第3話 耽美主義
そんな、
「自費出版社系の詐欺事件」
というものに引っかかることおなく、向田昭は、それから自分でも作家を目指して、相変わらず小説を書いていた。
しかし、そのうちに、
「活字の本というものが、もうなくなってきそうな気がするな」
と感じた時から、心のどこかで、
「小説家になる夢なんか捨てればいいんだ」
と思うようになったのだった。
とりあえず、就職した会社というのを、一度辞めた。結局長続きしなかったということであるが、
「飽きっぽい」
というところにもあるのかもしれない。
そもそも、バブル崩壊後というのは、
「年功序列」
であったり、
「終身雇用」
などという言葉は、有名無実ということになってきたということを思えば、一つの会社に、しがみつくなんてばかばかしいと思うようになった。
だからといって。
「その時に流行っているところに乗っかろう」
という気持ちもなかった。
そう思わせたのが、他らなぬ、
「自費出版社系の会社」
ということで、
「これらのことをブームとして、うまく切り上げることさえできれば、儲けたままで終わることができた」
ともいえるだろう。
しかし、やり方自体が、そんなうまく引き下がることのできるようなものではなく、そもそもが、自転車操業では、最初から無理だったといってもいいだろう。
だから、ブームに乗るというのは、
「引き下がれる自信がない限り、乗るわけにはいかない」
ということである。
一歩間違えると、
「善人、巻き込まれて、沈んでいくタイタニックのようなものだ」
ということになるだろう。
それだけは、先が見えているということで、できないことは思っていた。
だからこそ、
「一攫千金」
などというのは、夢のまた夢ということになり、ブームには、まったく目を向けることはなかった。
逆に、
「ブームが去って、枯れ木しか残っていないところ」
というのも、ある意味狙い目である。
誰も、目を向けようとしないが、それでも生き残っているところがあれば、その生命力というのは、すごいともいえるだろう。
そういう意味で、彼は
「出版社業界」
それも、生き残った、
「自費出版関係の会社に注目していた」
というのだ。
いろいろなウワサもあった。
そもそも、生き残ったところというのが、
「そもそも、最初の立ち上げた会社」
ということで、ある意味、
「礎」
といってもいいところだった。
そういう意味では、
「生き残るべきところが残った」
といってもいいだろう。
彼は、そこに目を付けたのだった。
そこで、会社を辞めてから登録していた、人材派遣会社で、この会社の募集があったことから、
「少しやってみるか?」
ということで応募した。
「入賞の経験はないが、アマチュア作家として、長年やってきた」
ということがよかったのか、採用ということになった。
その会社は、
「自費出版社」
ということで有名でもあったが、実際に、雑誌を出していたり、少しではあるが、自分のところから新書のようなものも出しているという、意外と地道な会社でもあったのだった。
「だから、生き残れたのかな?」
ということでもあるが、逆にいえば、
「普通の出版社が、本来の姿で、新たに開拓したのが、自費出版の会社ということで、本当は、他に出てきた、二番煎じの会社が、本来の道を外した元凶だったのかもしれない」
と感じたのだ。
実際にどうなのかというのは、中に入ってもよくわからない。
何といっても、すでに、
「詐欺業界の会社」
というのは、そのほとんどが倒産していて、比較のしようがないということであった。
それだけに、
「この会社のどこがよくて、悪いのかということを選別できないでいた」
というのが、本音だった。
だが、
「自費出版社の会社」
というものを、少しは見直してみるというのもいいかもしれないと思うのだった。
実際に入って見ると、営業的な仕事も任された。
とは言っても、しょせん派遣ということで、張り付くということまではなかった。
実際には、
「できあがった原稿をもらいにいく」
ということであったり、
「相談に乗ったりする」
という程度のことだ。
実際に、以前のような張り付いてでも原稿をもらうというような仕事ではない。そこまでの出版社ではないということで、あくまでも、その業態は、
「自費出版をしたい人のお手伝い」
というものであった。
向田氏の担当作家として、例の、
「富豪作家である佐藤俊介」
がいたのだ。
佐藤氏は、ミステリー小説に、オカルトを降り増せるような小説を得意としていた。
実は、向田氏が志していた作家というのも、似たような作品だった。
これは、面接の時に、社長から、
「だったら、佐藤氏の担当などいいかもしれないな」
といわれたのだった。
佐藤氏というのは、そもそも、もっと有名なところで書いていたのだが、最近では、なかなか本屋に作品が並ぶこともなくなったということから、早々と、有名出版社に見切りをつけて、この出版社に乗り換えた。
他の作家のように、
「原稿料だけでは食っていけない」
ということはなく、まだ、
「悠々自適な作家生活」
というものができるということからの、余裕というものであった。
だから、向田氏は、
「じゃあ、僕にやらせてください」
ということになったのだ。
「きっと、話が合うかもしれないな」
ということであったが、実際には。そこまで簡単ではなかった。
そもそも、作家の担当で、ちょうど、空いていたというのも、偶然とは言い切れないだろう。案の定、
「誰も、佐藤氏の相手ができない」
ということから、どんどん担当が辞めていったという、お決まりのストーリーということであろう。
確かに、
「同じ内容の小説を書くということで、佐藤氏も興味を持ってくれて、話は聞いてくれるが、それ以外の時は、横柄なもので、何をどう話しかけていいのか難しい。その場を取り繕うというのが、どれほど難しいのか」
ということであるが、向田氏とすれば、
「少しでも、佐藤氏の作風や発想を盗むことができれば」
と考えたのだ。
そのために、
「一挙手一同」
というものを見ていたといってもいいだろう。
そのうちに少しずつ打ち解けてくるというもので、短刀を初めて3か月くらいで、だいぶ落ち着いた話もできるようになってきた・
それまでは、話を聞いてくれていても、どこか、探りを入れるような素振りがあったので、緊張感がハンパないと思っていたが、最近では、余裕をもって話すこともできる。
それが、いいことだったのだ。
そのうちに、
「先生、先生」
と、何かにつけて、持ち上げるように話すようになると、相手も、まるで子供のように、それを受け入れているようで、お互いに、
「安心感というものを求めていたんだ」
ということに気が付いたということではないだろうか?
それを考えると
「結局は、お互いに作家だ」
ということになるのであろう。
佐藤俊介が作家になってから、その家老ともいうべき遠藤は、新聞記者になっていた。
いろいろなところに取材にいき、一時期は危険と思われるようなところにも取材に生かされることがあったので、
「さすがに、身体が持たない」
ということで、新聞記者を辞めていた。
そして、雑誌記者になったのだが、その時はどこかに所属というわけではなく、フリーのライターとなっていたのだ。それでも、その取材の才能は持って生まれたものなのか、それとも、それまでに培われたものなのか、とにかく、才能があるということで、フリーでも十分にやっていけるということであった。
新聞記者としても、危険さえなければ、そのまま続けていても十分だったことだろう。
そういう意味では、
「新聞社は、一人の優秀な人材を失った」
といってもいいだろう。
そんな遠藤の取材が、そのまま佐藤の、
「小説のアイデア」
として使われることも多かった。
最近の佐藤の取材では、結構幅広いところが多かった。
そもそも、
「自然を中心とした風景を題材にして、キジを書いている」
ということから、温泉や風光明媚なところ、さらには、食レポのような、
「文化的記事」
というのが多かったが、中には、
「都市伝説的なオカルト性のある記事」
というものを定期的に依頼してくる馴染みの出版社もあった。
普通の人はあまり乗り気ではない取材なのかもしれないが、遠藤とすれば、
「これは、佐藤の小説の題材になるな」
ということで、その取材の依頼を、いつも快く引き受けていた。
そういう意味では、佐藤の題材としての問題は、そんなにはなかったのだ。
実際に、遠藤が集めてきた題材が、結構、ネタのストックとして保管されている。
「紙の記事」
として保管してあるものも、
「パソコンにメモ帳機能を使って保存してある」
というものもある。
そんな遠藤が、
「実は彼も密かに、作家になりたい」
ということを熱望しているということを、知る人はいないだろう。
実際には、
「いろいろな取材もその目的のため」
ということであった。
佐藤氏が、オカルト系のような、
「都市伝説」
であったり、
「最後の数行で読者にあっと言わせる」
というような、
「奇妙な物語」
というものを得意とするようになっていたのだが、そのような小説を得意とするからなのか、佐藤氏の小説には、
「短編の話」
というものが多かった。
さすがに短編ともなると、結構書かなければ、作品としては成り立たないということになる。
だから、彼の本を文庫化すれば、
「どうしても、短編集という形にしかならない」
ということになるだろう。
だから、そんな短編集を書き続けるには、数多くのネタが必要というわけで、遠藤氏の集めてくるネタが、それこそ大切となるのであった。
遠藤氏の方は、実はそんなに焦っているわけではない。
それでも、最初に佐藤氏が、デビューすることになった時は、正直、
「焦らなかったわけではない」
ということであった。
「あの佐藤がデビューするなんて」
と、本当は、デビューできるとしても、もう少し時間がかかるのではないかとばかりに、タカをくくっていたというわけだ。
それでも、デビューしたからには、そもそもの、
「家老の血」
というものに逆らうことができないのか、
「応援や支援にまわる」
ということを余儀なくされるわけだった。
それこそ、
「人間の性というものではないだろうか?」
ということで、半分は諦めの境地のようなものがあった。
実際に、遠藤が集めてくる題材に、佐藤氏は、いつも嬉々として素直に喜びを表現している。
「ありがとう。僕が今のように、作家になれたのも、君のおかげだ」
といって、褒めちぎるのである。
実際に、褒められて嫌に感じる人はいないだろう。それは、遠藤氏としても、同じことであった。
ただ、それまで自分でも気づかなかったが、
「褒められると、思った以上に有頂天になる自分がいる」
ということであった。
しかし、遠藤氏の場合は、
「褒められて伸びるタイプ」
ということではないだろうか?
人によっては、
「褒められたり、おだてられて、それで伸びるなんてありえない」
と思っている人も若干数いるということである。
実際に、遠藤氏も、それまでは、その考えに近かったといってもいいだろう。
「褒められて伸びるなんて、そんなのは、本当の実力ではない」
と思っていたのだ。
そこに、何らかの信憑性があったわけではない。自分のまわりにそんな人がいたというわけでもないが、なんとなく感じていたのだった。
それは、きっと、
「俺の身体に流れる家老の血というものは、影響しているのではあるまいか」
と感じていたのだ。
なるほど、家老の血であれば、主君のためであれば、自分を犠牲にしても余りあるというくらいに思えてしかるべきだと思っていた。
それこそ、
「上杉景勝と直江兼続の関係」
といってもいいかもしれない。
「本来であれば、自分が大名になってもいい」
というくらいの実力があり、あの秀吉から、
「上杉家を出て、自分の家来にならないか?」
といわれたのを、丁重に断ったくらいだ。
もっとも、秀吉は、数々の有能な人間に、
「自分の部下にならないか?」
といっていたということなので、どこまで信じていいのか分からないが、少なくとも、そのほとんどの人が、その後有名となり、歴史に名を残していることから、
「秀吉の眼力」
というものは、侮ることはできないということになるだろう。
実際に、秀吉の配下になると、主君である上杉景勝と肩を並べる地位に上るということも可能であろう。
しかし、それをしなかったというのは、
「出世欲がなかった」
というよりも、
「家老としての血」
というものと、
「それだけ、主従の関係が深い者だった」
ということであり、どちらにしても、
「秀吉が見込んだだけの根性のある男だった」
ということになるだろう。
だから、生涯、上杉家のために尽くした従者ということで、歴史に名を残し、ひょっとすると、
「主君としてではなかった」
ということが、この男の本来の姿だったことで、余計に歴史の表舞台で輝いたということになるのかもしれない。
特に、戦国時代というのは、そういう、
「軍師」
であったり、
「参謀的な存在」
という人が、多く登場している。
「群雄割拠の戦国時代」
と呼ばれる時代において、大名が、大名として生き残るには、
「優秀な部下」
という存在が不可欠であっただろう。
特に、
「下の者が上にとって代わる」
といわれる、
「下剋上」
と呼ばれる時代なのだから、それも当たり前のことだといってもいいだろう。
それが、その時代の最大の特徴といってもいいだろう。
今の時代に通じるものがあり、
「歴史は繰り返す」
ということを感じさせるというものであった。
もちろん、今の時代に、
「戦国の世」
という歴史とはまったく違っているが、その側面では、
「企業間の競争」
であったり、
「出世欲」
というものが、戦のようなものとなって、静かに燃えているという世界を考えると、
「戦ではない戦」
といってもいいのかもしれない。
だが、実際に、
「作家デビューをした佐藤氏」
とは、若干の距離を取るようになった。
なるほど、作家としてのネタを提供するということに関しては、
「忠実なしもべ」
というものを演じているということであろう。
それを、
「従順」
といってもいいかもしれない。
作家デビューというものをしたおかげで、二人の間に、表向きには若干の亀裂のようなものが見えるかもしれないが、実際には、そんな亀裂のようなものはなかった。
ただ、心の中で遠藤氏は、
「俺は作家になりたい」
という思いを、佐藤氏が作家になった時点でも、隠しきっているのは、
「我ながら、すごいと思う」
と、遠藤氏は考えていた。
その思いを、もし知っている人がいるとすれば、
「それは、佐藤だけだろうな」
と思っていたが、確かにそうだった。
佐藤氏は実際には、遠藤氏の心が、遠藤氏が感じているよりも、分かっているようだった。
だから、
「遠藤氏には、佐藤氏に対して隠し事はできないだろう」
ということになるのであった。
佐藤氏とすれば、かなり、
「遠藤氏に対して遠慮というものを感じている」
ということだった。
そこには、
「かつての先祖に対しての、後ろめたさ」
というものがあったからだ。
それは、
「自分の代で、佐藤氏の領主としての地位を手放すことになった」
という思いからである。
今の時代になると、そんなことは当たり前のことで、一人の人間ごときが、歴史の大きな波に逆らうことなどできるわけもない。
そんなことはわかっていて、しょうがないことだということも分かっているのに、それでも、律儀に、後ろめたさを感じるというのは、
「領主としての血」
というものが、結局は、
「世間知らず」
ということだったに違いない。
それを思えば。
「佐藤氏と遠藤氏は、お互いに必要以上に気を遣いあっている」
といってもいいのではないだろうか?
佐藤氏というのは、遠藤氏に、
「後ろめたさ」
というものを感じていて、遠藤氏は佐藤氏に対しても、
「ひそかに作家を目指す」
ということを隠しているという、別の後ろめたさというものを感じている。
お互いに、後ろめたさということで引け目を感じているのだが、その感情は違うものであった。
しかし、それでも、感情的な根底にあるものは、実に近いところにある。それは、
「それだけ二人の主従関係というものが、表から見ているよりも深い」
ということを示しているということになるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「遠藤氏が作家になり、デビューすることになれば、二人の関係はぎくしゃくするのではないだろうか?」
というのは、
「遠藤氏だけの鳥越苦労」
という気がしてくるのであった。
佐藤氏は、遠藤氏が、
「小説家になりたい」
という野望を持っていることを、ウスウス気づいている。
それを妨害する気があるのであれば、とっくに何かのリアクションを示しているはずである。
しかし、そんなことはなく、今の状況では、
「自分のために、取材をいろいろ敢行してくれている」
ということを感じ、素直に、
「有難い」
と思っているのだから、佐藤氏には罪はないといってもいいだろう。
そんな二人の関係は、結構長く続いていた。
「作家になりたい」
という気持ちは相変わらずだったが、仕事や佐藤氏の支援ということが、思ったよりも多忙だった。
特に、
「ライターといってもフリーだから」
ということで、何でも自分でしなければいけないというわけだ。
「仕事を取ってくる」
というのも、自分の仕事になるわけで、それだけ、神経をすり減らすということにもなるだろう。
そういう意味では、逆に、
「佐藤氏への支援」
というのは、自分の仕事のストレスの発散にもつながるということで、
「俺にとって、仕事との両立は、ちょうどいいのかもしれないな」
ということで、
「小説家になりたい」
という夢は、どうしても、二の次になっていたのだ。
そして、そんな佐藤氏が、今回取材で得てきた内容が、佐藤氏の今回の小説に影響を与えるということになったのであった。
というのが、
「読者の皆さんは、耽美主義というのをご存じであろうか?」
という言葉から始まる小説であった。
これを、作者は今一度、この小説を読んでいる数少ないであろう読者に問うのであるが、
「耽美主義」
というのは、どういうことなのだろうか?
「道徳やモラルなどよりも、美というものが最優先される」
という主義のことだという定義があるが、実際には、それが、
「芸術」
や、
「文芸」
などに使われるということであった。
しかし、それが、小説の中などでは、
「犯罪に利用される」
ということで、
「美しい殺害現場」
であるために、
「殺害現場を、華々しく彩る」
ということで使われたりもする。
特に、
「血の色」
というのが、真っ赤な鮮血ということで、その美しさに魅了されるという人もいることから、犯罪における耽美主義というのを、最近では強く感じている人もいるのではないだろうか?
そういう意味で、
「猟奇殺人」
であったり、
「変質者の犯行」
ということで、考えられることが多いが、中には、
「変質者の犯行」
と思わせ宇ためのトリックがそこに含まれているということもあるということである。
ミステリー小説を志していた遠藤氏であるが、佐藤氏のために、
「都市伝説」
であったり、
「奇妙な物語」
というもののネタを取材として探している中において、自然と、自分も、
「耽美主義に、造詣を深めている」
ということになっていることを、感じるようになっていた。
実際に、
「耽美主義」
というものがどういうものなのか?
プロの小説家の作品も結構読んだ。
それらの作品を読んでから、佐藤氏の作品を読むと、
「さすがに、ちょっと規模が小さいような気がするな」
と思わせる。
しかし、それは、正常な感覚というもので、
「相手は、プロとして名をはせたつわものばかりだ」
ということを思えば、それも無理もないということになる。
実際に、遠藤氏としても、
「自分のミステリーに、耽美主義というのは、ハードルが高すぎるのだろうか?」
とも考えたが、彼が今まで仕入れてきたネタを、すべて佐藤氏に提供しているというわけではない。
一部は、自分で温めている。
というのは、
「いずれ、それを自分で使うつもりとしての、最終兵器だ」
というくらいに思っているのであった。
しかし、実際に佐藤氏にあげたネタでも、
「これは、使えないかな?」
と、佐藤氏が公言したものもあった。
そんなネタを、遠藤氏は、密かに持ち帰っていた。
「それなら、俺が使おう」
ということで、笑いながらではあったが、半ば本気だったということであろう。
だから、
「佐藤氏がボツにする」
という内容は、遠藤氏にとっては、
「自分のストック」
ということで、ありがたいとも思っている。
しかも、その内容は、
「俺が使ってみたい」
と思うネタが多いことで、余計に、遠藤は創作意欲というものを駆り立てられるということであった。
そういう意味では、
「佐藤氏の存在は、俺の執筆意欲を駆り立てるという意味でも、貴重な存在だ」
と思っていた。
実際に、そんなことを思うということは、それだけ、
「それまでの、家老としての意識が薄れている」
ということになるだろう。
それは、
「自分が小説を書きたい」
と感じるようになったことからであろう。
そうなると、これからは、
「主君と家老という主従の関係から、今度は立場的には平等な、ライバル」
ということになるのかもしれない。
遠藤は、少しずつ、
「ライバル意識」
というものが高まってきたが、佐藤氏の方はどうであろうか?
ライバルというわけでHないかもしれないが、
「主従ではない」
ということに間違いはない。
そもそも、今までの主従という考えが、今の時代に合うというものではないだけに、
「俺たちの感覚が、今の時代に追いついてきたということになるのだろうな」
ということであろう。
「俺たちは、これからどうやっていけばいいんだ?」
ということを考えてみると、
「やはり、お互いに切磋琢磨しながらやっていうことになるだろう」
ということで、これまでのような、
「支援者」
というわけにはいかない。
それができるのは、あと少しということで、
「近い井内に、佐藤に引導を渡さなければいけないな」
と思っていた。
そうなると、
「出版社も辞めることになるかもしれないな」
ということであった。
それが、佐藤にとって、
「青天の霹靂」
ということになるのかもしれないが、
「遅かれ早かれ、こうなるということだ」
ということであれば、それこそ、
「早いに越したことはない」
といってもいいだろう。
その時の佐藤氏の動揺がどれくらいのものになるかということは、
「想像に絶するものがある」
といってもいいだろう。
遠藤氏とすれば、どのようにすればいいのか、自分でもよくわかっていないのであった。
遠藤氏は、。家老という血のせいなのか、
「相手がどう考えるか?」
ということが、一番の最優先ということになる。
それがいいことなのか、悪いことなのか、遠藤氏には、よくわからないということであったのだ。
そもそも、今までの佐藤氏が出している作品は、半分は、遠藤のアイデアが入っている。それは、昔からの
「家老」
としての任務の意識からなのか、遠藤は表に出ようという気はしない。
「少しは、お前の名前で発表してもいいんだぞ」
と、佐藤氏は、遠藤にそういうが、遠藤は苦笑いしながら、
「いやいやいいんだ」
といって、マジで鼻で笑っているのだ。
しかし、そういう佐藤氏も、そんな遠藤の考えが分かって見越して言っているのか、彼自身も、鼻で笑っているのだ。
そんな光景を見ていると、
「この二人の関係性って何なんだ?」
と感じてしまうことだろう。
だから、二人を知る共通の人間というのは、実は結構数少ない。
「遠藤は知っているが、佐藤は知らない」
あるいは、
「佐藤は知っているが、遠藤は知らない」
という人がほとんどである。
しかし、そんな人の二人に対しての印象は決していいということはない。
佐藤に対しては、
「いつも、中心にいないと気が済まないようなやつだ」
という印象が大きいようで、遠藤に対しては、
「そんなに引け目にならなくてもいいのに」
というように、まるで二人の過去からの因縁を思わせるような感じである。
そして、城通に知っている人も、
「あの二人はいつも一緒にいるが、決してかみ合っていない」
といっている。
どちらかが、しゃべるとどちらがが黙ってしまって、会話が成立しないのだという。
それを聞いた、
「それぞれしかしらない人は、それを聞いた瞬間に、見たこともない相手の性格が手に取るように分かる」
というのだから、それこそ二人の関係というのは、
「これ以上分かりやすい関係ということはないだろう」
ということであろう。
しかし、不思議なことに、佐藤氏を知っている人は、
「どうも、奴隷にしているやつがいるらしい」
という共通の意見であるが、逆に、遠藤を知っている人は、
「やつのあの目は、従順に従っているようで、機会があれば、下剋上を狙っていると思わせる目をしている」
といわれるくらいだ。
「もし、戦国武将なら、二人のうちのどちらかが、天下を取れるかな?」
という話になれば、
「佐藤に関しては、絶対にないな」
という意見であるが、遠藤に関しては、考えが分かれるという、
「遠藤には天下を取れる」
と思っている人の大方は、
「希望的観測」
というものが往々にして入っているということだ。
「ナンバー2が、天下を取る世界線は、歴史の常套だからな」
ということである。
実際に、
「秀吉、家康」
と渡ってきた天下も、半分は、
「タナボタ的なところがあった」
といってもいいだろう。
偶然がなければ、歴史は変えられないということで、問題は、
「遠藤に、運があるかどうか?」
ということになるわけで、
「運がいい」
と思っている人は天下を取れるというだろうし、
「運が悪い」
と思っている人は、天下なんかとれるわけはないというであろう。
それが、ちょうど半々くらいになっているというのが、遠藤という男の性格から出る、見方というものだ。
「遠藤は、先祖代々、過半数というものを意識する家系だった」
といわれている。
これは、戦の数ということでもそうであるが、総力戦になった時に、いかに、戦の均衡を保つことができるかということを、
「極意」
としてきたという。
「群雄割拠の戦国時代、拮抗する戦国大名との戦では、長期戦となることも多いだろう。しかし、そんな中で、戦を制するのは、その流れをつかんだ方だ」
ということである。
つまりは、
「最初は、お互いに一歩も引かずに五部の戦をしているが、こちらに、少しでも余裕があれば、最期は押し勝つことができる」
ということで、
「そのためには、勢いを制するという必要があるということで、相手をいかに、戦力を消耗させるか」
ということである。
「そのためには、相手に力以上の緊張感を持たせて、その間に相手の力を消耗させる」
ということで、いざとなった時、温存していた勢いで、こちらが押し切れば、相手は勝手に、混乱し、何もせずとも、勝利は舞い込む」
という作戦だという。
もちろん、よほど相手の力を研究しておかなければできないことだ。
そのために、スパイを冠者として、忍者のように潜入させるということが必要である。それに長けていたのが、
「遠藤家だ」
ということだ。
そして、極意として、
「決して、相手に悟らせない」
ということが必要で、そのために、敢えて、
「軍師に収まっている」
ということであった。
ただ実際には、遠藤氏も自分の中で小説を密かに書いていた。しかし、それは、
「決して公開されることのない小説で、公開はしないが、いずれ人の目に触れることになるものとして、遠藤氏が温めていたもの」
ということであった。
だから、遠藤氏とすれば、ある意味、佐藤氏に書かせている小説は、そんな自分の小説の集大成ともいえるものの、
「隠れ蓑」
としての意味合いと、
「練習台」
としての意味合いとに分かれるのではないかとも思えるのであった。
それが、どんな小説なのかというと、それこそが、
「耽美主義」
と呼ばれるものなのかもしれない。
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