第15話

 メルティナがヴァルティアの門をくぐったとき、

 その身体はまだ青白く、歩みも覚束なかった。


 シオンの仲間に運ばれ、医療棟へ運び込まれる途中、

 兵士たちの視線が突き刺さる。


「あれが……帝国の強化術者……」


「前衛一万を……」


「味方になったって本当か?」


 囁き声は冷たかったが、責め立てるほどの敵意ではなかった。

 むしろ“恐れ”と“警戒”の中に、どこか救いの気配があった。


 砦の会議室で待っていたキョウは、

 メルティナの姿を見るなり、駆け寄るように立ち上がった。


「メルティナ! シオンは!? シオンはどこに?」


 息をのむほど切実な声だった。


 メルティナは、シオンが自分を守って川に落ちたことを告げる。


 その瞬間、キョウの顔が一瞬で青ざめた。


「……そうか……いや、でも……あいつなら……絶対……」


 キョウの声は震えていた。

 女性に弱いとか、甘いとか、そんな噂ばかり聞いていたが――

 “仲間の安否”にここまで心を揺らす男だとは思わなかった。


(皇帝なら……ただ駒が一つ減った、と言うだけだろうに……)


 その違いが胸に刺さる。


 シオンのために涙をこらえるキョウの姿を見て、

 メルティナはふと、自分の胸の奥が温かくなるのを感じた。


 この男は、自分の兵を“人”として扱う。

 それは帝国では、一度も見たことのない光景だった。




 治療を終えた後、兵務局での話し合いが開かれた。


「軍務に復帰してほしい」

 その提案に、メルティナは首を振った。


「……無理です。

 わたしは、前衛を……何千も死なせています。

 わたしの術は……もう……」


 声が震え、視線が床に落ちる。


 戦場で見た光景。

 流れていく兵士たちの手。

 助けられなかった叫び。


 思い出すだけで、胸が絞られるように苦しい。


 しかし、キョウは即座に首を振った。


「戦えとは言わないよ。

 ……むしろ、今は心の傷を治す方が先だ。」


 その声はあまりに優しく、

 メルティナは手が震えた。


 続いてセレナが一歩進み出る。


「バフ術式は首輪に依存しているわ。

 男にしか効かないのは、その魔術構造が理由。

 もし“首輪なし”で使えるようにすれば、男女関係なく力を引き出せる。」


 キョウも頷く。


「研究をしない?

 嫌なら辞めてもいい。でも……君の術は、人を助けるためにも使えるはずなんだ。」


 メルティナは息を詰まらせた。


「……わたしに……やり直す機会を、くださるのですか。」


「うん。やり直しは、何度でもしていいんだよ。」


 その言葉に、胸が締め付けられる。


 メルティナは泣きそうな笑顔で深く頭を下げた。


「……ありがとうございます。

 ……本当に……ありがとうございます。」






 一方そのころ。


 シオンは川の流れに身を任せ、意識が遠のいたまま南へ流されていた。


 どれほど時間が経ったか分からない。

 気づけば南の港町――

 帝国にも王国にも属さない“独立都市”の浜辺に横たわっていた。


「……ずいぶんと傷だらけね。よく生きてたわ。」


 声をかけたのは、

 小麦色の肌をした女商人――サーシャ。


 露出の多い踊り子服のような衣装。

 茶色の髪を軽く束ね、異世界的なアクセサリーを耳に揺らす。


 商人にして、この都市の実質的支配者。


 シオンは食料と寝床を与えられ、治療を受けた。

 身動きが取れるようになった頃、サーシャは興味深げに尋ねた。


「ヴァルティアの話を、聞かせてもらえる?」


 シオンは簡潔に語った。


 男女平等の改革。

 首輪を外した男たちの笑顔。

 黒竜隊の誕生。

 帝国の暴政と戦う新しい国。


 サーシャは何度も目を細め、頷いた。


「面白いわね。

 ……そこまで変わる街、見てみたいわ。」


(やっぱり打算的……)


 シオンはその笑みに不安を覚えた。

 しかし――命を救われたことは事実だ。


「……キョウ様に、これを。」


 震える指で、布に包んだ手紙を差し出す。


 サーシャは微笑む。


「いいわ。届けてあげる。

 あなたの恩人に。」


 シオンは目を伏せた。


「……お願いします。」






 数日後。

 サーシャは珍しい果物や宝飾品を貨車に積み、

 ヴァルティアへ旅立った。


 街に入ると、前に来たときとは違う光景が広がっていた。


 働く男たちが笑顔だ。

 女騎士たちも、彼らに普通に声をかけている。


 畑は広がり、店は活気が出て、人々の顔色が良い。


「……ずいぶん、変わったわね。」


 思わず漏れたサーシャの呟きは、

 この街の“未来の価値”を確信したものだった。


 そして夜。

 キョウとの面会が許される。


 サーシャは正式な場で着る“正装”――

 踊り子風の衣装に身を包んでいた。


 肩と腹はあらわ。

 胸元は布で結ばれ、レースのように透けるスカート。

 足元が月光でかすかに浮かび上がる。


 キョウは、息を飲んだ。


「…………なんて格好してくるんだよ……」


 思わず声が漏れる。


 セレナは眉をひそめ、

「……破廉恥すぎるわ」と刺すような目を向ける。


 マリーナは「可愛いわね」と笑った後、興味なさそうに去っていく。


 エマは真っ赤になりながら「そ、その服は……規律違反じゃ……」と真顔で注意した。


 サーシャは微笑むだけだった。


「ありがとう。喜んでくれて。」


「いや喜んでない喜んでない……!」


「あなた、分かりやすいわね。」


 彼女はキョウの前に、一通の手紙を差し出した。


「これは……あなたに。」


 キョウは一瞬で表情を変える。


 封を開き、一文目を読んだ瞬間――


 その手が震えた。


「シオン……生きてる……!」


 涙こそ出さなかったが、

 その声は震えていた。


 サーシャは満足げに頷く。


「取引をしたいの。

 この独立都市と、ヴァルティアとで。」


 キョウは深く頭を下げた。


「……ありがとう、サーシャさん。

 あんたのおかげで……大切な仲間が生きてると分かった。」


「いいのよ。

 あなたみたいな指導者は、帝国にはいない。」


 サーシャは笑う。


「交易は、双方にとって有益。

 私は……あなたの国が好きよ。」


 キョウは照れくさそうに後頭部をかいた。


「……よろしく頼む。」


 こうして、ヴァルティアに新しい風が吹き始めた。


 メルティナの研究。

 シオンの生存。

 サーシャという新勢力。


 世界は、少しずつ、しかし確実に動いていくのだった。

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