第9話 失われた大艦隊

 あの日、帝国のパトロール艦隊によって核が投下されてから、早3ヶ月という月日が流れた。


 季節のないこの死の星において、時間の経過を告げるのは、分厚い雲の切れ間から降ってくるゴミの種類の変化だけだ。


 ある時は建築廃材が、ある時はスクラップになった家電が、雪のように降り注ぐ。


 俺たちの拠点は、あの日以来、一度もシールドを解くことなく、完全なステルス状態を維持し続けていた。


 地下深くに張り巡らされた根のように、俺たちは息を潜め、地上の光を拒絶していた。


 生活そのものは、皮肉なほどに安定していた。


 地下鉱脈から採掘される高純度エネルギー鉱石のおかげで、電力は都市一つを賄えるほどに潤沢。


 工場レベル2で作られた圧縮食料の備蓄は倉庫から溢れんばかりで、向こう数年は食うに困らない。


 ルルの喉の調子も良く、毎晩のように彼女の透き通った歌声が、無機質な金属壁の居住区に響き渡る。


 ギリアムが淹れる紅茶の香り、シズの駆動音が奏でる規則的なリズム。


 一見すれば、平和そのものだ。


 だが、俺の心はずっと重い鉛を飲み込んだままだった。


「……息が詰まるな」


 俺は薄暗い管制室で、モニターに映る「偽装映像何もない荒野」を見つめながら呟いた。


 画面の中では、酸の雨がただ虚しく地面を叩いている。


 俺たちは生きている。


 だが、それは死体が腐敗せずに残っているのと同義だ。


「死んだふり」をしているからに過ぎない。


 空を見上げれば、いつまた気まぐれに「掃除」が行われるか分からない恐怖がある。


 あいたちに取って、俺たちは掃除機で吸い取るホコリ以下の存在だ。


 この3ヶ月、俺は暇さえあれば、高出力ビーム砲の増設や、シールド発生装置の多重化に明け暮れた。


 少しでも生存率を上げようと足掻いた。


 だが、どれだけ守りを固めても、胃の腑を焼くような不安は消えない。


 ネズミが巣穴をどれだけ頑丈にしようが、気まぐれな猫の前では無力なのと同じだ。


「欲しいな……」


 俺はコンソールに置いた拳を、ギリギリと握りしめた。


 守るための盾じゃない。


 隠れるための迷彩でもない。


「奴らを震え上がらせるような、圧倒的な暴力ちからが」


 その時、沈読を守っていた通信回線が開いた。


 ノイズ混じりの電子音が、停滞した空気を切り裂く。


 地下深層、誰も知らない暗闇の中で長期間の掘削任務に就いていた、ベンケイからだ。


『……マスター・クロウ。応答願います。長期任務ロング・ランより、ただいま帰還しました』


 久々に聞く、岩のように重厚な声。


 だが、その音声波形はいつもよりトーンが高く、微かに震えているようにも聞こえた。


 感情を持たないはずのAIが、興奮している?


 何かあったな。


 俺の「職人の勘」が、警鐘ではなく吉兆を告げていた。


「おかえり、ベンケイ。無事だったか?それとも、また厄介な化け物を掘り当てたか?」


『いいえ。化け物ではありません。……歴史そのものを掘り当てました』


「歴史?」


地下鉄メトロ網を拡張し、掘り進めていた所、岩盤プレートの下より、旧時代の極秘データバンクを発見。解析の結果、この惑星エンドの「真の姿」が判明しました』


 ベンケイがデータを転送してくる。


 空中に展開されたホログラムに、俺は息を呑んだ。


 そこに映っていたのは、今のゴミだらけの姿ではない。


 かつての、まだこの星が死ぬ前の姿。


 軌道エレベーターが天を突き刺し、地表を埋め尽くす無数のドックが銀色に輝く、巨大な軍事要塞惑星の姿だった。


『記録によれば、旧時代、この惑星は対異生命体戦争における「銀河連合艦隊」の最大母港でした。ここには、全銀河から集結した決戦用宇宙戦艦、巡洋艦、空母など、計1000万隻規模の艦隊が配備されていたのです』


「いっ、1000万……!?」


 俺は椅子から転げ落ちそうになった。


 現在の銀河帝国の正規艦隊ですら、数百万隻単位だと聞く。


 貴族の私兵軍も含めたら1000万隻には届くだろうが、単一の拠点で運用される戦力としては神話級だ。


「おい、待てよ。そんな大艦隊がいたなら、歴史に載ってるはずだろ」


『それが……データバンクに残されていた戦況記録は、現在流布されている公式歴史とは、些か“食い違い”があります。ご覧ください』


 シズがデータを展開し、空中に赤文字のログが羅列される。


 それは、遥か数万年前の軍事ログの断片だった。


 極度の経年劣化により、ほとんどが黒塗りとノイズに埋もれ、判読不能なエラーコードが明滅している。


【極秘:統■■謀本部戦況ロ■/第09ア■■■ブ】[Err:0x99F2-SevereCorruption]


 ■宇宙歴92,042年 銀河外■部……にて未確■異生■体『ネメ■ス』と接敵。……物質を捕食・■化する■質……第[DataLost]艦隊、壊■。生存者なし。


 ■宇宙歴92,045年 ……崩壊。絶対防衛圏まで後退。人■種の存亡……「銀河連■艦隊」を結集。……惑星エンド……最大母港…………1000万隻……。


 ■宇宙歴92,048年 戦況:全■線で劣勢との報■……[FALSE]……※警告※首都星……ルからの定時連■途絶。※警告※……生体デ■タ……[異■]……検知。[D■A……書換]……[■化]……能■大。


 ■宇宙歴92,049年 作戦名……[ABORT]……新・作戦名『箱■(ア■ク)』へ移行。敵は外■にあらず……既に中■は[Err:■■msis]……掌握された。……勝■できな■。だが、全滅も許されな■。主力艦隊は……地下大深■ドッ■『オメガ』へ封印……。い■か人類が、真の■――[偽りの■■者]に気づき…………最後の希■の牙である。


 ■ロ■終了……ForceShutdown


「……なんだ、これ」


 俺は眉をひそめた。


 まるで虫食いだらけの古文書だ。


 文字化けやノイズが酷すぎて、まともに読めない。


 だが、不穏な空気だけは伝わってくる。


 歴史では、人類は異生命体に勝利し、その後に今の銀河帝国が建国されたことになっている。


 だが、このログはまるで、「勝てないから隠した」と言っているようじゃないか。


 それに……『[偽りの■■者]』とはどういう意味だ?


 まるで、誰かが誰かに入れ替わったかのような……。


「シズ、このデータの信憑性は?」


「不明です。データ破損率が88%を超えています。単なる戦争の混乱による誤報か、あるいは敗北主義者によるデマの可能性もあります。ですが……」


 シズが赤い瞳を細めた。


「しかし、『地下に封印された』という記述と、ベンケイの発見は一致します」


『肯定します。大戦末期、戦況の悪化に伴い母港は表向き放棄されました。ですが、多くの艦艇は出撃することなく、地下ドックやジオフロントに封印されたまま、地殻変動によって埋没した可能性が極めて高いです』


 難しい歴史の真偽はともかく、現実は一つだ。


 俺の心臓が早鐘を打った。


 眠っている。


 この足元に。


 あるいは、広大なゴミ山の下に。


 銀河を焼き尽くせるほどの火力が、誰にも知られず、新品同様の状態で眠っているというのか。


「最後の希望」と呼ばれた艦隊が。


「場所は!?その艦隊はどこにある!」


『座標データ、解析済み。現在の工場から見て、惑星の裏側。大深度地下ドック、オメガと呼ばれるエリアに、主力艦隊が集中して保管されています』


「惑星の裏側か……。距離は?」


『直線距離にして、約6万キロメートル』


「ろ、6万キロだと……?」


 俺は絶句した。


 6万キロ。


 しかも、地下鉄メトロ網は途中で寸断されている。


 この長大な距離を、酸の雨と放射線、そしてあの凶悪な未知の汚染変異体ミュータントが跋扈する地表を走破しなければならない。


 正気の沙汰ではない。


 だが、俺のエンジニアとしての魂が、かつてないほど激しく燃え上がっていた。


 恐怖を上書きするほどの、強烈な野心が湧き上がってくる。


「シズ!今の工場のレベルで、戦艦は作れるか!?」


 俺は振り返り、控えていたシズに問うた。


 シズは即答した。


 冷徹な計算に基づく答えを。


「不可能です、マスター。現在の工場レベル2では、全長50メートル級の兵器製造が限界です。宇宙戦艦クラス――全長1000メートル以上を建造するには、工場レベルを5まで上げ、さらに専用の軌道エレベーターと宇宙港を建設する必要があります」


「レベル5かよ……。そんなの、何十年かかるか分からんぞ」


 3ヶ月かかって、ようやくレベル2が安定したところだ。


 悠長にレベル上げをしている間に、帝国の気まぐれな爆撃で消し炭にされるのがオチだ。


 俺は舌打ちをした。


 目の前に宝の山があるのに、手が届かない。


 だが。


 シズが、無表情な顔の中で、瞳だけを悪戯っぽく輝かせた。


「ですが、マスター。貴方様には『一から作る』以外の方法があるではありませんか」


「……ああ、そうだったな」


 俺はニヤリと笑った。


 そうだ。


 俺は何者だ?


 ただの工場長じゃない。


 俺は、ゴミの中から価値あるものを拾い出し、繋ぎ合わせ、蘇らせてきた男だ。


 俺は生産者であると同時に、銀河最強の修理屋レストアラーだ。


 作れないなら、直せばいい。


 現物がそこにあるのなら、どんなに錆びついていようが、壊れていようが、俺の手で新品同様――いや、それ以上の性能に蘇らせてやる。


 旧時代の亡霊だろうが、負け犬の艦隊だろうが関係ない。


 俺が使えば、それは最強の矛になる。


「決まりだ。惑星の裏側へ行くぞ。そこに眠る『失われた艦隊ロスト・フリート』を、俺たちの手中に収める」


 俺の宣言に、その場にいた全員の空気が変わった。


 3ヶ月間、地下で息を潜めていた鬱憤を晴らす時が来たのだ。


「6万キロ……。途方もない大遠征になりますな」


 ギリアムが地図を見ながら唸るが、その口元は楽しげに歪んでいる。


「しかも、我々は帝国に『死んだ』と思われています。移動中に見つかれば、今度こそ徹底的に爆撃されるでしょう」


「分かってる。だから、最強の『移動要塞』を作る」


 俺はコンソールに向かい、この3ヶ月間、暇つぶしに書き溜めていた設計図の一つを呼び出した。


 いつかここを出ていく時のために、こっそり設計していた切り札だ。


「工場の機能を一部移設し、あらゆる地形を踏破し、帝国軍のレーダーからも消えるステルス装甲戦車。全員で行くぞ。これは『国』ぐるみの引っ越しだ」


 ***


 それからの一週間、工場は戦場のような忙しさだった。


 眠る間も惜しんでアームを動かし、溶接の火花の中で食事を摂った。


 ありったけの資材と、地下から掘り出したレアメタルを惜しみなく投入し、俺たちは一つの巨大なビークルを作り上げた。


『大型水陸両用・全地形対応移動要塞』


 通称:『グランド・タンク』。


 全長50メートル、全高20メートル。


 通常の車輪やキャタピラではない。


 下部には大型のホバーユニットと、悪路を掴むための多脚クローラーを複合採用。


 これにより、6万キロの悪路――荒地、酸の沼地、山脈、瓦礫の山も踏破できる。


 装甲はステルスコーティングを施した多重複合装甲。


 帝国軍のセンサーには、ただの岩塊にしか映らないはずだ。


 主砲には、戦艦の副砲クラスである50cm連装高出力ビーム砲を搭載。


 邪魔なミュータントなど、一撃で蒸発させる火力を持たせた。


 内部には、居住区画、医療室、そして心臓部となる簡易的な《万能物質マター生産工場》まで搭載している。


 まさに、走る工場。


 陸を行く戦艦だ。


「……できた」


 工場のハンガーデッキに鎮座する、鈍銀色の巨体を見上げ、俺は油まみれの汗を拭った。


 武骨で、洗練さのかけらもない。


 だが、とてつもなく頑丈で、頼りになる俺たちの城だ。


「すごい……お城みたい……」


 ルルが目を輝かせて見上げている。


 彼女が着ている防護服の背中には、俺が新しく作った、子供用の小型呼吸器がついている。


 これで外の世界に出ても、有毒ガスに苦しむことはない。


「よし、積み込み開始だ!水、食料、エネルギー鉱石、予備パーツ!持てるだけ詰め込め!工場のメインシステムはスリープモードへ移行。防衛システムのみ自律稼働させろ!」


 俺の号令で、シズとベンケイがコンテナを運び込んでいく。


 ギリアムがティーセットを丁寧に梱包し、最後に思い出の詰まった執務室の鍵をかけた。


 数時間後。


 俺たちは『グランド・タンク』のブリッジにいた。


 広角モニターには、見慣れた工場のハンガーゲートが映し出されている。


 住み慣れた我が家。


 だが、ここを守るためにも、一度ここを離れなければならない。


 次に戻ってくる時は、逃げ隠れするためじゃない。


 凱旋するためだ。


「全システム、オールグリーン。ステルスフィールド、展開。外部ハッチ解放」


 シズがオペレーター席で告げる。


 ベンケイが操舵輪を握り、唸りを上げる。


『動力炉、出力120%。いつでも出せます、マスター』


 俺は深く息を吸い込み、前方を指差した。


 その指先は、分厚い壁の向こう、6万キロの彼方を向いている。


「出撃!目指すは惑星の裏側、オメガドック!1000万隻の寝坊助たちを叩き起こしに行くぞ!」


 ズズズズズ……ッ!


 重厚な振動と共に、銀色の戦車が動き出した。


 巨大なゲートが開き、灰色の光が差し込む。


 酸の雨が叩きつける荒野へ。


 帝国よ、今はまだ笑っているがいい。


 高みの見物を決め込んでいればいい。


 俺たちが帰ってくる時、この星は「ゴミ捨て場」から「銀河最強の艦隊基地」へと変わっているはずだ。


 俺たちの反撃の狼煙は、静かに、しかし力強く上がり始めていた。

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