3.白狼の狩り暮らし

 八年後、私はたくましく宵闇の森で生きていた。


 聖女であることを隠して、だ。

 宵闇の森はよそ者全てを受け入れる。


 いきなり送られてきた私は同情されこそすれ、詮索されることはなかった。


 蒸すような暑さに反して暗い森の中、私は屈んで弓矢を構える。

 朝方の強烈な日差しは分厚い葉に遮られ、昆虫の合唱がやかましい。


 私は今、宵闇の森で狩人をやっていた。


「落ち着け……っ」


 背丈の低い私だけれど、聖女であるおかげで身体能力は超人レベルだ。

 さらに森で暮らす中で、私は成長した。


 聖女であった頃は気にもしなかった、小さな揺らぎ。魔力の気配を感じる。


 ――獲物がいる。


 宵闇の森に棲息する、大型の草食獣だ。

 息を整え、弓の弦を引き絞る。


 イチイの黒羊の腱を組み合わせた私の弓は、宵闇の森でも最上クラス。

 もちろん常人にはとても引くことのできない強さだけれど。


 しっかりと狙いを定め、私は待つ。


「ぴぃー!」


 オーリの鳴き声が前方から響く。

 彼女が追い込み、私が仕留める――それが私たちの狩りだ。


 やがて茂みが揺れて、荒い息がかすかに聞こえてきた。

 漂う魔力も濃くなってくる。


 甲高い鹿の鳴き声が段々と近づく。

 鳴き声からするとアカシカだと私は判断した。


 まだ姿は見えない……。


「ぴっぴぃー!」


 オーリがアカシカを追い立てる。

 茂みをかき分ける音が大きくなり、私は暗い森の中に動く影を捉えた。


 アカシカはオーリに追われ、私に気が付かない。

 角はないので雌だ。


 茂みからアカシカの半身が浮き出る。


(今だ――っ!)


 引き絞った渾身の矢を放つ。

 百歩以上の距離を一瞬で矢が飛び去り、アカシカの背の中央へと命中した。


 ヒィーンとアカシカが唸る。


 私は焦らずに次の矢を構え、放った。

 次の矢はアカシカの首元へと当たる。それは致命傷だった。


 アカシカはどっと倒れ伏し、動かなくなる。流血が草を濡らす。

 アカシカの目からはもう光が消えていた。


 オーリがアカシカのそばへと降り立つ。

 私もアカシカのそばへ行き、静かに手を合わせた。


 口に出して、私は祈る。


「ごめんね、ありがとう」


 これは狩る側の礼儀だと私は思っている。

 アカシカは息絶えていた。


 全高は私の背、百五十センチをちょっと超える。

 宵闇の森の外ではアカシカはもっと小柄だ。


 これは森の影響で、ここに住まう動物は巨大化する。


「さて、運ばないとね」


 私はベルトに挟まっていた信号弾の筒を取り出す。

 筒は簡素な木製で、円筒形だ。


 これは煙の魔術を封じ込めたもので、下部の紐を引っ張ると信号弾が出る。

 私は筒を上に掲げ、紐を引っ張った。


 ぽんっと音が鳴って緑の煙が打ち上がる。


 これは『獲物ゲット』の合図だ。

 アカシカの血抜きをしながら待っていると、森の茂みからひとりの女の子が姿を見せる。


「エリーザちゃん! もう獲物を捕まえたんですねっ!」


 狩人仲間のクララが猛ダッシュでやってきた。


 彼女は私の親友で、一緒に狩りをする仲だ。

 年齢は私よりちょっと上の二十歳。黒の巻き毛と黒の瞳――女の子にしては背が高い。


 クララは担いでいた籠を降ろし、はぁっと息を吐いた。


「それに比べると私は……エリーザちゃんの先輩なのに、全然獲物取れなくて……芋虫よりも役に立たないです」


「クララちゃん、そんなことないよ! だってクララちゃんは手先が器用でしょ、その籠の中だって……」


 私がクララの持ってきた籠を覗く。

 そこには多種多様な香草、木の実が入っていた。


 私が超人的なのは身体能力と魔力の察知だけ。

 暗い森の中で、魔力を発さない香草や木の実を探し当てるのは不得手だ。


「それにクララちゃんもちゃんと逃げ道を塞いでいたよ。でないとこんなに上手く行かないんだから」


「うぅ……ありがとうございますぅ……」


 オーリもばっさばさと浮かび上がり、クララの頭を撫でる。


「ぴっ! ぴぴぴっ!」


「オーリちゃんも……よし、元気になってきました!」


 クララは落ち込む速度も早いが、立ち直るのも早い。

 この森で一番の友達なので、呼吸はわかっている。


 アカシカの体重は成人男性数人分。


 だけど私とクララなら、この程度は運べてしまう。

 クララにも魔力があり、常人の筋力ではないからだ。


 アカシカの両脚を縛り、丈夫な枝で吊るして――担いで持って帰れるように。

 今日の獲物はこれで充分だ。よっせよせと担いで狩人の村へと帰る。


 獣道を進み、小川の小さな橋を渡って。

 途中、休みながら村へと着いたのは昼過ぎだった。


「ふぅ……帰ってきたね」


「ぴっ!」


 木々がなくなり、わっと地形が開ける。

 太陽のまぶしさに私は一瞬、顔をしかめた。


 空を飛ぶオーリが楽しそうに天高く舞う。

 森では幹や枝が邪魔をするが、ここにはそうしたものはない。


 ここが私の住む白狼の村だ。


 村は宵闇の森の南端に位置していた。


 村の中央にある丘には巨大な白狼の石像が鎮座する。

 その石像を中心に百ほどのレンガの家が立ち並んでいた。


 白狼の石像は村のどこにいてもはっきり見える。


「ぴぃー!」


 オーリの鳴き声は私が獲物を持って帰ってきた証。


 家々からわーっと村人が出てきて、集まってくる。

 村人たちは私の仕留めたアカシカを見て、喜んでくれた。


「またエリーザちゃんか、こりゃ大したもんだ!」


「立派なアカシカじゃないか、大物だな!」


「えへへ……」


 ちゃんと獲物を捕まえられた日は気分が良い。

 白狼の村に住むほとんどの人は、ここで生まれた人だ。


 しかも何百年にも渡って家系を遡れる、生粋の狩人ばかり。

 白狼の村唯一の外生まれ、それが私だ。


 でも八年の生活の中で、私はこの村に馴染んでいた。


「宵闇の森でこんなに獲れるのは、エリーザちゃんだけだ。もう並ぶ者のない狼の子だなぁ」


「ありがとうございます」


 宵闇の森の獣は魔力の影響に晒されている。

 そのために巨大化して、数が少ない。


 普通の狩人ではこのアシシカを仕留めるのも、とても大変だ。

 しかし私には聖女の力があり、オーリとクララがいる。


 それでもあのアカシカを追跡し、狩るのに数日かかった。


「解体は任せてくれ、エリーザちゃんは休んでよ」


「では、お言葉に甘えます」


 私の獲ってきたアカシカは、今週三体目の大型獣だった。

 それ以外は兎や鳥、魚などの小動物だけ。


 村の規模からすると獲物の数は少ないが、それでも村が成立するのには理由がある。

 魔力を蓄えた獣は、身体の各所に魔石を持っているのだ。


 あとは骨や角、皮だとかにも特別な価値がある。

 だから獲物の数が少なくても、村の外に売り払うことで生計が成り立つ。


 解体は年長の狩人が行う。

 私は正直、仕留めるのはよくても解体はまだまだだ。


 村の恰幅の良いおばさんがクララを労った。


「クララちゃんもよく頑張ったねぇ。こんなに大きなのを運んできて……」


「……本当ですか? また私は獲物を狩れなくて」


「いやいや、あんたぐらいの年齢なら当り前さ! それよりエリーザちゃんの助けができるだけ、あたしの夫より働いてるよ!」


 やり玉に挙がったおじさんが口を曲げる。

 おじさんは今、せっせと手際良くアカシカを解体していた。


「ぐっ、こんなデカい獲物を運んでくるのは森の加護がなければ無理だぜ!」


「あはは、残念だったねー!」


 森の加護――白狼の村では魔力のことをそう形容する。

 聖女だった時に聞いたけれど、魔力を持てるのは数百人にひとり。


 それも家系に魔力を持っている先祖がいないと駄目なのだとか。

 私が見る限り、この白狼の村で魔力があるのはクララだけだった。


 聖女の力は魔力とはまた違うらしいけれど……。

 熟練の狩人が解体を行うと、あっという間にアカシカもバラバラになる。


 ……私もさすがに慣れてきた。


「うん、いい魔石だな。ほら、四個も出てきた」 


 おじさんが私の手のひらに拭いた魔石を四個乗せ、渡してきた。


 魔石のひとつひとつはイチゴくらいの大きさだ。

 そのどれもが赤く、小さな魔力の火が石の中で揺らめている。


 命の火、恵みの灯火とこの辺りでは形容していた。


「角や骨、皮はいつも通り買い取ろう。それでいいかい?」


「はい、お願いします……!」


 肉はこの場の皆で食べてしまうのが、白狼の村の流儀だ。

 食べる部分の独り占めはしない――私はそれで良いと思っている。


 誰が獲ってきても分け合い、腹を満たす。

 実際、私がこのアカシカを追跡してる間の食料は他人の獲物で賄っていたのだから。


 銀貨の袋を受け取り、村で宴が始める。

 昼だけど関係ない。獲物があればその場で祝い、食す。


 アカシカの頭部は白狼の石像の下にある祭壇に捧げられる。

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