第20話

 マリーナが白旗を掲げた瞬間、

 ヴァルティア城は“外側”と“内側”から同時に崩壊を始めた。


 外では帝国軍と反乱軍が包囲を狭め、

 内ではマリーナの合図を受けた帝国の影部隊が、

 裏門から静かに侵入していた。


 城内にいた兵たちは、背後から突然襲い掛かった黒装束の女兵に、

 成す術もなく押し潰されていく。


 メルティナは、爆音と悲鳴が混じる中、

 信じられないものを見た。


「……マリーナ……?

 あなた……本気で……!」


 赤髪の女は、白旗を掲げたまま、

 帝国兵を城内に通していた。


 メルティナは怒りで震えた。

 細い指が震えるほど、全身に血が巡ってくるようだった。


「この裏切り者……ッ!!」


 術士隊長である彼女は、杖をそのまま短剣のように構え、

 マリーナに向かって駆け出した。


 ——が、刃が届くより早く、

 帝国兵の大盾が横合いから彼女を叩きつけた。


「きゃっ……!」


 倒れこんだメルティナは、そのまま数人の女兵に押さえ込まれ、

 腕を縛られる。


 マリーナは、冷ややかにその様子を見下ろしていた。


「……私はね、メルティナ。

 “貴族の代表”としては、ずっとキョウに従っているふりをしてただけよ。

 キョウの思想が受け入れられるわけないじゃない。

 この国の仕組み全部ひっくり返すような男に、未来なんてないわ。」


 明るく笑った顔は、どこか空虚だった。


「そして——この状況は渡りに船。

 帝国に戻れば、私の地位は何倍にもなる。

 あなたは……甘すぎるのよ。」


 メルティナは悔しさに涙を滲ませながら、

 帝国兵に奪われていった。


 


 外の戦場でも、地獄が始まっていた。


「キョウ!! こっちよ!!」


 セレナの声が響く。

 数十の術式が空に光を描き、帝国兵たちを焼き払う。


 エマは盾を砕きながら叫ぶ。


「キョウ! セレナを連れて逃げろ!

 あんたが生きてる限り……まだ……っ」


 ガルザも黒竜隊の残兵を率いて壁を作る。


「キョウ様! この道を抜けてください!

 俺たちは殿を務めます!!」


 キョウは叫んだ。


「バカ言え!! お前たちを捨てて逃げられるかよ!!」


 けれど、エマもガルザも同じ目をしていた。


 絶望と、それでも守りたいという意地。


「キョウ……あなたは……この国の希望なの……!」

 セレナが震える声で言う。


「キョウ様が死ねば……男たちの地位も、解放も……全部水の泡です!」

 ガルザが続ける。


「行けッ!! キョウ!!!」

 エマが怒号を上げた。


 その瞬間、リディアが後方から敵陣を大きく叩き割った。


「逃げ道作ってやったぞォォ!!

 行けえぇぇぇぇッ!!!」


 敵軍に亀裂が走る。

 それでも、包囲は完全には解けない。


 仲間たちは次々と倒れた。

 エマの肩が槍に貫かれ、ガルザの膝が崩れ落ちる。


 リディアは血まみれで踏みとどまり、最後の一撃を放つ。

 しかし帝国軍の波は止まらない。


 ついに——


 キョウとセレナだけが生き残った。


 



 二人は逃げた。


 森を抜け、丘を越え、

 強行軍を続け、

 傷だらけになりながら、

 息が上がり、

 周囲の音を確かめながら、

 ただ走り続けた。


 どれほど時間が経ったのか、もう分からなかった。


 やがて視界が開け、

 潮の匂いが風に混じりはじめる。


 辿り着いたのは、

 帝国の支配域から外れた、海辺の寒村だった。


 誰も住んでいない。

 荒れ果てた家が数軒。

 潮風にさらされた漁具。

 割れた窓。


 そのひとつに、

 キョウとセレナは倒れ込むように入った。


 埃っぽい床。

 壊れかけの机。

 雨漏りの跡。


 それでも——

 外の血の匂いよりはずっとましだった。


 セレナは、震える手でキョウの袖を掴んだ。


「キョウ……

 よかった……生きて……くれて……」


 その声は涙で揺れていた。


 キョウも、もう立っていられなかった。


(守りたかった……全部守りたかった……

 でも……何一つ守れなかった……)


 喉が詰まり、声にならない。


 二人は自然と近づき——


 抱き合った。


 互いの体温だけが、

 唯一の現実だった。


 外では、遠く波の音がざぶん、と響いていた。


 この世界の片隅で、

 キョウとセレナは初めて、

 互いを“ひとりの男と女”として感じ合った。


 

 ここから、ふたりの小さな亡命生活が始まる。

 そして同時に——世界の均衡が大きく傾き始めていくのだった。

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