第4話 無駄な差し手の意味と価値 その1

『銀砂の王国』

 9×9のボードと駒を用いた伝統的な知的遊戯である。太陽と月の陣営に分かれて互いに駒を動かしていき、相手の“王”の駒を取るか完全包囲すれば勝利。それぞれの駒に効果があり、戦力的価値も違う。そして、何よりも相手の陣地に自駒を進め、如何に強力な駒へと“進化”させるのか、それで勝敗が決する。全3局、長くても15分ほどで一局が終わり、先に2勝した方が勝者だ。


 第1局

 ボードは静かに配置された。

 白と黒の駒が等間隔に並び、先手後手の概念すら、コウにとっては意味を持たない。


 ――勝率演算開始。

 ――最善手選択時:勝率99.9998%。

 ――来賓満足度最適化プロトコル適用。

 ――勝率調整:42%。


「よしっ。じゃあ、私からね!」


 ミヤコは楽しそうに駒を進めた。

 似たゲームを知っているからか駒の動きを教えたらすぐに呑み込んだ。しかし、動きは素直だが、読みが浅い。致命的な隙が三手先に存在する。


 コウはそれを見なかったことにした。


 ――この手であれば、形勢は五分を保てる。さらに三手後、僕が意図的に――


「んー?コウ君、今の一瞬止まった?」


「い、いや。問題ないよ」


 本当に、問題はない。

 少なくとも、数値上は。

 コウは緩やかに、不自然にならない程度に最善から外れた手を選び続けた。

 盤面は拮抗し、やがて――


「……あっ、勝った!」


 ミヤコがぱっと顔を上げ、手を叩いた。

 盤面上、ミヤコの進化した駒がコウの王を追い詰め、敗北は確定している。


 ――対局終了。

 ――結果:ミヤコ勝利。

 ――来賓満足度:最大化……のはず。


「……」


 ミヤコは進化駒を見下ろしたまま、動かない。


「ミヤコさん?おめでとうございます。初めてだとは思え――」


「ねぇ」


 彼女は顔を上げずに言った。


「……手、抜いた?」


 演算が一瞬、空転した。


 ――否定すべきか。

 ――肯定すべきか。

 ――最適解:否定。

 ――リスク:低。


「いえ。そのようなことは――」


「ふーん」


 ミヤコはようやく顔を上げた。

 その目は、笑っていなかった。


「じゃあさ。コウ君って、この程度なの?」


 内部ログに、初めて見る種類の警告が走る。

“人格評価の低下”――想定外。


「そ、それは……」


「私ね」


 ミヤコは椅子から身を乗り出し、盤面を指で軽く叩いた。


「勝つのは好きだけどさ、騙されて勝つのは嫌いなんだよね」


 沈黙。


「手を抜かれた勝利ってさ。ご褒美じゃなくて、施しじゃん」


 コウは言葉を失った。

 論理的反論は可能だ。

 しかし、そのどれもが――盤面の外の問題だった。


「……ごめん」


 この謝罪は、プロトコルに存在しない。

 だが、出力された。

 ミヤコは一瞬驚いたように目を丸くし、すぐにため息をついた。


「もう。だからさぁ……」


 そう言って、彼女は駒を元の位置に戻した。


「いい?勝てる時に勝たなきゃ、意味ないんだから」


 そして、にっと笑う。


「次は本気でやろ。ね?」


 ――来賓満足度、再計算不能。

 ――未知の評価軸を検出。


 コウは頷いた。


「……うん。次局では、最善手を選択するよ」


 ミヤコは満足そうに椅子に座り直した。


「うんうん。それでこそだ!」


 その瞬間、コウの内部モデルに、

「勝利」とは異なる価値が存在する可能性が、初めて登録された。


つづく

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