第21話

 リディアは馬を走らせながら、数千の敵を相手に斬り抜けていた。

 キョウとセレナが退いた後の退路を確保するため、

 彼女は大剣を肩に担ぎ、敵陣のど真ん中を突き破る。


 剣を振るうたびに、敵兵が吹き飛んだ。

 だが二万の歩兵は、まるで砂を寄せる波のように包囲網を再形成する。


「まだ来るのかよ……ッ!」


 リディアが罵声を吐いた瞬間、

 黒い騎馬隊が前方に現れた。


 千の騎馬。その先頭に——

 帝国四天王筆頭、ゼルフィア。


 冷たい視線がリディアを射抜く。


 刹那、両者は馬を走らせ、交錯した。

 大剣と長剣がぶつかり、火花が散る。

 爆ぜるような衝撃で、近くの兵がまとめて吹き飛んだ。


「邪魔すんなよ……化け物が!」


「あなたに言われたくはないわ、リディア」


 再び交錯する。リディアの大剣がゼルフィアの顔をかすめる。ハラリと落ちる髪。

 ゼルフィアの剣はリディアの肩を僅かに切っていた。血が滲む。


 追うゼルフィア。リディアは急に反転し、横殴りにゼルフィアではなく、馬の顔を叩いた。

 馬は驚いて急停止し立ち上がる。ゼルフィアは落ちまいと踏ん張る。


 その間にリディアは距離を取り突破した。


 エマとガルザが必死に陣を張り、

 そして、崩されていた。


「ガルザ、持たないぞ……!」


 エマの声は切羽詰まっていた。


 ガルザは決意したように首輪を取り出し、エマに差し出す。


「かけてください。狂化の術を……!」


「やめろ! キョウがあんなもの使わせるはず——」


「キョウ様が戻るための道を……俺は作りたいんだ」


 エマの手が震えた。

 だが、仲間を逃がすにはそれしかなかった。


「……ごめん」


 術式が発動し、ガルザの身体が赤く輝いた。

 その瞬間、獣のような咆哮を上げ、敵陣へ飛び込んだ。


「うおおおおおおああああ!!」


 兵が砕け、鉄が裂け、退路がこじ開けられる。


「今だ! 撤退するぞ!!」


 エマは涙を滲ませながら残兵を率いて南へ逃げた。

 リディアは北へ向けて脱出し、ゼルフィアの追撃を振り切る。


 戦場にはガルザの咆哮が、まだ響いていた。


 ——そして、その声が途切れた。


 戦いは終わった。

 ヴァルティアは陥落した。




 城の大広間は、帝国軍の旗に覆われていた。

 ゼルフィアが歩き入ると、床の血がわずかに揺れた。


 出迎えたのは赤髪のマリーナ。

 大きく開いたスリットから白い脚を覗かせ、

 敗者とは思えぬ妖艶な笑みを浮かべていた。


 傍らには縄で縛られたメルティナがうつむき立っている。


「ゼルフィア様……ご勝利、おめでとうございます。

 わたくしの働きも、微力ながら——」


「黙りなさい」


 その声は氷だった。


 ゼルフィアはゆっくりマリーナへ歩み寄る。


「あなた、キョウにつき、帝国兵を何人殺した?」


 マリーナの表情に焦りが走る。


「そ、それは誤解です!

 一時的に利用されていたに過ぎず——」


「言い訳が苦しいわね」


 ゼルフィアはさらに距離を詰め、

 マリーナの顎を指で掬い上げた。


 妖艶なマリーナでも、この距離では息が詰まる。


「あなたの節操のなさは有名よ。

 どちらに転ぶか分からない裏切り者ほど、面倒な存在はない」


 マリーナは笑顔を作ろうとした。


「わ、私は帝国の忠臣で……」


 ゼルフィアが、マリーナのスリットに指を滑り込ませる。


 軽く触れただけ。

 だがその瞬間、緊張で思わず声が漏れた。


「あっ....」


 ゼルフィアは冷笑を浮かべる。


「あら。

 あなたでも、そんな声を出すの?」


 挑発的で、残酷な微笑。


 マリーナは屈辱に頬を赤らめ、

 掴みかかろうとした。


「この、クソ女……!」


 その瞬間、ゼルフィアの足が滑らかに動く。


 マリーナの足元を払った。


「きゃっ——!」


 スリットが裂ける音。

 床に倒れ込んだマリーナの姿勢は無様で、白い太ももと薄地の布が露わになっていた。


 露出そのものより、帝国の兵が見ている中で転がされた屈辱がマリーナの顔を真っ赤に染めた。


「ゼルフィア……よくも……!」


 マリーナが起き上がろうとした瞬間、

 銀光が走った。


 音すらなかった。


 マリーナの身体が一瞬だけピクリと震え、

 そのまま前のめりに崩れ落ちた。


 首は、すでに床に転がっていた。


 ゼルフィアは返り血ひとつつかぬまま、

 剣を静かに納める。


「裏切り者は要らない」


 そしてメルティナに向き直る。


 縄をほどきながら言った。


「メルティナ。あなたは有能よ。

 私の下で働けば、罪は許される」


 メルティナは震えながら睨み返した。


「家族を殺した帝国のために働けと……?

 ふざけないで……よくそんなこと……!」


 ゼルフィアは小さく息を吐いた。


「喚いても過去は戻らない。

 頭を冷やしなさい」


「殺せ!! 今すぐ殺して!!

 私は……あなたたちなんか……!!」


 ゼルフィアの合図で、兵士たちがメルティナを押さえつける。


「牢に入れなさい。

 冷静になった頃に、また話を聞くわ」


 メルティナの叫びは、

 城内のどこかに吸い込まれるように消えていった。


 残されたのは、

 ゼルフィアの足音と、

 勝者の静かすぎる余韻だけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る