第9話

 ヴァルティア城から三キロほど離れた丘陵地帯。

 陽光に照らされた赤髪が、ひときわ鮮烈な光を放っていた。


 五百の弓騎兵を率いるマリーナが、馬上から眼下の大地を見下ろしている。

 絹のように滑らかな赤髪を高く結い上げたその姿は、軍人である以前に“圧倒的な女”だった。


 腰の戦装束には深いスリットが入っており、馬の動きに合わせて白い太腿が覗く。

 鍛えられた脚線はしなやかで、それでいて獣のような力強さがあった。

 馬腹を締める足運びは完璧で、その美しさと強さは、敵兵の士気を奪うほどだ。


(皇帝アゼリアの叱責……あの死刑宣告。必ず取り返してみせる)


 マリーナは唇を歪め、鳶色の瞳でヴァルティアを指し示した。


「五百、散開。標的はガルザの男兵千よ」


 風が吹いた。

 次の瞬間、五百の弓騎兵は地を蹴り、夕陽を背負いながら散開していく。

 まるで赤い竜の翼が広がったようだった。



「敵襲――!!」


 ガルザ軍の叫びが野営地に響く。

 一斉に放たれた矢の雨が、まるで空から降る針のように男兵たちへ突き刺さった。


 悲鳴。

 血の匂い。

 盾に食い込む矢の衝撃。


 狂化首輪の力がない今、ガルザ軍千はただの“普通の男”だ。

 訓練も経験も浅い。


「くそっ、円陣だ! 盾を重ねろ!」


 ガルザの怒声で兵たちは陣形を組むが、それは悪手だった。

 マリーナ軍の弓騎兵は、流れるように陣の外周を走り続けながら正確に矢を撃ち込み、

 男兵たちの盾の隙間を容赦なく穿つ。


 数で勝るガルザ軍千だが――


(……これじゃ押し返せねぇ。逃げることもできねぇ……!)


 ガルザの歯がきしむ。



「キョウ、行かないでください! あなたは狙われているのです!」


 ヴァルティア城の厩舎で、セレナが手を伸ばしていた。

 声には焦りと、言葉にできない不安が混じっている。


「ここで動かなきゃ、ガルザたちが死ぬ。

 ……この戦は、俺が行かなきゃ終わらない」


 キョウは馬腹を蹴り、セレナから視線をそらさずに言った。


「大丈夫だ。戻る」


 その言葉を残して駆けていく背中に、

 セレナは薄く唇を噛み、彼の名を呟いた。


「……約束です。必ず」



 戦場に到着したキョウは、状況を一目で把握した。

 ガルザ軍千は完全に守勢。

 五百の弓騎兵が外側を旋回しながら矢を降らせ続けている。


(このままじゃ全滅だ……)


 キョウは百騎を率いて駆け出した。

 だが、敵の機動力と射撃精度は桁違いだ。


 交差するたびに味方が二、三人ずつ落とされる。

 地面には騎兵の影、砂塵、血の匂い。


 だが――。


(……見える)


 キョウの視界が澄み、まるで時間が遅くなるような感覚が走る。

 放たれる矢の角度、風の流れ、馬の蹄の位置――すべてが読めた。


 中央に、赤髪。


 白い太腿がまた開く。

 鋭い眼差しで戦場を見渡すその姿。


 マリーナだ。



「邪魔をしてくれたわね、男……」


 マリーナの声は冷たく甘い。

 弓を引き絞るたび、胸当てが上下し、どこか妖しい色気を纏っている。


 弦音。


 放たれた矢は雷のような速度でキョウへ直進する。


 だが――


 キョウの剣が軽く横に振られた瞬間、矢は空中で失速し地に落ちた。


「……なっ」


 マリーナの瞳が大きく見開かれる。


 その隙を突き、キョウは馬を飛ばし一気に距離を詰めた。


 マリーナも剣を抜き、横薙ぎに払う。

 白い太腿がスリットから大きく覗き、風に髪が舞う。


 だが。


「遅い」


 キョウの剣の方が早かった。


 火花。

 甲冑。

 赤髪がほどける。


 マリーナの兜が真っ二つに割れ、額から鮮血が流れた。


「っ……!」


 血が白い太腿を汚し、赤い線を落としていく。


 マリーナは歯を食いしばり、馬を返した。


「全軍、撤退ッ!!」


 五百の弓騎兵が砂塵を巻き上げ、風のように退いていった。



「キョウ将軍だー!!

 キョウ将軍が勝ったぞ!!」


 ガルザ軍千が歓声を上げる。

 血まみれの盾を掲げ、涙を拭いながら名を叫んでいた。


 キョウは息を整え、戦場の空気を深く吸い込む。


(……玲。お前が俺を追い詰めなければ、俺はこんな場所にいなかった。

 だけど――誰かを守る力が俺にあるなら、使ってみてもいいのかもしれない)


 胸の奥にわずかな熱が灯っていた。


(ここからだ……)

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