第18話
三方からの侵攻は、まるで雨雲が一斉に押し寄せたようだった。
最初の報せは北から届いた。
異民族五千――複数の部族連合が、一斉に国境を越えてきた。
次に南。
ヴァルティアの旧貴族たちが武器を取り、反乱軍を組織して蜂起。
その数は、数千どころではない。
もはや“数万”と言って差し支えない規模に膨れ上がっていた。
そして東。
帝国から二万の軍勢が動き、
さらに――四天王筆頭ゼルフィアが直率しているという。
城内に響いた報告を聞いた瞬間、
キョウの表情が明らかに変わった。
「……三方同時、だと……?」
声にわずかに震えが混じる。
彼がここまで狼狽を見せたのは、これが初めてだ。
周囲の将たちも、息をのんだ。
エマが緊張した声で続けた。
「北の異民族は、進軍ルートがバラバラ。
略奪しながら散開しているわ。
正面でぶつかる敵じゃない。追いつけない。」
「南の反乱は、広がるのが速すぎる……」
ガルザが顔を歪める。
「昔の貴族どもが、相当金を持っていやがる……。
武器も……どっから仕入れてんだよ、これ……」
マリーナの瞳が細くなった。
「帝国ね。娘、どこまでも薄汚いわ……」
セレナは、最後の報告を読み上げた。
「……そして東。二万の軍勢。
四天王筆頭ゼルフィアが自ら率いている。」
キョウの手がわずかに震えた。
「ゼルフィア……?」
まるで、耳慣れた名前を急に突きつけられた子どものように、
その声音にだけは異様な色が混じっていた。
軍議の場が静まり返る。
キョウは、地図の上に視線を落としたまま固まっていた。
(どこかを……どこかを捨てないと、生き残れない……?)
そんなはずはない。
ここまで来るのに、どれだけの人の命と信頼を繋いできたか。
つい最近ようやく、街が活気づき始めたばかりだ。
なのに。
「……くそ……最悪の形で来やがった……」
初めて、弱音にも似た声が漏れた。
セレナがそっとキョウの横顔を見た。
その表情には、焦りと葛藤が入り混じっていた。
「キョウ……どこを優先する?」
問いかけに、しばらく答えが戻らない。
ようやく絞り出すように口を開いた。
「……北は……リディア。
動くなら、あいつしかいない。」
リディアが即座に立ち上がる。
「当たり前。あんな野蛮人、私が片付けてくる。」
頼もしさと同時に、キョウは苦渋に満ちた表情で続けた。
「南は……放棄するしかない。」
エマが息をのむ。
「キョウ……!」
「わかってる。わかってるさ……!
でも、もう手遅れなんだ……。
反乱軍の規模がわからない。
街ごと堕ちてる……こっちの戦力を割けない……!」
マリーナも黙り込んだ。
ここまで南が壊滅的だとは、彼女ですら予想していなかった。
最後に、キョウは地図の中央――ヴァルティア城に指を置いた。
「ここで籠城する。
総力三千……いや、後衛を含めても三千五百が限界だ。」
セレナがそっと彼の手に触れた。
「キョウ。あなたが決めたことなら……私たちは従う。」
キョウはわずかに目を伏せた。
「……みんな……ごめん。」
謝る彼を、誰も責めなかった。
誰より苦しんで決断したことを、全員が知っていたからだ。
それから数日――
ヴァルティアは、北と南を事実上放棄し、
城へと兵力を集中させた。
その間にも、外の情勢はみるみる悪化していく。
【北】
異民族は五千といっても、
五千の部族が一塊になって攻めてくるわけではなかった。
十数の部族が、それぞれ勝手に侵攻している。
ある村は夜明け前に焼け落ち、
別の村は昼過ぎに突然襲われ、
リディアたちが駆けつける頃には、既に半壊していることが多かった。
リディアは戦えば必ず勝った。
だが、勝てば勝つほど、
敵の侵攻範囲が広がるのを止められないという皮肉。
「……っ、追いつかねえ……!」
村の焼け跡で握りしめた拳が震えた。
【南】
反乱軍は、サーシャが裏で資金と武器を流していたため、
驚くほど統率が取れていた。
“貴族”というだけで縁が繋がり、
“反キョウ・反セレナ”を叫ぶだけで周囲の不満が雪崩のように合流する。
街の門を閉ざしたところで、
内側から内通者が開ける始末だった。
数万の軍勢が押し寄せ、
南の大半が炎に飲まれた。
そして――
【東】
帝国軍二万が到達した。
その中央に、一頭の白銀の騎馬。
背に乗る女の姿は、
その場にいた者全員の視線を奪った。
白磁のような肌。
整った顔立ち。
冷徹な眼差し。
紫紺の長髪を束ねた、圧倒的な威圧。
――ゼルフィア。
帝国四天王筆頭にして、
帝都防衛の要。
キョウは城壁からその姿を見下ろした瞬間、
息が止まった。
「……っ……!」
手が震える。
呼吸が荒くなる。
視界が揺れる。
(なんで……ここに……九条玲が……?)
違う。
違うのはわかっている。
だが――
ゼルフィアの姿は、あまりにも“九条玲”に似すぎていた。
声をかけることすらできない。
セレナが心配そうに覗き込んだ。
「キョウ……どうしたの……?」
キョウの眼は、怒りとも恐怖ともつかない色で染まっていた。
「……あいつは……絶対に……」
ゼルフィアが冷ややかに声を響かせた。
「ヴァルティアに告ぐ――降伏せよ。
そうすれば、民の命までは奪わない。」
その声音に、キョウは震えた。
そして――弓を掴んだ。
「キョウ!?」
セレナが驚く。
キョウの手は震えていた。
狙いも定まらない。
それでも、怒りに支配された手は矢をつがえ、絞り――
放った。
だが、矢は城下に大きくそれ、地面へ突き刺さる。
ゼルフィアの目が細くなる。
「……答えは、聞いた。」
次の瞬間、
帝国軍の陣に号令が走った。
城下を埋め尽くす二万、
その外側には三万の反乱軍。
ヴァルティア城は、完全に包囲された。
「攻城戦を始める。」
ゼルフィアの声が、
冷たい刃のように響き渡った。
城攻めが始まった。
しかし、ヴァルティア城の石壁はびくともしなかった。
帝国軍の投石車が何十発も石を放っても、
城壁表面に傷がつく程度。
石材の厚みが桁違いなのだ。
「……これ、本当に城なのか?」
反乱軍の一兵が震えた声で呟く。
そう。この城は“堅牢”という言葉では足りない。
“巨大な山塊をそのまま削って砦にした”ような構造で、
帝国の一般的な城とは比べものにならない防御力を誇っていた。
梯子も届かない。
城壁は高すぎるし、外側は緩やかな傾斜を描いていて、
下から掛けようとしても角度が足りず、簡単に滑り落ちる。
門は言わずもがな――
厚い鉄板を何重にも貼り合わせた頑丈な造り。
破城槌を何度打ちつけようと微動だにしなかった。
だが――
そんな堅牢な城を背にしながら、
キョウは背中に冷たい汗を流していた。
「……っ……は……はぁ……っ……」
呼吸が乱れ、胸が締め付けられる。
あのゼルフィアの姿が、頭から離れない。
白い肌。
紫紺の瞳。
冷徹な微笑。
そして――
九条玲と重なる横顔。
(……あいつ……あいつは……
なんで……玲にあそこまで似て……っ)
思い返すだけで、心臓がどくん、と跳ねる。
手のひらが汗で湿っていく。
それを見て、セレナが目を細めた。
「……キョウ。あなた……そんなに動揺して……」
言いかけ――
パァンッ!!
鋭い音が部屋に響いた。
セレナの掌が、キョウの頬を強く叩いていた。
「っ――!?」
キョウは驚きに目を見開く。
セレナは微かに震える指を握りしめながら、
それでもきっぱりと言い放った。
「キョウ……! しっかりして……!」
彼女の瞳は怒りではなく、
“心配”と“恐怖”で揺れていた。
「あなたが取り乱したら……みんな、崩れる。
あなたが立てなくなったら……誰がこの国を守るの?」
「……セレナ……」
「いい? ヴァルティア城は落ちない。
たとえ五万に囲まれても、何ヶ月でも持つ。
それが、この城の強さよ。」
セレナは城壁の図を広げ、キョウの肩を掴んだ。
「投石車では崩れない。
梯子も立たない。
門は破られない。
水も食糧も十分。
あなたが落ち着けば……この城は絶対に落ちないわ。」
キョウは、自分の荒れた呼吸を必死に整えようとした。
(……そうだ……落ち着け……
ここは玲に殺された会議室じゃない……
もう違う世界なんだ……)
セレナの声が、遠くから、しかし温かく響く。
「怖がってもいいわ。怯えてもいい。
でも……あなたはもう、一人じゃない。」
その言葉に、キョウは黙って頷いた。
少しずつ、呼吸が落ち着いていく。
帝国軍、反乱軍ともに、
予想外の難攻不落ぶりに完全に手が止まっていた。
「投石車、再装填ーー三十発目だが……全く崩れません!」
「門……固すぎます!
破城槌が跳ね返される!!」
「梯子が立たねえ! 角度が足りねえ!!
これ、どうやって登るんだよ!!」
兵たちが怯え半分に叫び始める。
ゼルフィアはその声を無視し、
ただ静かに戦況を観察していた。
(……なるほど。
この城は、正面から落とす城ではないのね)
焦りも苛立ちも浮かべない。
ただ淡々と、攻め口を探す猛禽のような目。
側にいた帝国将校が恐る恐る尋ねる。
「ゼルフィア様……この城……
無理攻めすべきでは……?」
「無理攻めは無意味。
損耗が大きいだけ。」
ゼルフィアは馬上から見下ろし、
ゆっくり指を滑らせて城壁を示した。
「この城は……
“どこかで開くはず”よ。」
「……開く?」
「城とは、人が守っているもの。
人は疲れる。
人は焦る。
人は裏切る。」
紫紺の瞳が細くなる。
「機を見て……扉を開かせるの。」
ゼルフィアは即座に“無理攻め”を中止し、
じっくり攻略を練る戦術に切り替えた。
外からは攻めず、
内部の隙を突く。
それが、彼女の戦い方だった。
キョウはようやく呼吸が整い、
セレナの手を握って立ち上がった。
「……悪い。助かった。」
「当然よ。あなたは、この国の……」
そこまで言いかけ、セレナは黙った。
城の外では、帝国と反乱軍のざわめきが続き、
その中心でゼルフィアがじっとこちらを見上げている。
その視線だけで背筋が冷えるほどの圧。
セレナは小さく呟いた。
「……ゼルフィア……
あの人は、“ただ攻めるだけの敵”じゃない……」
キョウも、わずかに息を呑んだ。
(玲……
お前はこの世界にも……
まだ俺を苦しめに来るのか……?)
戦いは、すぐには動かない。
だが――
ゼルフィアがこのまま終わるはずもない。
ヴァルティア城攻防戦は、
静かに、しかし確実に次の段階へ進もうとしていた。
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