第4話 最初の国民

 最初の襲撃から三日が過ぎた。


 その短い期間で、俺たちの拠点――万能物質マター生産工場の様相は劇的に変化していた。


「よし、内装工事完了。……どうだシズ、感想は?」


 俺は満足げに腕を組み、目の前の空間を見渡した。


 かつては無機質な銀色の壁しかなかった居住区画には、いまやフカフカの絨毯が敷かれ、木目調のテーブルセットが置かれている。


 壁には暖色の照明が灯り、部屋の隅には観葉植物(これも有機データから合成した造花だが、空気清浄機能付きだ)まで飾られていた。


 極めつけは、部屋の中央に鎮座する巨大なソファだ。


 最高級の合成皮革を使用し、座れば身体が沈み込むような極上の座り心地を実現している。


 これらはすべて、あの襲撃してきた汚染変異体ミュータントたちの死体と、その辺に転がっていたスクラップから作られた。


 ゴミと死体が、王侯貴族も羨むようなインテリアに変わる。


 これぞ万能物質マターの錬金術だ。


『……快適性、向上を確認。居住環境ランク、S。ですがマスター、疑問です』


 シズがソファの弾力を指で確かめながら、小首を傾げる。


 彼女は俺が新調したメイド服のようなエプロンドレス(戦闘用強化繊維製)を身にまとっていた。


 殺戮兵器にフリルを着せるのは俺の趣味……ではなく、単に可動域が広くて機能的だからだ。


 たぶん。


『我々は二人だけです。このソファは六人用。テーブルセットも過剰なサイズです。リソースの無駄遣いでは?』


「いいんだよ。これから増えるかもしれないだろ」


 俺は淹れたてのコーヒー(泥水ではなく、本物の豆から成分合成したものだ)を啜りながら言った。


「国を作るって言っただろ?王様と騎士だけじゃ国にはならない。民が必要だ。いつかここが人で溢れかえった時、座る場所がないんじゃ格好がつかないからな」


 それは半ば願望であり、半ば諦めでもあった。


 この星は死の星エンド


 銀河の最果てだ。


 来る手段は、帝国からの「一方通行の廃棄」のみ。


 ここから出ることも難しければ、誰かが好んで来ることもない。


 国民を増やすといっても、また俺のように冤罪で捨てられた不運な5等民が落ちてくるのを待つしかないのだが――。


 ビィィィィィィ……!!


 その時、コンソールの警報音が静寂を切り裂いた。


 俺とシズの表情が瞬時に切り替わる。


「敵襲か!?」


『いいえ。上空より接近物体。多数』


 シズが空中にホロウィンドウを展開する。


 映し出されたのは、分厚い雲を突き破って降り注ぐ、無数の火球だった。


定期廃棄便トラッシュ・フライトです。帝国首都星セントラルからの投棄物が大気圏に突入しました。落下予測地点、工場より北へ10キロメートルの荒野。総重量、約25000トン』


「なんだ、いつもの宅配便か……」


 俺は胸を撫で下ろした。


 毎日決まった時間に降ってくる、帝国からのゴミのプレゼント。


 この星に来た時は恐怖の対象だったが、今となっては「通販から資材が届いた」くらいの感覚だ。


「よし、落下地点が冷えたら回収に行くぞ。拠点も拡張して万能物質マターの在庫も心許ないからな」


『了解。……待ってください』


 シズの声が鋭くなった。


 彼女はウィンドウの一つを拡大し、赤い瞳を細める。


『落下物の中に、異なる熱源反応を検知。……質量、小。生体反応、微弱ですが有り。通常の廃棄コンテナではありません。これは――』


 俺はモニターを睨みつけた。


 無数のコンテナに混じって落下する、小さな円筒形の物体。


 見覚えがある。


 嫌になるほど見覚えがある形だ。


 数日前、俺が乗せられたいたあの鉄の棺桶。


「……処刑ポッドだ」


 俺の声が低く震えた。


 まただ。


 また帝国は、人間をゴミと一緒に捨てやがったのか。


 その時、嫌な予感が脳裏をよぎった。


「待て、シズ。あのポッド、減速スラスターは作動しているか?」


 俺の時は、知識があったから着陸寸前に逆噴射をかけられた。


 だが、普通はそんな機能はない。


『……いいえ。減速の兆候、なし。完全な自由落下フリーフォールです。このままの速度で地表に激突すれば、内部は完全に破壊されます。生存確率、0%』


「クソッ、やっぱりか!」


 俺はコーヒーカップを床に叩きつけた。


 地面に叩きつけてミンチにする気だ。


『地表まであと90秒。どうしますか、マスター』


「決まってる!助けるぞ!」


 俺は叫んだ。


 他人事じゃない。


 あの中に入っているのが誰かは知らないが、俺と同じ5等民だ。


 帝国の理不尽に踏みにじられ、この地獄へ落とされた同胞だ。


 見殺しになんてできるか。


「シズ!お前なら間に合うか!?あの鉄の塊を空中で受け止めて、減速させろ!」


 無茶な命令だとは分かっている。


 相手は音速で落ちてくる数トンの鉄塊だ。


 だが、シズは眉一つ動かさなかった。


『了解。――ミッションを開始します』


 ***


 ズォォォォン!!


 工場の屋上が展開し、銀色の影が空へと打ち上がった。


 シズだ。


 俺が強化した背面ブースターが青白い炎を噴き上げ、重力を振り切って加速する。


 俺は工場のモニターでその様子を固唾を呑んで見守った。


 上空、厚い雲を突き破り、真っ赤に焼けたポッドが落ちてくる。


 シズは迷うことなく、その火の玉の正面軌道へと割り込んだ。


接触コンタクトまで、3、2、1――』


 ドォォォォォン!!


 空中で凄まじい衝撃音が炸裂した。


 シズが、両手でポッドの下部を受け止めたのだ。


 だが、落下エネルギーは凄まじい。


 シズの小さな体ごと、ポッドはそのまま地面へ突っ込もうとする。


『出力、最大展開!』


 モニター越しにシズの叫びが聞こえた。


 彼女の全身の関節駆動モーターが悲鳴を上げ、ブースターが焼き切れんばかりの全力噴射を始める。


 音速の落下エネルギーを、彼女一人の力で強引に殺しにかかる。


 ゴゴゴゴゴゴ……ッ!


 空中で拮抗する二つの力。


 わずかに、だが確実に、落下の速度が緩み始めた。


 そして――。


 ズシィィィン!!


 工場の北、約3キロ地点。


 巨大な土煙を上げて、ポッドが「着陸」した。


 激突ではない。


 シズが支えたままの、制御された軟着陸だ。


「やったか……!」


 俺は拳を握りしめた。


 だが、安心するのはまだ早い。


『マスター、着陸に成功。ですが、落下地点周辺には、振動と熱を感知した汚染変異体ミュータントの群れが接近中。囲まれます』


「上等だ!俺もすぐに行く!それまで持ちこたえろ!」


 俺はハンガーデッキへと走り出した。


 俺たちの国への、最初のお客さんだ。


 化け物の餌になんかさせてたまるか!


 ***


 工場の巨大ゲートが開く。


 吹き荒れる暴風雨の中に、俺が設計し、昨日完成させたばかりの「愛車」が飛び出した。


「行くぞ!全速前進フルスロットル!」


 俺がアクセルを踏み込むと、銀色の車体が猛獣のような咆哮を上げた。


 超光速航行ハイパードライブエンジンのスラスターを推進器に転用し、装甲には戦艦級の複合装甲を採用。


 タイヤはない。


 重力制御で地表から50センチ浮遊し、泥濘だろうが酸の沼だろうが、時速200キロで走破するモンスターマシンだ。


 数分後、俺は着陸地点へとドリフトしながら突入した。


 そこは既に戦場だった。


「グルァァァァッ!」


『――排除します』


 煙を上げるポッドを守るように立つシズ。


 彼女は群がる汚染変異体ミュータントの群れを、愛用の大剣で次々と薙ぎ払っていた。


 空中でポッドを受け止めたせいか、装甲のあちこちが焦げ、塗装が剥げている。


 だが、その動きに衰えはない。


「シズ、援護する!そのままポッドを守れ!」


 俺はバギーに搭載された「二連装ガトリング砲」のトリガーを引いた。


 劣化ウラン弾の嵐が、群がる化け物たちを肉片に変えていく。


 十分後。


 最後の汚染変異体ミュータントが動かなくなり、周辺に静寂が戻った。


「……ふぅ。大丈夫か、シズ」


『問題ありません、マスター。機体損傷率、軽微。それより、中の生体反応が微弱です。急いでください』


 俺はバギーを降り、ポッドへと駆け寄った。


 ハッチは着陸の衝撃と、大気圏突入の熱で歪み、ロックが噛み込んで動かない。


 しかも、外装の隙間から酸性雨が入り込み、シューシューと音を立てて内部を侵食し始めている。


 このままじゃ、酸で溶けるか、被曝で死ぬかだ。


「どいてろ!無理やり開けるぞ!」


 俺は腰のベルトから、携帯用の多目的ツールを取り出した。


 先端からプラズマカッターを展開し、ハッチのヒンジ部分に押し当てる。


 火花が散り、溶断された金属が赤熱する。


「開くぞッ!」


 俺は焼けた装甲を蹴り飛ばした。


 ガラン、と重い音を立ててハッチが外れる。


 中から漏れ出したのは、ひどい糞尿の悪臭と、絶望の空気だった。


 狭いポッドの中にいたのは、二人。


 一人は、白髪の老人だった。


 ボロボロの衣服は、かつては学者のローブだったのかもしれないが、今は見る影もない。


 彼は血を流す頭を押さえながら、震える手で鉄パイプの破片を構えていた。


 そして、その背後に隠れるように縮こまっている、小さな少女。


 十歳くらいだろうか。


 身体は痩せこけて、木の枝の様になっている。


 彼女は声も上げず、ただガタガタと震えていた。


 二人の首には、俺と同じ「5等民」の識別プレート。


 墜落の恐怖に耐え、生きていた。


 シズが間に合ったのだ。


「……あ、あ……」


 老人は俺を見て、誠実背後で大剣を構えているシズを見て、腰を抜かした。


 無理もない。


 こんな地獄のような星で、謎の武装バギーに乗り、殺戮アンドロイドを従えた男が現れたのだ。


 死神か何かに見えているに違いない。


「ば、化け物め……。もう終わりか……。神よ、あんまりじゃありませんか……。我々が何をしたと言うのです……」


 老人は、少女を抱きしめて泣き崩れた。


 その姿に、かつての自分が重なる。


 俺もそうだった。


 絶望して、恨んで、死を待つだけだった。


 だが。


「……終わりじゃないさ」


 俺は二人の前に手を差し出した。


 酸の雨を防ぐように、マントを広げて彼らを覆う。


「じいさん。あんたの神様は、あんたたちをここへ捨てた。だがな、ここにはもっと腕のいい工場長がいる」


 老人が、涙に濡れた目で俺を見上げる。


「な、何を……?ここは、地獄の死の星エンドではないのか?」


「地獄?違うな」


 俺はニヤリと笑った。


 雨雲の切れ間から、わずかに光が差し込む。


 その光を受けて、俺たちの銀色の城が遠くに輝いて見えた。


「ようこそ、我が国へ。ここは、捨てられた者たちが這い上がるための、始まりの場所だ」


 ***


 救出した二人をバギーに乗せ、拠点へ戻るまでの間、老人はずっと夢を見ているような顔をしていた。


 無理もない。


 死ぬはずだった場所に、空調の効いた快適な車があり、温かい毛布があるのだから。


 工場に到着し、医療ポッド(万能物質マターで作成した)で二人の治療を終えた頃には、外は完全な夜になっていた。


 居住区画のリビング。


 風呂上がりの清潔な服に着替えた二人の前には、湯気を立てる野菜スープと、焼きたてのパンが並べられていた。


「さあ、食ってくれ。毒は入ってないぞ」


 俺が促すと、少女の方が恐る恐るパンに手を伸ばした。


 一口かじり、その目が大きく見開かれる。


 次の瞬間、彼女は獣のようにパンに食らいついた。


 喉を詰まらせそうになるのを、老人が慌てて水を飲ませる。


「ルル、ゆっくりお食べ……。ああ、なんてことだ。こんな柔らかいパンは、帝国の上層でだって食べたことがない……」


 老人もまた、スープを一口啜り、嗚咽を漏らした。


 ひとしきり腹を満たし、落ち着いたところで、俺は改めて向き直った。


「俺はクロウ。ここの工場長だ。こっちの無愛想な美人はシズ。俺の相棒だ」


『……無愛想は余計です、マスター』


 シズが不満げに茶を淹れ直す。


「あんたたちの名前を聞かせてもらってもいいか?」


 老人は居住まいを正し、深く頭を下げた。


「……命を救っていただき、感謝の言葉もありません。私はギリアム。かつては帝国首都星セントラルの国立大学で歴史学を教えておりました4等民です。しかし、とある論文が『皇帝陛下の神聖性を否定した』と難癖をつけられ……5等民に落とされた挙句、この通りです」


 なるほど、インテリ枠か。


 知識があるのはありがたい。


 俺は機械には強いが、法律や歴史、内政のこととなるとさっぱりだからな。


「で、そっちのお嬢ちゃんは?」


 俺が視線を向けると、少女はビクリと身体を震わせ、ギリアムの背中に隠れた。


「……この子はルルと言います。孤児院で保護されていた子ですが、違法な人体実験の検体として帝国の上級執政官に捕まり……私が連れて逃げたのです」


 ギリアムは痛ましげにルルの頭を撫でた。


「その際、逃亡を防ぐために、声帯を焼かれています。……もう、声を出すことはできません」


「……ッ」


 俺の中で、どす黒い怒りが湧き上がった。


 声帯を焼く?


 十歳にも満たない子供を?


 帝国は、どこまで腐っていやがるんだ。


 俺は立ち上がり、ルルの前にしゃがみ込んだ。


 彼女は怯えた目で俺を見ている。


 俺はポケットから、小さな包み紙を取り出した。


 さっき工場で作った、フルーツ味のキャンディだ。


「ルル。怖がらなくていい」


 俺は彼女の手にキャンディを握らせた。


「俺は医者じゃないから、喉をすぐに治すことはできないかもしれない。でもな、俺はエンジニアだ。もっといい声が出る喉を作ってやることもできるし、筆談用のデバイスだって作れる。何より――」


 俺は彼女の目を見て、はっきりと言った。


「二度と、誰にもお前を傷つけさせない」


 ルルは、キャンディを握りしめ、ポロポロと涙を流した。


 そして、音のない口で、何度も「ありがとう」と動かした。


 俺は顔を上げ、ギリアムを見た。


 彼もまた、涙を拭っていた。


「クロウ殿……。貴方は、一体何者なのですか?この地獄のような星で、これほどの文明を築き、我々のような捨てられた者を救うなんて……」


「ただの工場長だよ」


 俺は肩をすくめた。


「だが、今日から肩書きを変えるつもりだ」


 俺は窓の外、広大な荒野と、その向こうに広がる無限のゴミ山を見据えた。


 二人という守るべき民ができた。


 衣食住という基盤もできた。


 なら、やることは一つだ。


「ギリアム、ルル。俺たちは今日、ここに独立国を建国する」


「こ、国……ですか?」


「ああ。帝国が捨てたゴミで作った、ゴミ屑たちの国だ。だが、見てろよ。いつか必ず、あの空に浮かぶ帝国首都星セントラルを追い抜いて、銀河一豊かな国にしてやる」


 俺の宣言に、シズが静かに跪いた。


 ギリアムもまた、震える手で胸を押さえ、深く頭を垂れた。


 ルルが、初めて微かに笑った気がした。


 人口4名(うち1名はドロイド)。


 領土、死の星エンド全土。


 資源、無限。


 銀河の歴史から抹消されたはずの場所で、今、小さな、しかし決して消えることのない反逆の灯火が灯ったのだ。

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