黒傘
神夜紗希
黒傘
ザァァァァ……
強い雨が降っている。
空も地面も同じ色に溶けるような、そんな大雨だった。
先ほどまでは降っていなかったのに、
本屋から出ようとした時にはこのざまだ。
天気予報を見ていなかった自分が悪い。
悪いと分かってはいるが、腹の底から苛立ちが湧いてくる。
舌打ちした拍子にうつむくと、
視線の先に、店頭の傘立てが目に入った。
色も柄もバラバラな傘が、半分ほど埋まっている。
(…借りるか。)
雨は止む気配がない。
ここで時間を浪費したくなかった。
仕方ない。
勝手な言い訳が、都合よく頭を支配する。
手を伸ばす。
一番大きな黒い傘があった。
体がでかいのもあるが、
この図体で女物や子供傘はごめんだ。
黒い傘を掴んで開く。
骨がギシ……と重く鳴った気がした。
重量もある。
「こりゃ、頑丈だな。当たりだ。」
男はニヤリと笑うと、土砂降りの雨の中へ踏み出した。
バシャ…バシャ…
地面の雨水を蹴りながら歩く。
豪雨のような雨が続き、まるで道路が川のようになっていた。
どこからともなく水が流れてくる。
歩きにくさ、ズボンや靴が濡れる不快感に、男は苛立ちが募っていく。
「クソが!」
悪態をつきながら進む。
その声を聞いているものはいない。
視界は止まらぬ豪雨に真っ白に近かった。
歩道の柵に沿って進むしかない。
本屋は家から近いのだ。
すぐに帰れるはずだ。
もう戻る事など考えたくもない。
バシャッ!バシャッ!
先程より強く蹴り上げながら進む。
膝近くまで雨水が這い上がってきていた。
足が重い。
水の中を歩いているだけとは思えない重さだった。
1番大きな傘を選んだ事を後悔する。
歩くだけでも大変なのに、傘が重くて腕が痛んできた。
強い雨のせいだけとは思えないような、骨ごと肩が沈むような重さだった。
男は舌打ちをしながら持ち手を変えようとした。
その時。
ドクン——。
握った柄が、まるで誰かの手首みたいに脈を打った。
自分の体からではない。
傘の柄からだった。
思わず目線を傘に向けると、
傘の内側に、長い髪の女が張り付いていた。
女の顔や体の皮膚の一部が傘の内側に縫いとめられている。
長く、黒い髪の毛は、傘の外側まで伸びていて、刺繍のように編み込まれている。
柄と傘の骨には、血の染み込んだ女の人骨が広がっていた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ」
男は思わず傘を道路に放り投げた。
傘は逆さになり、ぷかぷかと浮かんだ。
「何なんだよ気持ち悪りぃ!!」
男はずっと傘を持っていた右手を左手で摩る。
手を見ると赤黒い血の色に染まっていた。
男は慌てて自分の足元を流れる雨水に手を入れた。
「クソ!クソ!」
叫びながら手をゆすいで、前倒しにした体を起こそうとする、が。
起こせなかった。
それどころか、手も雨水の中から出せない。
何かが、水の中でゆっくりと手に絡みついていくのが分かった。
「やめろ!離せ!ふざけんじゃねー!」
バカみたいに叫ぶが、その声は土砂降りの雨に飲まれていく。
足も溜まった雨水の中から出せなかった。
体を捻りながらもがいていると、男は気付いた。
先程投げた黒い傘が、逆さに浮かんだまま、ゆっくりこちらに近づいて来ている。
荒く逆流する雨水に逆らいながら
現実ではありえないスピードで、
男の元へと向かってきている。
「…っ!おい!やめろ!来るな!」
ザァァァァ……
男の声は掻き消されていく。
そして、男の元へと黒い傘が辿り着き、トンッと軽く胸に当たった。
男は、もう、何も声を出さない。
傘の中の女と目が合った。
女は、目だけで笑った。
ドプンッ!
勢い良く傘は沈んだ。
傘の持ち手を、男の首にかけたまま。
ゆっくりゆっくり沈んでいく2つの黒い影は、やがて一つの影になった。
その影は、傘の形をしていた。
沈んだ影が消えたと同時に、豪雨のような大雨が嘘のように晴れた。
道路には少し大きな水溜りが残る程度で、
小さな子供が長靴で飛び込み、母親に叱られている。
その道路脇には、黒く、一際大きな傘が落ちていた。
風は吹いていない。
なのに傘の布が、ゆっくりと——
まるで呼吸をするように、膨らんだ。
黒傘 神夜紗希 @kami_night
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