1-6 目覚めと出会い
これが昨今のよくあるネット小説ならば、「知らない天井だ」というお決まりの台詞を呟くのだろうが、なんとも言えない羞恥心を感じたルカは口を噤んだ。
体を起こし、ぼうっとする頭で、朦朧とした記憶を辿る。
思い出されるのは、目の前で起きた凄惨な記憶。
次々と脳裏に蘇る惨劇の光景と共に、胸の奥から酸味のある液体が食道を焦がしながら迫り上がってくる。
ルカは胸を抑え、吐き気を押し戻す。
ふと、気が付く。
ルカの最後の記憶。
右胸を貫通する、槍のような何か。
ルカは自身の胸をまさぐるも、そこに痛みなどは無い。
パジャマのようなものを浮かせて様子を見てみるが、そこには傷一つない肌が広がっていた。
あれは夢だったのだろうか?
混乱するルカの膝付近に、どん、と軽い衝撃が走る。
驚いて目を向けると、水晶のように煌めく、澄んだ瞳と目線が交差した。
見覚えのない、真紅の巨大な雀のような鳥がこちらを覗いていた。
ルカは叫び出すのを、すんでのところで堪えた。
明らかに、魔物と思われる怪鳥が、自らの膝上に鎮座しているのだ。
雀は何食わぬ顔でルカを見ており、呑気にその頭を差し出した。
撫でろと言わんばかりの様子に、ルカはしばし呆気に取られた。
しばらくして、ルカは勇気を出して雀に手を伸ばす。
雀に触れた瞬間、ルカはびくりと身体を跳ねさせ、警戒するも、雀は依然として動かない。
改めて、恐る恐る掌で雀に触れる。
その羽毛は柔らかく、それでいてきめ細かい。
上質な人形のような触り心地だが、そこにはしっかりとした体温と、僅かな息遣いに由来する上下の動きが感じられた。
雀は催促でもするように、自身の頭をルカの掌に押し付けた。
ルカは恐々、その雀を優しく撫でた。
雀は満足げに、そのつぶらな瞳を閉じる。
人を簡単に殺せるであろう魔物の頭を撫でているという奇妙な状況に、ルカは思わず笑みをこぼしてしまった。
そんなルカの心情への配慮などは一切なく、あくまでマイペースに、気持ちよさそうに撫でられる雀。
時折ルカが手を休めると、雀は僅かに目を開け、咎めるような視線を向ける。
その度にルカは苦笑して、再びその手を動かす。
そうすると雀は、ふん、と鼻を鳴らしていそうな顔をして目を閉じる。
そのようなやり取りを数回繰り返し、それなりの時間が経った頃。
「入間さん。失礼します。」
トントン、と優しいノックと共に、女性の声が響く。
ルカは驚いて声を上げることが出来なかった。
まだ意識を取り戻していないと思い込んでいたであろう看護師らしき女性が、静かにドアを開けた。
結果、意識を取り戻していたルカと目が合う。
そして、女性の視線は自然と、ルカの手元、正確にはルカに撫でられている真紅の雀に移る。
ルカと雀の間で、視線を数回往復させた彼女は、結局は雀のことを無視することにしたようだ。
「お目覚めになっていたんですね、入間さん。ご気分はいかがですか?」
優しげな笑みを浮かべながら、ルカに近付く女性。
思いの外美人な女性に、少しだけ緊張を覚えながらも、ルカはなんとか、「大丈夫です。」の一言を絞り出した。
幸いなことに、女性はこの手のコミュ障の扱いを心得ているようで、優しげな笑顔を浮かべた。
「今、担当の先生をお呼びしてきますね。少し待っていていただけますか?」
「あ、はい。」
ルカの返事を受け、女性は静かに部屋を出た。
美人だったなぁ、などと下賎な事を考えていると、手の甲に軽い痛みが走った。
驚いて見ると、雀が半目でこちらを睨んでいた。
嫉妬なのだろうか、そのあまりに人間臭い仕草に、ルカは思わず吹き出してしまった。
雀はさらにへそを曲げたのか、再びルカの手の甲を、その嘴で甘噛みした。
決して怪我はしない程度の力加減だが、ほどほどに痛い。
しょうがないな、と笑みをこぼしながら、雀の頭を撫でて機嫌を取る。
雀は、仕方がない、許してやろう、と言わんばかりの態度で目を閉じた。
ルカが雀と戯れていると、再び部屋のドアがノックされる。
今度はしっかりと返事をするルカ。
ドアを開け入ってきたのは3人。
眼鏡をかけた白衣の男と、スーツを着た痩せ気味の男、そして先ほどの女性看護師。
看護師以外の男性2人は、雀を撫でているルカに少し面食らったような表情を見せたが、あっという間に表情を取り繕う。
「入間琉華くん、だね?」
スーツの男は、低く気怠げな声音で問いかけた。
その質問に、ルカはゆっくりと頷いて答える。
「私はダンジョン庁の加護という。」
加護と名乗ったスーツの男は、ひょろりとした長身で猫背ぎみ。
スーツはしっかりと着こなしており、身だしなみは整っているものの、その姿勢と青白い顔、目の下の隈、そして少し間延びした気怠い口調から、若干だらしない印象を受ける。
ルカは加護に警戒しつつ、軽く会釈を返す。
その警戒を無視して、加護は淡々と続ける。
「きみも、質問が多くあると思う。だが、我々もきみに聞きたいことが山程ある。悪いようにはしないつもりだ。済まないが、大人しく協力してもらいたい。協力してくれれば、こちらもきみの質問に答える準備はできているつもりだ。」
どこか遠回しな物言いに、ルカは静かに頷いて同意した。
加護は、よく見なければわからないほど僅かに、一瞬だけ口角を持ち上げた。
あれで笑いかけたつもりなのだろうか。
ルカはそんな疑問を押し殺していると、白衣の男がルカに近寄る。
「ぼくは
調子はどう?、と、茶木は軽い調子でルカに声をかける。
白髪混じりのオールバックで、こちらも白髪混じりの無精髭。
少しがっちりした体格で、丸メガネをかけた茶木は、その風貌とは裏腹に、口を開けば気さくな雰囲気だった。
緊張が少しほぐれたルカも、澱みなく茶木の質問に答える。
そうして、体に痛いところはないか?などの問診、血圧や体温などを測定し、心音の確認など、一通りの簡単な診察を終えた。
全てを終えた茶木は笑顔で、「うん、健康そのものだ。」と太鼓判を押した。
茶木の診断を受け、加護は改めてルカへと向き直る。
「さて、入間くん。まず最初の質問なのだが・・・。その鳥は、一体なんなのかね?」
その部屋の全員の視線が、一斉に真紅の雀へと集中する。
肝心の雀はというと、我関せずと言った様子で、ルカの掌に頭を擦り付けていた。
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