#2

彼は月に2回、病院に通っている。

理由は何だったか思い出せない。

ただ、端末の予定表に記されているから行く。予定は自動的に更新される。通知が来る。彼はそれに従う。

病院は清潔で、無音で、すべてが整然としていた。

待合室には誰もいない。

「ケンジ・アオキさん」

呼ばれる。彼は立ち上がる。

診察室。

白衣の医師。年齢不詳。表情がない。

「最近、何か変わったことは?」

毎回同じ質問。

「いいえ」

彼はそう答える。

だが、喉の奥で別の言葉が蠢いている。

庭が見えます。

水をやると、土が喜ぶんです。

私の名前は、本当にケンジ・アオキですか。

医師は端末を操作する。

「体調に問題は?」

「ありません」

「睡眠は?」

「規則正しく取れています」

「食欲は?」

「普通です」

医師は頷く。

「次回の通院は、三週間後でしたね」

彼の口が勝手に動いた。

医師は一瞬だけ沈黙し、端末を確認する。

「……そうですね。次は3週間後です」

修正された数字を見て、彼は安心した。

なぜかは分からない。

ただ、自分の口から出た言葉が、ひどく遠いところから来たような気がした。

診察は5分で終わった。

帰り道、彼は薬局に寄った。

処方箋はない。だが、棚の前に立つと、ある薬のパッケージが目に入った。

認知機能改善薬。

彼はそれを手に取った。

なぜこれを知っているのか。

買ったことがあるのか。

レジに持っていくと、店員が言った。

「処方箋が必要です」

「……そうでしたか」

彼は薬を棚に戻し、店を出た。


*

夜、眠りにつく直前。

視界の端に、見知らぬ部屋が現れる。

古い時計。

畳。

壁に掛けられたカレンダー。

日付が書いてある。彼はそれを読もうとする。

一月

“睦月”。

今日は何日だったか。

一、二、三……。

並んだ数字を数えようとして、彼は目を開けた。

天井は白く、照明は正しく配置されている。

夢だ。

たまにこんな夢を見る。

忘れよう、そう判断する癖が、彼にはあった。

だが、今夜は違った。

枕元に、ノートがあった。

彼はそれを開いた。

自分の字だった。

だが、書いた覚えがない。

庭に水をやった。今日で何日目だろう。数えられない。数字が二つある。どちらが正しいのか。

医師は嘘をついている。

私はここに来る前、どこにいた?

彼はページをめくる。

名前が違う気がする。青木賢治。この字を書くたび、手が重い。

もう一つの名前があったはずだ。

それは——

その先は破られていた。

翌朝、彼はノートを探した。

どこにもなかった。

夢だったのかもしれない。

だが、手のひらに、ペンのタコがあった。

それは昨日までなかったものだ。

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