2.聖女の追放
「エリーザ! 貴様は追放だ!」
八年前、ヘクタール王国の宮殿で私はそう宣言された。
シャンデリアがきらめき、王国中の王侯貴族が並ぶ前で……。
その日のことはずっと忘れることができない。
私、エリーザはヘクタール王国の孤児だった。
子どもの頃はずっとお腹を空かせていたと思う。
だから今も、私の背は結構小さい。
そんなある日、十歳になった私は孤児院の裏庭で髪を切っていた。
……良質な金髪の毛は高く売れるから。
私は自分の金色の髪の毛が好きだった。星のようにきらきらとしているから。
そんな自慢の金髪がぱらりぱらりと桶に散っていく。
孤児院のくすんだ銅像を見上げながら、ちょっきんと。
腕を掲げた聖女様と鳥の銅像の下、私は悲しくなっていた。
「…………」
でも仕方ない。孤児の私に他の選択肢はなく、こうしないと生きていけないのだから。
せめて前を向きながら。私は髪にハサミを入れていた。
「ぴいー!」
「……え!?」
空から可愛らしい声がして、鷹が私の肩へと降りてきた。
私の顔よりも大きい白鷹だ。でも肩に乗った鷹はかなり軽かった。
水の入った桶のほうが重いくらいだ。
「え、えっ……」
ヘクタール王国の王都に鷹なんてめったに見ない。
びっくりして――私は動けなくなる。
「ぴっ!」
鷹がぴっと羽を掲げる。
「な、なに……?」
「ぴい! ぴっぴ!」
鷹が私の腕を持ち上げようとする。
私は言われるがまま、手を持ち上げて――不揃いの髪へと伸ばす。
ふと、身体の奥から不思議な力が沸き上がってきた。
心臓が跳ねて、ぱぁっと白い光の粒が手からあふれてくる。
「え、えー!?」
白い光の粒はとても温かい。
こ、これは一体何なのだろう……?
悪いものではないと本能が言ってはいるけれど……。
「ぴっぴい!」
「え――あ、髪が戻ってる?」
今、切った髪の部分に光の粒が触れていた。そこから切ったはずの髪が復活している。
触ってみると、確かに自分の髪の毛だった。
本当に戻っている……。
これが私が癒しの力の目覚め、聖女としての第一歩だった。
私のもとに来た、この白い鷹は『オーリ』というらしい。
聖女の宿命を負った人間へ飛来するのだとか……。
私の運命はこの時を境にして、がらっと変わった。
孤児院暮らしが終わり、聖女として生きていくことになったのだ。
大変だったけれど、やりがいはあった。
癒すべき人はどこにでもいて、自分を待っている。
孤児だった私を必要としてくれている。
豪華な食事、綺麗な洋服――そんなものは大したことじゃない。
生きていてもいい、それが実感できるのが嬉しかった。
困っている人のためになって、私も前を向いていたい。
そして聖女として半年間を過ごして。
私はヘクタール王国の宮殿に来ていた。
その頃の私はもう、宮殿にも何回も来ていた。
でもその日、私が案内された区画は他とは違った。
宮殿のほとんどはいつも人で賑わい、明るい雰囲気だ。
白の大理石の廊下、色鮮やかな壁画……麗しい花がいつも空間を彩っている。
だけど、ここは――奥の区画は暗い。
照明は変わっていないはずなのに、人もいないし音がないのだ。
私は廊下を歩きながら、肩に止まるオーリに話しかけた。
「……癒してほしい人がいるって話だけれど」
「ぴっぴぃ……っ!」
いつもはおおらかなオーリが甲高く鳴く。
明らかに警戒しているようだった。
「聖女様、何度も念を押しますが……どうか、この治療はご内密に」
「は、はい……」
私を先導するのは痩せ細った宮廷魔術師の男だった。
ちょっと神経質そうな人で、私は首をすくめながら歩く。
辿り着いたのは巨大な寝室だ。
警備も厳重で、部屋の中に近衛兵が何人もいる。
寝室の中央には天蓋付きとカーテンが閉め切られたキングサイズのベッドがある。
ベッドの様子はよくわからない。
だけどカーテンの光の加減、衣擦れの音からベッドに人がいるのはわかった。
結構大柄な人――男性だろうか。
「治療をお願いしたいのはこの御方です」
「ごくっ………」
宮廷魔術師の人がカーテンに手を伸ばし、奥から腕を引っ張り出す。
カーテンは開けられず、私から見えるのは腕だけだった。
「――っ!」
その腕は痩せ細り、黒い毛がところどころで渦巻いていた。
近くによると背筋がぞわぞわして、めまいがしてくる。
これは負の感情を使った魔術だ。
悪感情や害意といった感情を使い、他人を害するためだけの魔術。
私の聖女の力とは正反対、呪いというべき力だ。
もちろん、私はこれまでにも呪いを打ち消してはきたけれど……。
「ここまで酷い呪いは初めてです……」
「……ぐっ、うぅっ!」
カーテンの向こう側から低い唸り声が聞こえてくる。
呪いに侵されている、苦痛の声だ。
「さぁ、聖女殿。どうか治療を」
「……はい」
私はその細い腕を取った。
骨と皮だけで、私の腕よりも細く感じる。
「――癒しを」
心を落ち着かせ、目を閉じる。
自分の中の眠る光。その光を指先へと押し出していく。
ゆっくりと光の粒が私の指先からあふれてくる。
「ぴぃ……」
オーリが心配そうに見つめる中、癒しの力が発現していく。
光の粒がゆっくりと男性の腕に触れて……。
「ぐっ! あああっ!?」
「えっ……!? そ、そんな!」
癒しの力に触れた男性が、カーテンの奥でさらに苦しんでいる。
こんなことは初めてだった。
「苦しいの!? ま、待って……っ!」
腕は暴れるが、力がない。
私がぎゅっと抑えるだけで制すことができてしまう。
その間にも光の粒は呪われた腕へと吸い込まれていく。
だけど、苦しそうな声が段々と大きくなっていく。
「うがっ、何を……するんだっ!」
(ど、どうしよう! こ、こんな……っ!)
癒し手である私が焦っては駄目だと思いながら、汗がにじむ。
このやり方しか私は知らないのに。
カーテンの奥の人はさらに私の力を拒絶する。
「ぐぅぅっ! や、やめ……!」
「そこまでです!」
私がはっとすると、宮廷魔術師が男性の腕から私を振り払った。
「きゃっ……!」
勢いのまま、私は床に尻餅をつく。
男性の叫び声は止まった――今のところは。
でも黒い毛の生えた腕はそのままだった。
……治療に失敗した。
それどころか、苦しませるだけだった。
呆然と天蓋付きのベッドを見上げる。
「……やれやれ。なんということだ」
私を引き剥がした宮廷魔術師が冷たい視線で私を見下ろす。
私はその視線に覚えがあった。
孤児だった時、散々見せつけられた視線だ。
劣った者、いらない人間……私は失望させてしまった。
「聖女殿、どうやら見込み違いだったようですな」
「待ってください、もう少し時間をかければ……」
「もう結構、あなたは失敗した。本物の聖女であれば、この御方を救えたはずなのに……」
そうして彼は首を振る。
「衛兵! 聖女を語るこの痴れ者を捕縛しなさい!」
そうして私はそのまま裁判にかけられ、ヘクタール王国から追放されたのだ。
聖女の称号も、何もかも剥奪されて。
唯一、私の元に残ってくれたのはオーリだけだった。
聖女を騙るのは恐るべき重罪らしい。
その罪にふさわしい刑罰はひとつだけ――大陸の中央にある宵闇の森への追放。
ヘクタール王国からお触れが回るそうで、諸外国にも私の居場所はない。
「……ぴぃ」
宵闇の森は果てしなく広大な森林だ。
あまりに危険なので、宵闇の森はどこの国にも属さない。
多数の魔物と負の魔力の吹き溜まり――まともな定住者はいなかった。
住むのは罪人、冒険者、ならず者、命知らずな商人くらいだ。
「大丈夫、オーリ?」
「ぴぃっ!」
オーリが喋れたら、私の無実を訴えてくれるに違いない。
でもオーリにそれはできない……。
ヘクタール王国がオーリを取り上げなかったのは、私が偽物だからだ。
偽物の聖女が連れる、偽物の託宣の鷹に興味はなかったのだろう。
馬車から乱暴に降ろされた私の前に、暗くて静かな宵闇の森が口を開けて待っていた。
オーリの柔らかい羽が私の頬を撫でる。
「頑張っていこうね」
震える手を抑え、私は宵闇の森へと入っていく。
こうしてその日、宵闇の森が私の家になった。
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