわけがない。
だが。
最大にして、致命的な問題が一つあった。
「……誰もいないな」
俺は周囲を見渡した。
静かすぎる。
1000万の艦隊が眠る場所にしては、あまりにも静寂が深すぎる。
どの艦も沈黙している。
人の気配がない。
おそらく、大昔に総員退去命令が出て、そのまま封印されたのだろう。
「1000万の最強艦隊。だが、動かす人間がいないんじゃ、ただの鉄屑の山だ」
ギリアムが悲しげに呟いた。
彼は歴史学者だ。
この艦隊が持つ意味と、それを運用するためのコストを、誰よりも理解している。
「クロウ殿。一般的な宇宙戦艦一隻を稼働させるのに、どれだけの人員が必要かご存知ですか?」
「……さあな。数千人ってところか?」
「いいえ。現代の自動化が進んだ艦でも、最低3万人。戦闘時となれば5万人は必要です」
ギリアムは絶望的な溜息をついた。
「つまり、この艦隊をフル稼働させるには、数千億人の兵士が必要なのです。我々はたったの4人。一隻動かすのさえ不可能ですな……」
3万人。
たしかに、途方もない数字だ。
操舵、機関、火器管制、通信、ダメージコントロール。
戦艦とは巨大な街のようなものだ。
それを維持するだけで、膨大な人間が必要になる。
だが。
俺はニヤリと笑った。
「じいさん。あんたの言ってることは正しい。『まともな方法』で動かそうとすればな」
「……何か策がおありで?」
「俺はエンジニアだ。足りないリソースを嘆くのは三流のやることだ。一流はな、あるもので代用するんだよ」
俺は指をパチンと鳴らした。
音が、静寂のドックに響き渡った。
「人間がいないなら、いなくていいように
「……
シズが俺の意図を察して問いかける。
「その通りだ。この1000万隻の全システムをネットワークで直結し、一つの中央制御システムで統括制御する」
俺は両手を広げ、無限に続く艦隊を示した。
「兵隊はいらない。それぞれの艦に、俺が作った『自律制御AIユニット』をぶち込む。そして、それら全てを束ねる、超高性能なスーパーコンピュータを旗艦に乗せる」
「……理論上は可能です」
シズが高速で計算を始める。
「ですが、1000万隻分のAIユニットを製造し、設置するだけでも数年はかかります。それに、それだけの情報を処理できるスーパーコンピュータなど、帝国のメインサーバー級のものでなければ……」
「工場があるだろ」
俺は自信たっぷりに言った。
「俺たちの工場はレベル2だ。精密電子機器の量産なんてお手の物だ。ドロイドを使って、AIユニットを全艦にばら撒く。取り付けはオートメーション化すればいい」
そして、俺は懐から一つのチップを取り出した。
この旅の途中、俺が寝る間も惜しんで設計し、グランド・タンク内のプラントで少しずつ組み上げてきた、俺の最高傑作の「
「それに、制御用の
「それは……?」
「『オーディン』と名付けた。俺とシズ、二人の思考パターンを学習させた戦術統合AIだ。こいつを、この艦隊で一番デカい奴に食わせる」
無茶苦茶な構想だ。
だが、俺たちの工場には
資源は、この廃棄惑星に無限にある。
やれない理由はない。
「シズ、この中で一番デカい奴を探せ。そいつが
「了解。広域スキャン開始……。……反応あり。中央セクター、ドック最深部に、規格外の超大型艦を確認」
シズが指差した方向。
そこには、他の艦船が霞むほどの、圧倒的な闇が鎮座していた。
「……ベンケイ、連れて行け」
『了解』
***
俺たちは再びベンケイに乗り込み、その「影」へと近づいていった。
近づくにつれ、その巨大さが明らかになる。
他の戦艦が小舟に見えるほどの巨体。
全長、推定20キロメートル。
もはや船というより、宇宙に浮かぶ都市そのものだ。
漆黒の船体。
その威容は、見る者をひれ伏させるような覇気を放っていた。
『個体識別信号、確認』
シズが、震える声で古代文字を読み上げた。
『超弩級戦艦...ラグナロク...』
「ラグナロク……神々の黄昏か」
俺はゾクゾクと鳥肌が立つのを感じた。
帝国を終わらせるのに、これほどふさわしい名前はない。
「決まりだ。あいつが俺たちの新しい家であり、この1000万の艦隊を率いる王様だ」
俺はベンケイを操作し、ラグナロクの広大な甲板へと着地させた。
そこは、ちょっとした平原ほどもある広さだった。
数千機の艦載機が並ぶカタパルトデッキ。
林立する砲塔の森。
かつ、遥か彼方にそびえ立つ、摩天楼のような艦橋。
「よし、仕事にかかるぞ!」
俺は腕まくりをした。
長旅の疲れなど、どこかへ吹き飛んでいた。
目の前には、エンジニアとしての一生を賭けても惜しくない、最高の玩具があるのだ。
「まずはこのラグナロクの中枢を制圧し、
「気が遠くなるような作業ですね」
シズが苦笑するが、その目は楽しそうだ。
彼女もまた、俺の相棒だ。不可能な挑戦ほど燃えるタイプらしい。
「だが、これをやり遂げれば、俺たちは銀河最強になる」
俺はラグナロクの艦橋を見上げた。
かつては数万人の兵士が乗り込んでいただろう巨大な城。
これからは、俺と、シズと、ベンケイと、ルルと、ギリアム。
たった5人で、この1000万の鉄の軍勢を率いるのだ。
「ギリアム、ルル。お前たちは居住区画の確保を頼む。たぶん、高級将官用のスイートルームがあるはずだ。そこでゆっくり休んでくれ」
ルルが目を輝かせる。
「ベンケイは動力炉のチェックだ。この巨体を動かすには、惑星一個分くらいのエネルギーがいるはずだ。再点火の準備をしておけ」
『了解。炉心深部へ向かいます』
「シズ、俺とお前でブリッジを改造するぞ。配線の一本一本まで作り変えて、俺たちの手足のように動かせるようにしてやる」
「イエス・マスター。お供します」
俺たちは歩き出した。
乾いた金属音が、静寂のドックに響き渡る。
それは、帝国の終わりの始まりを告げる、最初の足音だった。
ゴミ捨て場の底から、銀河の頂点へ駆け上がるために。
歴史上最大の「
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