第2話 鉄屑の眠り姫

 腹が満たされると、ようやく冷静な思考が戻ってきた。


 俺は改めて、目の前にある「万能物質マター生産工場」のコンソールに向き合っていた。


 極上のステーキと水を平らげた後、俺はこの工場の機能を片っ端から調べ上げたのだ。


 結論から言えば、ここは「とんでもない代物」だった。


 まず、この工場が稼働するためのエネルギー源。


 これがない。


 正確には、外部からの電力供給を必要としていない。


 投入された物質を原子レベルで分解する際、質量の一部をエネルギーに変換しているのだ。


 つまり、ゴミを入れれば入れるほど、工場は無限に動き続ける。


 そして、変換効率が異常に高い。


 先ほど俺が放り込んだポッドの破片――あれだけで、一般家庭の数ヶ月分の電力が生成されていた。


「……笑うしかないな。帝国が必死こいて処理に困っている放射能ゴミが、ここでは最高級の燃料だ」


 俺はコンソールを叩き、次の生産を急いだ。


 いくら工場の中が安全とはいえ、俺の格好はボロボロの囚人服だ。


 外の放射線を防ぐ装備を作らなければ、一歩も出られない。


 俺はメニューリストから【服】の項目を探した。


 【標準作業服】【耐熱防護服】【対汚染環境用強化スーツ】


「……よし、データは生きているな」


 主要なデータベースは奇跡的に無事だったようだ。


 俺は安堵のため息をついた。


 俺はリストの中から、今の環境に最適なものを選択した。


「選択。対汚染環境用強化スーツ。オプションで鉛コーティングを追加し、放射線遮蔽率を最大化」


 俺はパネルを操作し、製造プロセスを実行する。


 亡き祖父から叩き込まれた機械の知識があれば、既存の設計を自分好みにカスタマイズすることなど造作もない。


「設定完了。――生産開始!」


 ブゥン、という駆動音と共に、トレイの上に漆黒 of スーツが生成された。


 薄手だが、強度は鋼鉄の数倍。


 表面は酸を弾くコーティングが施され、関節部は動きやすいように柔軟な素材になっている。


 俺はさっそく袖を通した。


 肌に吸い付くようなフィット感で着心地は上々だ。


 スーツと同時に出力したヘルメットを装着すると、スーツが起動し、外の致死的な放射線量や気温などの環境情報が、淡いグリーンの文字で空間に投影された。


「よし、これなら外でも活動できる」


 俺は拳を握りしめる。


 衣食住の「衣」と「食」は確保した。


 あとは「住」――拠点の安全確保だ。


 この工場は広い。


 俺が今いるエントランスホール以外に、まだ多くの区画がある。


 そこに使えそうな設備や、あるいは「武器」になるものが眠っているかもしれない。


「探索開始だ。……工場の主として、自分の城を知っておかないとな」


 俺は腰に簡易工具を吊るし、ホールの奥へと続く通路へ足を踏み入れた。


 ***


 通路は静寂に包まれていた。


 足音がコツコツと銀色の床に響く。


 壁面には等間隔でライトが埋め込まれており、俺が近づくと自動で点灯し、通り過ぎると消えていく。


 居住区画、倉庫、資材搬入路。


 いくつかの部屋を覗いてみたが、どれも空っぽか、あるいは風化したガラクタが転がっているだけだった。


 施設の詳細が分かる様な、データチップも見当たらない。


「ハズレか……?」


 ため息交じりに最深部まで進んだ時、俺の足が止まった。


 通路の突き当たりに、ひときわ重厚な扉があったのだ。


 そこには、赤い文字で大きく警告が表示されている。


 【最厳重保管庫】【対異生命体決戦兵器・保管エリア】


「兵器……!」


 俺の心臓が跳ねた。


 ここ死の星エンドは、何万年も昔に、かつて人類と銀河の外から攻めてきた異生命体が存亡をかけて戦った最前線だ。


 亡き祖父からその話を聞かされた時、まだガキだった俺は興奮したのを思い出した。


 まさか自分がその場所に立つことになるとはな。


 そこに残された兵器となれば、ただの銃やミサイルではないはずだ。


 俺は扉の前のパネルに手をかざした。


『認証中……純粋人類ピュアヒューマン。セキュリティレベル・クリア』


 プシューッ、という音と共に、分厚い扉が左右に開いた。


 中から冷気が流れ出してくる。


 俺はゴクリと唾を飲み込み、中へ入った。


 そこは、まるで墓場のような場所だった。


 広い空間に、ガラス状の円筒カプセルが何本も並んでいる。


 だが、そのほとんどは割れており、中は空っぽだった。


 あるいは、中身が腐敗して黒い染みになっているものもある。


「……全滅か?」


 落胆しかけた時、部屋の一番奥にあるカプセルだけが、微かに青い光を放っているのに気づいた。


 俺は駆け寄った。


 カプセルに被った厚い埃を払い、カプセルの中を覗き込んだ。


「――っ」


 息を呑んだ。


 そこにいたのは、少女型のドロイドだった。


 透き通るような白い肌。


 長い白銀の髪は液体の中に漂い、長い睫毛が閉じた瞼を縁取っている。


 10代半ばに見える可憐な容姿。


 だが、彼女がただの人間ではないことは一目で分かった。


 彼女の四肢は、装甲のような美しい金属パーツで覆われていた。


 そして何より――彼女の左胸には、拳大の風穴が空いていたのだ。


 心臓にあたる部分が抉れ、そこから複雑な回路やケーブルが断線して飛び出している。


 痛々しい傷跡。


 普通の人間なら即死だ。


 俺はカプセルの横にある端末を操作した。


 【個体名:SZ-99 "シズ"】【状態:機能停止】【メイン動力炉、破損。制御回路、断線率80%】【修復不可能です。廃棄を推奨します】


「廃棄……だと?」


 俺は眉をひそめた。


 画面には無慈悲な文字が並んでいる。


 帝国の連中と同じだ。


 壊れたら捨てる。


 直そうともしない。


 俺はカプセルの緊急解除レバーを引いた。


 保存液が排水され、ガラスカバーが開く。


 俺はぐったりとした少女の体を抱き留め、床に降ろした。


 冷たい。


 まるで氷のようだ。


 だが、肌の質感は人間に限りなく近い。


 俺は工具を取り出し、彼女の胸の傷口を覗き込んだ。


 酷い状態だ。


 動力炉であるコアが物理的に破壊されている。


 これではエネルギーが循環しない。


 主要な神経ケーブルも焼き切れている。


(……いや)


 俺の「目」が、無意識に回路を追い始めた。


 ぐちゃぐちゃに絡まった配線の奥。


 完全に死んでしまったメイン回路の脇に、まだ生きている細いバイパスが見える。


 サブ・バッテリーの微弱な反応。


 記憶領域メモリーは……無傷だ。


「直せる」


 俺は独り言のように呟いた。


 直せる。


 これならいける。


 俺の手が勝手に動き出していた。


「工場のエネルギー出力、こちらへ回せ」


 俺は端末から工場へ指示を飛ばす。


 天井のアームが伸びてきて、俺の手元に銀色の万能物質マターを垂らす。


 俺はそれをハンダ代わりに使い、切断された神経ケーブルを一本一本、顕微鏡レベルの精密さで繋ぎ合わせていく。


 普通のエンジニアなら、一目見て「部品がない」と匙を投げるだろう。


 だが、俺には知識がある、部品を作れる工場がある。


 この回路が何を意味し、どこに繋がれば動くのか。


 設計者の意図ロジックが見える。


「ここが断線してるなら、こっちの回路を迂回させればいい。出力は落ちるが、機能は回復する。壊れている動力炉は、万能物質マターで細かい部品を作れば直るな」


 俺は時間を忘れて没頭した。


 額に汗が滲む。


 彼女は兵器だ。


 だが、今の俺には、帝国のゴミ捨て場に捨てられた自分と重なって見えた。


「お前も捨てられたのか」


 俺は手を動かしながら、動かない彼女に語りかけた。


「壊れたから、もう要らないってか?ふざけんなよな」


 俺の手の中で、断線していた回路が光を取り戻していく。


「ガラクタなんてねえんだよ。使い道がないんじゃない。直せる人間がいなかっただけだ」


 最後の配線を繋ぎ終える。


 胸の大穴を、生成した装甲板で塞ぐ。


 俺は汗を拭い、彼女の後頭部にある起動スイッチを押し込んだ。


「……目覚めろ、鉄屑の姫様。お前はまだ終わっちゃいない」


 一秒。


 二秒。


 反応はない。


 失敗か?


 いや。


 ブゥン……と低い音が、彼女の体内から響いた。


 脈打ち、全身に光が駆け巡る。


 そして。


 彼女の瞼が、ゆっくりと震えた。


「…………」


 長い睫毛が持ち上がり、そこから覗いた瞳。


 それは、吸い込まれるような深紅の色をしていた。


 まるで、血のような、あるいは燃える炎のような赤。


 彼女はゆっくりと体を起こし、瞬きもせずに俺を見つめた。


 無感情な、ガラス玉のような視線。


 彼女の視界の中で、何かの文字が走っているのがなんとなく分かった。


 おそらく俺をスキャンしているのだ。


『システム再起動。全領域、オンライン』『視覚センサー、正常。……対象をスキャン中』


 鈴を転がすような、美しい声だった。


 だが、そこには人間的な感情の色は一切なかった。


『遺伝子構造、解析。――異生命体因子、検出なし。――純粋人類ピュアヒューマン


 彼女の瞳の光が、警戒色の赤から、柔らかな青へと変わった。


「……おはようございます、マスター」


 彼女はぺこりと頭を下げた。


「対異生命体殲滅用・汎用人型決戦兵器、SZ-99、コードネーム"シズ"。起動しました。ご命令を」


「……はは、マジで動いた」


 俺はへなへなと床に座り込んだ。


 達成感と疲労が一気に押し寄せてくる。


 だが、シズは真剣な顔で俺を見下ろしている。


「マスター。貴方の心拍数が上昇しています。体調に異常が?」


「いや、大丈夫だ。ちょっと疲れただけだよ。……俺はクロウだ。この工場の、まあ、責任者みたいなもんだ」


「クロウ様をマスターに登録しました」


 シズは小首を傾げた。


 その仕草は人間のように愛らしいが、彼女が口にした言葉は物騒極まりないものだった。


「状況を報告してください。敵勢力の規模は?現在の戦線は?私はどのエリアを焦土にすればよろしいですか?」


「いや、焦土にしなくていいから」


 俺は苦笑しながら、殺る気満々の彼女を手で制した。どうやら彼女の中では、まだ戦争は終わっていないらしい。


「いいか、落ち着いて聞け。戦争はもう終わったんだ」


 俺は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、言葉を継ぐ。


「お前が眠りについてから、何万年もの時が過ぎた。かつての敵も、人類を守るための戦線も、もう跡形もなく消え去った。ここはもう戦場じゃない」


 その時だった。


 ウウゥゥゥゥ――ッ!!


 工場内に、けたたましいサイレンが鳴り響いた。


 俺は飛び上がった。


 シズの表情が一瞬で変わり、瞳が再び深紅に染まる。


「警告。工場周辺に、多数の生体反応を検知」


 シズが淡々と告げる。


「熱源反応、多数。急速接近中。パターン照合……カテゴリー:汚染変異体ミュータント。脅威レベルC」


 さらにシズは、無機質な声で不穏な分析結果を付け加えた。


「かつて我々が交戦した異生命体の『生物兵器』に酷似しています。おそらく、この星の高い放射線の影響を受け、ここまで独自に進化したのでしょう」


 俺は慌てて端末を取り出し、外部カメラの映像をモニターに映し出した。


 背筋が凍りついた。


 工場の外、酸の雨が降る荒野。


 そこを、何千、何万という「影」が埋め尽くしていた。


 異形の怪物たちだ。


 放射能で肥大化した体。


 鋼鉄をも噛み砕く牙。


 脳裏に、先ほど目にした光景が蘇る。


 あのゲート前で無惨に食い荒らされていた帝国軍兵士の死体の山――あれは、こいつらの仕業だったのか。


 多脚の節足動物のような醜悪なシルエット。


 廃棄惑星の生態系の頂点に君臨する怪物――【汚染変異体ミュータント】の群れだ。


「……嘘だろ。なんでこんな数が」


 俺は気づいた。


 工場の稼働熱だ。


 数万年ぶりに工場が再稼働し、排熱ダクトから暖かい空気が排出された。


 それに誘われて、この星中の化け物が「暖」と「エサ」を求めて集まってきたのだ。


「数は……およそ50000匹」


 絶望的な数字だった。


 俺の手元にあるのは、腰にぶら下げた簡易工具だけ。


 防護服はあるが、武器はない。


「マスター」


 震える俺の前に、シズが一歩進み出た。


 彼女は華奢なその身一つで、俺と扉の間を遮るように立った。


「命令を。殲滅しますか?」


「殲滅って……お前、武器も持ってないだろ!それに今の修理は応急処置だ。激しい運動は……」


「問題ありません」


 シズは振り返り、微かに微笑んだように見えた。


 それは、自身の存在意義を見つけた機械の、冷たくも美しい笑みだった。


「私は兵器です。敵を殺すために作られました。――それに」


 彼女は扉の方へ向き直り、紅い瞳を輝かせた。


「あの外にいる者たちは、マスターを捕食しようとする害虫です。マスターに仇なす者は、私の敵です。……汚物は、消毒しなければなりません」


 彼女の全身から、凄まじい殺気が噴き上がった。


 俺は悟った。


 俺が直したのは、ただの人形じゃない。


 かつて銀河を震え上がらせた、最凶の殺戮マシーンを目覚めさせてしまったのだと。


 だが、不思議と恐怖はなかった。


 彼女の背中が、ひどく頼もしく見えたからだ。


「……分かった。頼む、シズ。俺を守ってくれ」


「イエス・マイ・マスター」


 シズが床を蹴った。


 爆発的な加速で通路を疾走していく。


 俺は慌ててその後を追った。


 廃棄惑星での最初の戦いが、始まろうとしていた。

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