第4話 不治の病
警察が踏み込んだその場所には、何とも言えない臭いが立ち込めていた。
このような現場には慣れているはずの警察官や刑事でも、平気で淡々と、
「まるで普段から毎日の日課であるかのようにふるまっている」
というように見えるのだが、実際には、
「いつまで経っても、慣れるわけなんかないさ」
と、心の奥では思っているに違いない。
そもそも、
「こんなことに慣れたくもないわ」
というのが本音で、そもそも、
「世の中に犯罪などなければ、自分たちの存在もないのかもしれない」
という複雑な思いを抱いていた。
特に、こんな場面を見せられれば、やりきれない気持ちになるというのも当然のことであり、それを思えば、
「この時だけは、自分が警察官であることを後悔することもないだろう」
と思う。
しかし、その惨状が酷ければひどいほぢ、警察官としての正義感がみなぎってきて、
「俺たちにしかできない」
という使命感も溢れてくる。そのおかげで、仕事に対しての強い気持ちを持つことができるというのも、皮肉なものだ。
今回の現場は、確かに異臭は漂っているが、どこか、ほのかな香りも漂っている。
どうしようもない惨状の異臭を、少しでも和らげようとしてなのか、芳香剤が漂っているのだ。
そして、その現場には、たくさんの花びらがちりばめられている。それこそ、
「一部の探偵小説などでは、そんな描写が描かれるものもある」
ということで、それを、
「耽美主義という」
ということは、ここにいる警察官のほとんどは分かっているようだった。
しかし、
「どうして、こんな手のかかることをする必要があるのか?」
ということは、その現場を見てすぐに分かるわけではない。
「ひょっとすると、犯人が捜査をかく乱するために、わざと施した装飾なのかもしれない」
とも言えなくもないからだ。
しかし、かく乱させるためということであれば、そこに何らかの計略が潜んでいなければならないが、一見すると、そこに、どんな計略があるのかということが、分かるはずもなかった。
警察官として、その惨状は、キレイであればあるほど、醜さというものも、裏に潜んでいる気がする。
それは、
「人間の内面的な思い」
というものであり、それが動機であったり、犯人の恨みにつながってくると考えると、現場の装飾が美しければ美しいほど、捜査員は、ゾッとしたものを感じさせられるということであった。
花びらは全部同じ種類ではない。
それこそ、ちりばめられた花びらで、フラワーアレンジメントを描いているかのようだった。
それを思えば、
「この犯人は、そういうフラワーアレンジメント系の人間なんだろうか?」
とも思わせた。
確かに、幾種類の花束を、地面にちりばめることで、平面を彩るという意味では、そこに、何かの法則でもあるのかということを思わせるが、逆にそう思ってみると、今度は、その芸術性が、無造作にも感じられた。
これが、逆に規則性を施しているということであれば、
「耽美主義的な要素は、半減しているのではないか?」
ということを、考えさせられるような気がするのであった。
確かに、耽美主義という言葉も聞いたことがあるし、小説や、それを原作とした映像作品や、アニメも見たことがある。
しかし、それは、警察官になる前のことであり、実際に警察官になってからは、壮絶な場面に立ち会っていればいるほど、感覚がマヒしてくるということもあって、
「耽美主義」
というものが、意識できなくなってくる自分を感じた。
それこそが、
「警察という仕事は、これ以上ないというリアルさを見せつけられるというものだ」
と考える。
ひどい時には、
「こんな惨状のひどさで感覚がマヒしてくることが、耽美主義につながっているのではないか?」
などという、意味の分からないような発想に至ったこともあった。
それだけ、感覚がマヒしているということであり、
「警察官として、何かのジレンマのようなものに、襲われているのかもしれない」
と感じるのであった。
今回の惨状に、出くわすことになったきっかけは、一本の通報からであった。
「110番通報」
ということで、当然無視することのできないものであった。
かかってきた電話というものは、
「Fマンションで人が殺されている」
というものだった。
殺人事件の通報ということにしては、通報者の声があまりにも冷静だったということで、電話を取った人も、最初から違和感を感じていたという。
普段から、緊急通報には慣れているはずの人たちが、
「自分たちよりも、落ち着いているように感じた」
ということであるから、それこそ、
「機械的な音声」
といえるくらいだったのかもしれない。
電話を受けた人間が、冷静になろうとすればするほど、相手の声が冷めて聞こえてきて、却って、ゾッとしたものを感じたのだという。それでも、
「デマではなさそうだ」
ということで、緊急に所轄に連絡をいれ、急行してもらったということである。
そこには、あたかも、
「耽美主義」
と呼ばれるような現場が控えて居ようとは、
「お釈迦様でも、分かるわけはない」
といえるかもしれない。
しかし、実際に現場を見た捜査員とすれば、
「これくらいの惨状は想定内」
ということで、逆に、
「通報者が冷静だった」
というのも、なんとなくであるが、分かる気もした。
「なるほど、このような現場を見せつけられれば、どこか冷静になるのかもしれない」
ということで、
「通報者が、犯人かもしれない」
という思いを最初に感じるのは当たり前で、
「第一発見者を疑え」
というのは、
「捜査のいろは」
としては、普通に当たり前のことなのかもしれない。
ただ、
「この現場を後から発見した人は、最初こそ衝撃を受けるかもしれないが、実際に、その衝撃が大きければ大きいほど、いったん冷静になると、今度は、冷酷にもなれるくらいの心境になるのかもしれない」
と感じるのであった。
それを思えば、
「この死体に施された花束は、死者に対しての、鎮魂の意味もあるのかもしれない」
と思えば、
「憎しみからの犯行」
とは、一概に言えないのかもしれないとも感じた。
「捜査に思いこみは禁物」
という言葉もあるが、そもそも、
「推理というのは、思い込みから始まるのかもしれない」
という意味合いもある。
問題は、
「思いこみによって、犯人の狙い通りに誘導されないようにしないといけない」
ということで、探偵小説であれば、
「叙述トリック」
と呼ばれるようなものんい、はまり込まないようにしないといけないということになるであろう。
それを思えば、第一発見の場面において、犯人がなぜこのような装飾をしたのかということに、余計な感情を抱くことで、相手の策略に嵌りこまないようにしなければと思うのであった。
実際に、捜査にあたる刑事は、これまでにも、似たような事件を扱ってはきたが、少なくとも、その中でも、
「異様な事件である」
ということにかわりはないだろう。
被害者は、警察官の中には、
「どこかで見たことがある人」
ということで、それが雑誌であるということに気づいた人はなかなかいない。
雑誌といっても、広告に乗っているくらいのもので、それが、それほど有名でもない作家の写真が、その出版社の広告として載っている程度だということで、記憶にあっても、
「どこに乗っていたのか?」
ということまで明らかになるほどのことはなかったであろう。
それを思えば、さすがに、すぐにその人の素性は分からなかったが、実際には、発見された死体のある部屋の住人であるということは、容易に想像がつくだろう。
ただ、死体の顔にも、装飾が施されていて、まるで、
「白い隈取」
ということであった。
まるで、歌舞伎役者のごとくのような状況は、
「誰か化粧のうまい人が、死に装束というものを顔にも施させたのであろう」
とも考えられる。
死因を調べると、胸を一突き、一気に抉られているところを見ると、鑑識にゆだねるまでもなく、
「即死だった」
と思える。
くまどりで分からないが、苦しんだという雰囲気はなさそうなので、それだけは、不幸中の幸いだったということなのかもしれない。
ここで死んでいるのは、この部屋の住人である、
「佐藤俊介」
であった。
「佐藤俊介って、作家の?」
と、捜査員の中に、知っている人がいた。
その捜査員こそ、最初に
「どこかで見たことがある」
と思ったその人で、思ったあと、少し考えて、この部屋の住人の名前を確認した時、
「なるほど」
と感じたのだ。
佐藤氏は、
「作家活動を、本名で行っていた」
という人で、
「佐藤俊介」
という名前に覚えのあった捜査員は、
「やはり」
と感じたのであった。
ただ、現場の様子と、読んだことのある彼の作品とをリンクさせてみると、その大半がリンクできるということから、
「何か、因果応報なところを感じるな」
というものであった。
もし、これが、自殺ということであれば、なんとなく、
「小説家の自殺」
というのは、古今東西において、珍しいことでもないということから、考えられなくもないが、他殺ということであれば、何が合ったのか不思議に思えるところがある。
殺された佐藤俊介のことを捜査員はいろいろと、初動捜査で分かってきたこともある。
「小説家というのは、大なり小なり変わり者が多い」
ということであるが、
「彼も負けず劣らずの変わり者」
ということであった。
特に、
「耽美主義」
ということに関しては、最近の作家の中でも特質すべき存在ということで、
「異端な作家」
といわれていたようだ。
そもそも、
「そこまで有名な作家」
というわけではないので、売れるためには、
「自分の強み」
というものを持っていなければならないということで、それが彼にとっては、
「耽美主義的な作品」
というものであった。
その時点では、まだ、遠藤氏の存在は明らかになっていなかった。
前述のような、
「佐藤氏と遠藤氏の関係性」
というのは、人に知られるところのものではなく、あくまでも、
「二人の間での関係」
というだけで、公には遠藤氏の存在は、影に隠れた存在ということであった。
だから、捜査線上に、初動捜査の段階で、遠藤氏は、その姿かたちは見えないということだったのだ。
そのかわり、注目されたのが、
「出版社の担当」
ということでの、向田氏だった。
彼は、初動捜査の段階では、
「参考人」
ということで、何度か聴取を受けていたが、彼は自分が参考人の一人と警察が考えているということを知ってか知らずか、
「俺は、関係ない」
とばかりに、あまり気にしている様子はなかった。
その冷静さから、最初の110番通報との冷静な声を結びつけることで、
「通報してきたのは、この男ではなかったか?」
ということだけは、信憑性があると警察が考えた。
そこで、
「彼をまずは、参考人から外して、110番通報をしてきた男」
ということで、聴取すれば、
「そこから、事件が少しは進展するかもしれない」
と感じたのだ。
そこで、警察は、
「向田さんが、100番通報されたんですか?」
と、直球で聞いてみることにした。
すると、案外と簡単に、
「ええ、そうですよ。原稿をもらいに行くと、あの惨状でしたからね。最初は救急車かと思ったんですが、胸に刺さったナイフを見て、絶命していることが分かったので、警察に通報しました」
ということだ。
「でもあなたは、電話を受けた警察官に対して、自分を名乗らずに電話を切ったそうですね?」
といわれると、また動揺も何もなく、
「ええ、そうですね。巻き込まれたくないという思いで、思わず切ってしまいました。その節は、申し訳ないことをしました」
と、さらに冷静にいう。
その言葉からも、浴用からも、
「本気で申し訳ないと思っているわけではないな」
ということは、明らかに思えるのだった。
本人も、
「警察がそう思っているだろう」
ということは百も承知ということで、考えているのではないかと思っているようだ。
それを考えると、
「まぁ、必用以上に刺激しても、この人からは何も出てこないだろうな」
ということは考えられるのであった。
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