第11話 虚無の炎
「グランド・タンク」の周囲は、地獄の窯の底と化していた。
モニターを埋め尽くす赤い警告表示が、俺たちの命のカウントダウンを告げている。
「左舷シールド、減少!敵の酸性体液でコーティングが溶かされています!修復が追いつきません!」
シズの悲鳴に近い報告が、轟音の中に響く。
「後部機銃座、
俺はコンソールを叩き、予備弾倉の生成を指示する。
だが、生産速度が消費に追いつかない。
1億。
数字で聞くのと、現実に見るのとでは、絶望の質量が違った。
主砲で数千匹を消し飛ばしても、その穴は瞬きする間に埋められる。
無限に続く肉の壁。
圧殺されるのは時間の問題だった。
『マスター、動力炉温度上昇。冷却システム、限界です。このまま主砲を連射し続ければ、あと10分で炉心がオーバーヒートします』
ベンケイの声にも、いつもの冷静さはない。
詰んだか?
いや、まだだ。
俺はエンジニアだ。
手元にある材料で、この状況を打開する解を導き出すのが仕事だ。
俺は震える手で、工場の「兵器開発リスト」を開いた。
レベル2で解放されたものの、俺が意図的に目を逸らしてきた「禁忌のページ」。
そこには、広範囲殲滅兵器の設計図があった。
【
要するに、核だ。
帝国が俺たちの工場に落としたのと同種の、悪魔の兵器。
「……ッ」
吐き気がした。
俺はこれを憎んでいたはずだ。
力なき者を一方的に蹂躙し、環境を汚染し、未来を奪う理不尽な暴力。
それを使うのか?
俺自身が、帝国と同じ、虐殺者になるのか?
「……マスター」
シズが、俺の迷いを察して声をかけてきた。
彼女の深紅の瞳が、俺の心を覗き込む。
「感情的な忌避ですか?」
「こんなものを使えば、俺たちはもう後戻りできない」
俺は唇を噛み切りそうなほど強く噛んだ。
「だが……」
モニターの隅に、居住区の映像が映っている。
怯えて耳を塞ぐルル。
彼女を守ろうと抱きしめるギリアム。
もしここで躊躇すれば、あいつらは死ぬ。
化け物の餌食になり、骨さえ残らない。
俺のちっぽけなプライドや感傷で、守るべき家族を殺すのか?
答えは、最初から決まっていた。
「……シズ。主砲の装填システムを実体弾に切り替えろ」
俺の声は、驚くほど低く、冷たかった。
「通常弾じゃない。『核弾頭』を生産する」
俺がコンソールに指をかけた、その瞬間だった。
ガシッ。
シズの冷たい手が、俺の腕を掴んだ。
「ダメです、マスター。それは却下します」
「なんだと!?このままじゃ
俺は焦りから声を荒げたが、シズは冷静な――いや、氷のような瞳で俺を見据えていた。
「綺麗事ではありません。合理的な判断です。核弾頭の使用は、自殺行為です」
シズは言葉を続ける。
「熱核爆発による熱線と放射線、および電磁パルスは、確実に帝国軍が感知します」
シズは天井を指差した。
「ここで核を使えば、
俺は息を呑んだ。
そうだ。
俺たちは今、「死んだふり」をしている最中なのだ。
ステルスで隠れているのに、ここで派手な花火を打ち上げれば、自ら位置を知らせる狼煙になってしまう。
「じゃあどうするんだ!通常兵器じゃ数が多すぎる。核も使えない。……ここで座して死ねと言うのか?」
「いいえ。感知されずに、広範囲を消滅させる方法が一つだけあります」
シズがコンソールを操作し、新たな設計図を呼び出した。
それは、核よりもさらに高度な、レベル2の上限ギリギリの技術。
【
「……対消滅だと?」
「はい。物質と反物質を衝突させ、質量をエネルギーに変換します。ですが、通常の解放型ではありません。重力制御ユニットで反応を極小空間に閉じ込め、内向きの『爆縮』を起こすのです」
シズが早口で解説する。
「熱も、光も、放射線も、すべて事象の地平線に飲み込ませて処理します。外部へのエネルギー漏出は最小限。帝国軍には、ただの一瞬の『ノイズ』としか認識されません」
「……音も光もなく、ただ『消す』ってことか」
「はい。まさに『掃除機』です。ですが、生産には莫大な
「資源は?」
「足りません。通常通りゴミを工場に入れ続けたとして、反物質の生成に数年かかります」
「じゃあ絵に描いた餅じゃないか!」
「いいえ。一つだけ、ショートカットがあります」
シズがインベントリを指差した。
「先日回収した『
貴重な素材だが、あれを使い潰すのか。
「……背に腹は代えられない、か」
俺は迷わず頷いた。
「やろう。核よりもタチが悪いかもしれないが……生き残るためだ」
俺は工場の生産ラインに、生産命令を送る。
グオオオオオォン……!
グランド・タンク内部の生産プラントが、これまでとは違う、重苦しい唸りを上げた。
船体の照明が一瞬落ちる。
すべての電力が、たった一つの「弾丸」を作るために吸い取られていく。
高純度エネルギー結晶が砕かれ、
それを、強力な磁場と重力フィールドで封じ込めた、漆黒の弾頭。
直径50センチの、虚無の塊。
「……生産完了。
カコン。
乾いた音がして、砲尾に弾頭が吸い込まれた。
「総員、衝撃防御!……いや、衝撃は来ないかもしれないな。だが、何が起きるか分からん。しっかり掴まってろ!」
俺は照準を、
震えは止まっていた。
これは生きるための選択だ。
どんな汚名も背負ってやる。
「消え失せろ。
シュンッ。
発射音は驚くほど軽かった。
火薬の爆発音ではない。
主砲から射出された漆黒の弾頭が、吸い込まれるように虚空を翔ける。
それは、1億の化け物がひしめく中心点に着弾し――。
音は、しなかった。
光も、なかった。
ただ、世界の一部が「欠けた」。
ズォッ……。
着弾地点を中心に、突如として直径数百キロメートルの黒い球体が出現した。
それは爆発ではない。
空間そのものがくり抜かれたような、完全な闇。
巨大な甲殻種も。
空を飛ぶ翼竜も。
地面の岩盤さえも。
抵抗など無意味。
ただ、原子レベルで分解され、対消滅のエネルギーとなってさらに周囲を飲み込んでいく。
「……なんて威力だ」
モニター越しに見るその光景は、破壊というより「
物理法則が書き換えられているような、冒涜的な光景。
数秒後。
限界まで膨張した黒い球体は、パチンと弾けるように消滅した。
後に残されたのは、あまりにも綺麗に抉り取られた、巨大な円形のクレーターだけ。
1億の群れの大半が、文字通り「なかったこと」にされていた。
静寂。
圧倒的な静寂が、戦場を支配した。
生き残ったわずかな
「……センサー反応、消失。外部への熱エネルギー放出、基準値以下。帝国による探知の兆候、ありません」
シズが静かに、報告した。
「……勝った、のか?」
ベンケイが呆然と呟く。
「ああ。勝ったさ」
俺はシートの背もたれに体を預けた。
勝利の味はしなかった。
口の中には、鉄の味と、底知れぬ恐怖の味が広がっていた。
俺たちは、核よりも恐ろしい「虚無」を手にしてしまったのかもしれない。
これは、人が扱っていい力だったのだろうか。
「……マスター」
居住区からの通信が入る。
ルルの声だ。
「……こわかった。でも、たすかったの?」
「ああ、助かったよルル。もう大丈夫だ」
俺は努めて明るい声を出した。
あの子に、この「虚無」の正体を教える必要はない。
汚れ仕事は、大人がやればいい。
「……進むぞ」
俺は言った。
「道は開けた。奴らが戻ってくる前に、この死の盆地を抜ける」
「イエス・マスター」
「グランド・タンク、前進」
ズズズズズ……。
鋼鉄の巨体が、再び動き出す。
あまりにも滑らかに、何もかもが消滅したクレーターの縁を越えて。
窓の外には、何もない荒野が広がっている。
死体すら残さない、完全な死の世界。
俺たちは進む。
禁忌の力と、それを振るった罪を背負って。
その先にある希望を掴むために。
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