おでん in 聖夜(ホーリィー・ナイト)

雨夜乃良

第1話

 俺はコートの襟を寄せた。マフラーを巻いて手袋を着け、おまけにカイロまでポケットに忍ばせているのに冬の夜風は冷たく体を凍らせる。

 時刻は午後十時を過ぎていた。平常なら多くの店が閉店し人々が電車の時間を気にしながら家路を急ぐ頃合いだ。だというのに大通りはイルミネーションでキラキラと輝き、道行く人々は楽し気に会話を弾ませ、まるで一日が終わる気配がない。そう、今日は12月24日、クリスマスイブなのだ。

 「まったく……俺はサンタクロースじゃないぞ……」

賑やかさを横目に、俺は足を引きずりながら家路についていた。会社の用意した小さなクリスマスプレゼント――クッキーらしいが――を配りながら取引先を回って一日中歩き通しだったのだ。小さな営業所とはいえ、得意先すべてとなると数があった。

 同僚たちは予定があるという。家族のために予約したクリスマスケーキの受け取り、彼女と初めてのクリスマスデート、仲間たちとのクリスマスパーティー……。彼らの分を引き受けて、今しがたやっと残業が終わったばかりだ。ここ数日はずっとこんな感じだった。自分でもお人好しだと思うが、頼まれると嫌な気はしない性格なのだから仕方がない。

 まあ俺には縁のない行事なんだろう。余ったプレゼントは引き取ってくれと言われたのでもらってきたが、一緒に食べてくれるような相手もいない。さっさと帰って寝てしまおう――そう思ったものの冷え切った部屋と空っぽの冷蔵庫を思い出して歩く速度は上がらなかった。



 吹き付ける風には時折、雪も混じり始めている。

 俺は自分を叱咤激励し、なんとか足を速めた。近道である公園を横切り人気ひとけのない通りに出る。ふと辺りを見回したその時、懐かしさのある明かりが目に飛び込んできた。思わず立ち止まりまじまじとそれを凝視する。

 『おでん』と書かれた赤い提灯。都会ではめっきり見かけなくなってしまった車を引くタイプの屋台が出ている。昔々、子供の頃は見たことがあった。しかし大人になってからはほとんどなく、利用する機会がないままであった。

 おでんは大好物だ。なのに最後にいつ食べたのか思い出せない。

 屋台の脇から漏れ出る湯気が天に上り、空に消えていく。距離があるのに匂いまで伝わってくるようだ。

 俺は公園の出口でしばらく逡巡していたが、抗いきれず屋台へ向かった。



 「……今やってますか?」

のれんをくぐって屋台の店主に声をかけた。他に客はいない。

「いらっしゃい。どうぞ、やってますよ」

店主が元気よく答えてくれた。親父おやじさんと呼びたくなるような風貌で、赤と白の法被のようなものを羽織っている。屋台を支えている柱には緑と金のモールがぐるりと巻き付けてあった。……クリスマス仕様なのだろうか?

 木蓋が外されると立ち上る香りが食欲をそそる。四角い金属鍋の中におでんの具材が所狭しと並んでいた。

「ええっと……、とりあえず大根、玉子に牛すじ、厚揚げ、あとビールをお願いします」

 熱燗……と言いたいところだが明日も仕事だ、本格的に腰を落ち着けてしまうのはまずい。俺はいそいそと注文を済ませ、椅子にかける。マフラーと手袋を脱ぎ、ほっと一息ついた。

「いやぁ、寒いですね」

「もう12月も終わりですからね。まあ、温まっていってくださいよ」

店主は笑顔で注文の品とビールを出してくれた。

 

 まずは大根。俺がおでんの中で一番好きなものだ。大ぶりなのに蜂蜜色で、だしがよく染みているのが一目でわかる。こちらのおでんは昆布と鰹の合わせだしに薄口醤油が基本だそうだ。口に入れると舌の上で蕩けていく。深みのある味と香りが交響曲のように響きあい広がっていった。

 次に玉子。こちらもだし染み具合は完璧だ。かぶりつく。だしと白身、味のコントラストが堪らない。そこにほくほくした黄身が加わり、それぞれの味が華麗なダンスを踊る。

 厚揚げ。口の中で熱々の中身がほぐれ、揚げの皮と絡み合う。それは絶妙な味わいとなりオペラ歌手の歌声に似て俺の心身を震わせる。

 そして牛すじ。肉厚なのに柔らかく、ほろほろと崩れる。舞台演劇の名ゼリフがごとく凝縮された旨味が感動を呼び起こす。


 久しぶりに食べたからだろうか。どうしてこんなに美味いのだろう。ビールがすすむ。

 いつのまにか体も心もぽかぽかと温かくなっていた。


 

 「いらっしゃい」

 店主がにこにこと新たな客を迎え入れる。俺はうっかりコップを倒しそうになった。赤と白の衣装に身を包み白いひげを蓄えたまさにサンタクロースが隣に座ったのだ。

 しかしよく見ると30代くらいの男で、衣装の間から見え隠れするのは紺色のスーツだった。黒いビジネスシューズがびっしょりと濡れている。

 会社のイベントか何かだったのだろうかと勝手に想像し、こんな時間まで大変だなとわが身を重ねた。

 男は付け髭を外すと、ちくわに蒟蒻、厚揚げ、牛すじを注文し、飲み物は水を頼んだ。

「仕事の途中ですか?」

俺は思わず尋ねていた。いつもならそんなことはしない。屋台の距離感だろうか。少し酔っぱらっているのもしれない。

「ええ、そうなんです」

男は淡々と答え、厚揚げを頬張った。

「それは大変ですね……」

今から仕事に戻ることを想像すると明るく膨らんだ気分が萎んでしまいそうになる。俺は何かどうしても彼を励ましたくなった。

「親父さん、この人にたまごと餅巾着を。俺に付けといてください」

男は少し驚いた様子を見せ断ろうとする。

「俺もさっき仕事が終わったばかりで他人事とは思えないんです」

「しかし……」

「今日は、ほら……クリスマスプレゼントですよ!」

俺が力を込めてそう言うと、男はふっと表情を緩ませた。

「仕事のスケジュールで頭がいっぱいになっていました。いけませんね、周りに心配をかけては……。ありがたくいただきます」

男が卵にかぶりついた。

「うん、うまい」

「だしがよく染みてますよね」

相槌を打ちながら俺は餅巾着に着手する。

 餅巾着も美味うまかった。餅を油揚げで包んでいるさまはサンタクロースの袋を思い起こさせる。がぶりとやれば中から柔らかくなった餅が顔を出し、他の具材とは違う食感と味が楽しい。

 俺は訊かれてもいないのに自己紹介を始めていた。

「……俺はオフィス機器の営業ですねぇ。今日なんて大した用もないのに声かけにお得意さん回って……プレゼント配り歩いてるようなものですよ」

かばんから小さなプレゼントを取り出してみせる。

「私も似たようなものです」

男が肩をすくめた。

「件数が多いと終わりが見えなくて」

「うんうん」

俺は勢いづいてビールをグイっと飲み干した。すかさず男が注文を入れる。

「親父さん、この方にビールを一杯。私から」

「いやぁ、それじゃさっきの分が帳消しに……」

「いいんですよ。気持ちの問題です」

 断り切れなかったのでビールを受け取ると、次の注文も男に奢った。こうして互いに奢りあい、酒も進んで大いに盛り上がった。おでん談議に趣味の話、仕事の愚痴もこぼした気がする。



 「そろそろ行かないと……」

男が会計をして立ち上がった時、俺はずいぶんと酔いが回っていた。奢りのビールを何杯も飲んだせいだろうが、世界はずいぶんと揺らいで見える。だが気分は悪くない。むしろ楽しく心地よかった。

「ああ……もう行く……んですかぁ?」

「あなたのおかげでこの後も頑張ることができそうです」

にっこりと笑った男の姿が一瞬光に包まれたような気がした。

「あれぇ、なんか……白く光って……はは」

男がのれんをくぐった先には、同じく淡い光を帯びたソリが待っていた。繋がれた2頭のトナカイが静かに主を待っている。まるでサンタクロースが乗るようなそれだ。

 俺は酔いのせいかそれを素直に受け入れた。

「この後も……プレゼント配ってまわるのかぁ……大変な仕事だなぁ」

 男がソリに乗り込みトナカイに声をかけると、ソリは静かに滑り出した。まるで透明な坂を上っているかのように夜空を駆けあがっていく。途中、男が振り返って何か言うのが見えた。声が届かなくてもわかる。


——メリークリスマス!——


「サンタクロースもおでん食べるんだなぁ……」

俺は空を振りかぶってソリを見送った。

「たくさん配るには休憩も必要ですからねぇ」

店主はさも当然といった様子で、残った器を片付けている。

「ひょっとして……いつも来るのか……?」

「ここはサンタクロース専用の休憩所なんですよ」

「は……え?」

「普通は人に見えないんですがね」

店主が先ほどの男と同じ淡い光に包まれて見える。

「な……んで??」

「さあてね。……ふふ」

店主は意味深に笑った。

「クリスマスプレゼント、かもしれませんね」

店主が纏う光は屋台に伝播し、辺りを柔らかな光で覆っていった。いつのまにか屋台の前には二頭のトナカイが繋がれている。俺は自分自身までも淡い光に満たされていくのを、ぽかんと口を開けたまま受け入れていた。



 気が付くと俺は自分の部屋にいた。カーテンの隙間から淡い陽の光が漏れている。朝のようだ。昨夜どうやって帰宅したのか記憶がないが、ふわふわとした浮遊感だけを覚えている。ずいぶんと酔っぱらっていたのだろう。

 ベッドに仰向けになって不思議な出来事に思いを巡らせる。ふと昨日配っていたプレゼントが目に入った。テーブルに置かれたそれのリボンが解けて、中身のクッキー・サンタクロースが笑顔をのぞかせている。

 思わず顔が綻んだ。

 ……俺にしては、意外と悪くない聖夜だったのかもしれない。

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