第19話
包囲戦が始まって、ひと月が過ぎた。
帝国二万と、南から合流した貴族反乱軍数万。
数字だけ見れば、ヴァルティアなど一息で呑み込まれてもおかしくない戦力だ。
けれど――城は、まだ揺らいでいなかった。
帝国軍の投石車が唸りを上げ、
巨大な岩塊が次々と飛来する。
ドォン、と鈍い音がして石壁にぶつかるたび、
粉塵は舞い上がるが、壁そのものはびくともしない。
外見こそ普通の城に見えるが、
ヴァルティアの城壁は、もともと山肌を削り出した上に積み増したものだ。
厚みも硬さも、帝国の標準からすれば桁違いだった。
「また傷だけかよ……化け物みてえな城だな……」
反乱軍の兵が、怯え混じりに呟く。
梯子も掛けられない。
壁は高く、外側がゆるく反っている構造で、
梯子をかけようとしても角度が足りず、
下から支えてもするりと滑り落ちるだけだ。
門は分厚い鉄。
破城槌を幾度ぶつけても、
くぐもった金属音が響くだけで歪みすらしない。
城内には、事前に貯め込んだ兵糧と水が十分にあった。
男たちが管理する倉庫は秩序だって整えられ、
メルティナの改良した術のおかげで、重労働にも大きな疲労は出ていない。
城の中に漂う空気は、むしろ落ち着いていた。
「この城なら、半年は持つわね。」
そう言ったのはセレナだ。
彼女自身が、かつてヴァルティアを“帝国の砦”として整備させられた張本人である。
エマも頷いた。
「こちらが無茶をしない限り、すぐに落ちることはありません。
問題は……包囲がどこまで続くか、ですね。」
ガルザが笑い飛ばす。
「だったら、こっちの勝ちですよ!
帝国様だって、いつまでもこんな辺境に兵置いとけねえでしょう!」
表向き、皆の声は明るい。
ただ一人、キョウの胸の奥だけが、別の意味でざわつき続けていた。
城下に陣取るゼルフィア。
白銀の騎馬に乗り、静かにこちらを見上げる姿。
どうしても、その面差しは九条玲と重なって見えてしまう。
(……大丈夫だ。あれは玲じゃない。別の人間だ。
ここは会議室じゃない。戦場だ。俺はもう、あの頃の俺じゃない……)
何度も言い聞かせるように胸の中で繰り返しながら、
キョウは日々の軍務を淡々とこなした。
北方戦線から、ようやくリディアも戻ってきた。
異民族五千との散発的な襲撃戦を制し、
北の村々をどうにか守り切ったその身体には、
新しい傷がいくつも増えている。
「……やっと帰ってきたと思ったら、なんだこの数。」
包囲軍の陣を見下ろし、リディアは舌打ちした。
城に戻るか、外で敵を牽制するか迷った末、
彼女は城の外側に陣を敷いた。
「中に居たら、殴りに行けねえからな。」
いつでもヴァルティア側から打って出て、
包囲を少しでも削れるように――
それが、彼女なりの考えだった。
そんな中、ひとりだけ城を抜け出した影がいる。
シオンだった。
サーシャの動きが、どうにも不自然だった。
反乱貴族軍の装備。
金回り。
戦線の伸ばし方。
どれを取っても、ただの貴族の集まりにしては整いすぎている。
独立都市から流れる物資の中に、
シオンの知る“サーシャ印”のものが混ざっていることにも気づいていた。
(……南をここまで荒らせたのは、あの女の手……)
きっかけを作ったのは自分だ。
重傷で流れ着いたとき、
シオンは確かにサーシャに救われた。
その時の恩を信じ、
キョウのもとへ繋いだのは自分。
そして、サーシャは――帝国にも顔を向けていた。
「……愚か、だな。私。」
静かに呟き、シオンは黒装束を締め直した。
城の陰から、夜の闇へ踏み出す。
(反乱軍全部を止めることはできない。
でも……全部が本気でキョウ様を憎んでいるわけじゃないはず。
巻き込まれただけの貴族、家族を守るために参加した者……
そこから少しでも崩せれば……包囲は緩む。)
それが、彼女の出した答えだった。
反乱貴族軍の陣は、華美な天幕と粗末な兵舎が混じった、いかにもな寄せ集めの軍勢だった。
貴族たちの天幕には贅沢な酒や食事が並び、
城下の村から奪った家具や装飾品が無造作に置かれている。
夜。
巡回の兵の視線をやり過ごし、
シオンはひとつの天幕へと近づいた。
餓死を恐れ、いやいや反乱軍に加わったという噂の女貴族。
もし本当にそうなら、話を聞く価値はある。
息を潜め、布をめくる――その瞬間。
「やっぱり来たわね、シオン。」
低い声が、闇から刺さってきた。
シオンは即座に飛び退き、
反射的に短刀を抜く。
天幕の陰から歩み出たのは、
懐かしくも忌まわしい、黒衣の女だった。
カレン。
かつて共に暗殺任務に就いていた、同僚。
今は帝国に忠実な影。
「……カレン。」
「前は取り逃がしたものね。
今回はそうはいかない。」
金属が擦れる音が、静かに重なる。
カレンも短刀を抜いていた。
暗殺者同士の戦いは、悲鳴もなく始まった。
刃と刃が触れ合う、かすかな音。
一歩踏み込めば、二歩引き、
天幕の支柱を駆け上がり、
屋根から屋根へ飛び移り、
互いの影が交錯する。
音を立てれば警備の兵が押し寄せる。
だからこそ、戦いは限界まで静かだった。
やがて二人は軍営を抜け、外の森へ飛び込む。
枝から枝へ移り、
幹を蹴り、
短刀が木の皮を削って飛ぶ。
(焦るな……落ち着け……
ここで捕まったら……全部、無駄になる……)
そう分かっているのに、
胸の奥には焦りが混じる。
キョウの顔。
サーシャの笑み。
磔にされた村人たちの噂。
(時間がない……!)
その一瞬の迷いが――致命傷になった。
カレンの短刀が低い位置から走る。
「しまっ――」
バシュッ、と嫌な音がして、
シオンの足首を斜めに裂いた。
激痛。
片足が地を踏み損ね、そのまま転げ落ちる。
土の感触。
足に力が入らない。
カレンが、静かに歩み寄る。
「終わりよ、シオン。」
「……まだ……」
短刀を構えようとするが、体が言うことを聞かない。
カレンの刃が、月光を反射する。
翌朝。
ヴァルティア城の城壁に、伝令の叫びが響いた。
「キョウ様ッ!! 城外に……その…!」
嫌な汗がにじむのを感じながら、
キョウは階段を駆け上がる。
視界に飛び込んできたのは、
包囲する貴族軍の最前列。
そこに立てられた一本の十字架。
そして――
黒髪の女性が磔にされていた。
腕も脚も縛られ、
身体には槍で突かれた痕がいくつも残り、
血は既に黒く乾いている。
首は項垂れ、
風が吹くたびに、力なく揺れるだけだ。
「…………シオン……?」
何かの冗談であってほしい、という願いは、
一瞬で打ち砕かれた。
エマが口元を押さえ、
ガルザは拳を握り締め、歯ぎしりする。
セレナは顔色を失い、
その場で立ち尽くした。
誰もが、声を失っていた。
(なんで……お前が……)
胸が焼ける。
中身をえぐり取られたみたいに痛い。
自分の命令でここに来たのでもない。
でも、シオンは自分のために動いていた。
その結果が――これ。
キョウの視界が、じわりと赤く染まり始めた。
「……ゼルフィア……」
喉の奥から、何かがせり上がる。
怒り。
憎しみ。
後悔。
全部がごちゃごちゃに混ざって、
ひとつの叫びになった。
「ゼルフィアアアアアアアアッ!!!!」
叫びと同時に、
キョウは城壁から飛び降りた。
城兵たちが慌てて止める間もなく、
地面に着地するとそのまま反乱軍の中央へ突っ込む。
振り下ろした剣が、風を巻き込んだ。
十数人の兵が、一撃で吹き飛ぶ。
もう一振り。
二振り。
振るうたびに、血煙が上がり、
反乱軍の前線が本当に真ん中から割れていく。
「な、なんだあの男は!!」
「お、追え! ……いや無理だろアレ!!」
悲鳴とも怒号ともつかない叫びが飛び交う。
ゼルフィアは、その暴れぶりを見つめながら、
ほんの一瞬だけ目を見開いた。
(……常識外れね。
あれが、狂化術も首輪もなしで戦う男……)
だがすぐに、その瞳は冷たく細くなる。
剣筋は鋭いが、荒い。
怒りに任せた無茶な動き。
息も乱れ始めている。
(疲れている。
長くは保たない。
今なら……包囲できる。)
ゼルフィアは静かに手を上げた。
「――囲みなさい。」
号令とともに、帝国軍が半円を描くように進み出る。
キョウの前を塞ぎ、横を塞ぎ、
じわじわと包囲の輪を狭めていく。
「キョウ!!」
城壁の上から、セレナの悲鳴が降ってきた。
エマは迷わなかった。
「行くぞっ!!」
ガルザも叫ぶ。
「キョウ様を一人で戦わせるかよ!! 黒竜隊、ついて来い!!」
セレナも杖を握り締める。
「開門!! 援軍よ!!」
三人は一斉に城門へ向けて走り出した。
その動きを、城外からリディアも見ていた。
「やっとだな……!」
大剣を担ぎ、
帝国軍の側面へ回り込むように走り出す。
その時だった。
ヴァルティア城の側面、
普段はほとんど使われない小さな門のあたりから、
低い爆音が響いた。
ゴウン、と鉄が軋み、
煙が立ち上る。
兵たちが一斉に振り向いた。
外側へ向かって、
ゆっくりと開いていく小門。
その口の前に、
赤い髪がふわりと揺れた。
スリットから白い太ももを覗かせた、
艶やかな赤髪の女。
マリーナが、
片手に白旗を掲げて立っていた。
ヴァルティアは、その瞬間――
内側からも、音を立てて崩れ始めた。
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