第5話

 野営地の天幕で、キョウ、ガルザ、主だった将校たちが集まり、軍議が始まった。


 最初の問題は明白だった。


「首輪だ」


 ガルザが自分の首元に手をやる。


「たとえ反旗を翻しても、女たちが印を結べば、俺たちは術で縛られる。これでは勝負にならん」


 将校たちは黙り込んだ。


「首輪を外せればいいんだがな……」


 誰かがぼそりとこぼす。

 そんなことは不可能だと分かっているからこその、弱い冗談だった。


 キョウは自分の首輪に手をかけ、何気なく引いてみた。


 金属がわずかに軋み――次の瞬間、あっさりと外れた。


「……え?」


 自分でも拍子抜けするほどの軽さだった。


 天幕の中が凍りつく。


「い、今どうやって……?」

「術式で封じられているはずだぞ、その首輪は……」

「嘘だろ……?」


 キョウは外れた首輪をしげしげと眺め、肩をすくめる。


「さあな。外れたんだから、そういうものなんだろ」


 最初に我に返ったのはガルザだった。


「キョウ殿……俺にも、試してもらえないか」


 首を差し出す。

 キョウが金具に指をかけ、軽く力を込める。


 カチリ、と小さな音がして、首輪は外れた。


 ガルザはしばらくその光景を信じられないように見つめ、やがて膝をついた。


「……自由だ……」


 その呟きが合図になったかのように、主だった将校たちが一斉に身を乗り出した。


「俺にも頼む!」

「お願いします、キョウ殿!」

「これさえ外れれば、俺たちは……!」


 次々と伸ばされる首。

 キョウが一人ずつ首輪に手をかけていくたび、金具はあっさりと外れた。


 天幕の空気が変わる。


「これで……女どもなんか目じゃねえぞ!」

「好きに動ける。好きに戦える!」

「今までの仕返しを――」


 浮き立つ声に、キョウは静かに言葉を差し込んだ。


「浮かれるな」


 その一言で、空気がまた張り詰める。


「首輪が外れたからって、それだけで勝てるわけじゃない。セレナを侮るな。あの女の攻撃を防げるのは、たぶん今のところ俺だけだ」


 ガルザが息をのむ。


「それに、装備の差もある。騎士たちは鍛えられた女戦士だ。正面からぶつかれば、お前たちは刈り取られる」


「では、どうする?」


 問うガルザに、キョウは小さく笑った。


「策はある。少しばかり芝居を打とう」


 ◇


 翌日、ガルザは縄で縛られたキョウを連れて、ヴァルティナ城へ向かった。


 縄は見た目ほどきつくはない。

 だが外から見れば、どう見ても捕虜だった。


 城門の女衛兵が目を細める。


「……手配書の男。捕えたのか?」


「はい。酒を飲ませて泥酔させ、縛り上げました。長官殿へお届けに参りました。懸賞金も、できれば……」


 そこだけは、ガルザの本音も少し混じっていた。

 衛兵は鼻で笑い、門を開けさせる。


 城内は依然として騒がしい。

 だが「捕縛した」という報告に、空気が少しだけ安堵に傾いた。


「長官のもとへ通せ」


 広間の扉が開く。


 セレナが、静かに彼らを待っていた。


 銀の髪をまとめ、いつもの制服に身を包んだ姿。

 昨夜の狼狽は微塵も見せない。


 だが、縄に繋がれたキョウを見た瞬間、

 セレナの瞳の奥に、一瞬だけ複雑な色が浮かんだ。


 失望。

 安堵。

 そして、どこか刺さるような痛み。


「よくやりました。ガルザ、と言いましたね。あとでしかるべき褒賞を与えましょう」


 セレナは玉座から降り、ゆっくりとキョウに近づいていく。


「結局、あなたはこの程度だったのですね。

 私の城を抜け出しても、酒と一時の自由に負けるくらいの……」


 そこで、セレナの言葉が途切れた。


 足元で、縄が音もなく崩れ落ちた。


「……え?」


 キョウの身体から、拘束が消えていた。


 反応するより速く、距離が詰まる。

 セレナは咄嗟に術を紡ごうとしたが、その手首を掴まれた。


 視界が反転する。


 背中が床に打ちつけられ、冷たい石の感触が全身に走る。

 次の瞬間、首筋に短刀の冷たさが触れた。


「動くな」


 低い声が耳元に落ちる。


 広間に悲鳴が上がる。


「長官!!」

「侵入者――!」


 同時に、ガルザが吠えた。


「今だ! かかれッ!」


 男たちが一斉に動く。

 女衛兵たちは印を結び、術を発動しようとする。


 だが――何も起きない。


「……首輪が……?」

「馬鹿な、こいつら全員……!」


 戸惑いが致命的な隙になった。

 剣が叩き落とされ、槍が奪われ、女たちは数で押し倒されていく。


 術という前提を失った瞬間、

 戦場の理はあっさりと反転した。


 広間は、あっという間に制圧された。


 女衛兵たちは武器を奪われ、城外へ叩き出される。

 扉が閉まり、残されたのは短刀を突き付けられているセレナと、彼女を押さえつけるキョウだけだった。


 セレナは悔しげに唇を噛む。


 ――どうしてこの男には術が効かない?

 ――どうして私は、この状況で命より先に彼の瞳を探している?


 答えは出なかった。


 ◇


 騒ぎを聞きつけ、エマが部隊を率いて洋館の前に集結した。


「長官はどこだ!」


「広間を占拠されています! 長官は、人質に……!」


 報告を聞いたエマは、歯を食いしばった。


 踏み込めば、セレナの命が危ない。

 だが引けば、城を奪われる。


 エマが逡巡している間にも、庭には男たちが展開していく。

 ガルザの率いる兵、およそ千。


 対するエマ隊も千。


 洋館の庭で、男と女の軍勢が向かい合った。

 風が止まり、空気そのものが軋むようだった。


 ――この瞬間、ヴァルティナの長い歴史は、大きく軋み始めていた。

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