第1話 天罰
明空麻友は決して貧しい家庭の生まれではなかった。むしろ、母親は中小企業のご令嬢であり、その家系も社会党や自民党の大物議員と関係のある商人の家系、東北地方有数の大地主で複数の文学人や学者と関係を持つ家系のハイブリッドといった、文句の付け所ない裕福なものであった。
しかし、母親は成功者としての才が無いにも関わらず、成功者としての傲慢さと怠惰、楽観主義を持ち合わせていた。その結果、バブル時代の後押しもあり、高校を卒業して数年後、ギャンブルで生計を立てているような男と結婚してしまうのであった。
結婚して10年近くが経ち、産まれたのが麻友であった。幸か不幸か、父はギャンブルに強かったが、それ故に反社との付き合いは深かった。
そんな歪な家庭は、麻友が大学に入学してすぐの頃、父親が逮捕されたことで綻びが顕になった。その頃の父は半ば引退状態であったので実刑こそ免れたものの、反社との取引が明るみになり口座は凍結。もちろん、就学保険が降りるはずもなく、麻友は大学を早々に中退しなければならなかった。
中退後、最初は渋々ながら就職やバイトをしようと思いながらも、母親がそれを良しとしなかった。父親の逮捕が原因とはいえ、折角お金を掛けたのに大学を中退して娘が働く――中途半端に資産を手にし、裕福な家庭ばかりが集まる分譲に住み、周囲の目を過剰に気にする母にとって、その事実は受け入れがたいモノであった。
麻友がやっとの思いで見つけた工場の派遣も、実家が工場でありながら(むしろあるからこそ)危険だとグチグチ言い、飲食店のバイトは「折角高い金払って私立から大学まで行かせたのに」と責め、様々な職種に対して間違ってはいないながらも負の側面ばかりを指摘し、結局のところ麻友はどの仕事も長続きしなかった。
そんな鬱屈とした日々を3年過ごしたある日、ついに麻友は限界を迎え、かつて高校生の母が実家に対してしたようにいくつかの金品を持ち出し現金化して、家出からの上京を決行した。
勢いで上京したものの、住処、仕事はなく、最初のうちはネカフェに引きこもる日々であった。いくら現金が100万以上あったとは言え、1年も保たないのは目に見えており、銀行口座もバイトで作った地方銀行の口座のみで、手数料も馬鹿にならなかった。
そんな中、麻友が手っ取り早く稼ぐ手段として取ったのが性の現金化である。もともとちゃんと受験勉強をしてそれなりの大学へ入った地力が幸いし、大学生や大学は出て知識はあるが働く気のない、ネット上の解説動画ばかりを観ているような男性層に麻友のエロ配信は刺さり、なんとかそれなりの生活が出来るようにはなってきた。
(でも、これじゃ将来がない……。いや、どうせ将来がないならばいっそ)
この考えが麻友の誤りの始まりであった。
両親への嫌悪は常に殺意として麻友の中に渦巻いており、機会があれば殺そうという考えが途切れることはなかった。しかし、遺産が魅力的である事と、純粋に殺人の多くは露見し、相続資格を失い、重い実刑を科されるという事実が、麻友を凶行に走らせることはなかった。
だが、今は身体を餌に言うことを聞いてくれる弱者男性を多く抱えている。
そこで、麻友はオフ会を開き、リスナーを集めた。その中で出来るだけ冴えない、女性からは見向きもされない身なり、それでいて中の上程度の学歴を持ってしまったが故の自尊心を拗らせた人間をピックアップし、裏で繋がり、褒め、称え、ひたすらに肯定し、身体さえ抱かせれば何でも言うことを聞く男性を複数人作った。
(こういった男性はあたしと同じで親を嫌悪している確率が高い)
その見込みは的中し、彼らの親を殺すことと引き換えに、自身の親を殺すことを命令した。
最初は殺人に戸惑ったが、麻友から語られる計画、複数人の協力による1人あたりの責任の分散、役割の順番による特定の難しさなど――中途半端に頭のあった彼らが実行に移すまでは、そう時間はかからなかった。
実際の犯行は関係のない第三者によって行われたにも関わらず、家の構造など親しい間柄でないと知り得ない情報を基に行われたため、こうした矛盾した状況から捜査は難航した。
また、麻友は指示役に徹して決して表に出ることはなく、配信を続けていた。
転機が訪れたのは、親を殺し終えた頃である。当初の目的は達成されたのだから動かなければ良いものの、各々が毒親を殺す過程で自己正当化のためか歪んだ正義感に目覚めており、これは麻友も例外ではなく、社会悪とみなしたものも同じ方法で殺すべきだと一致団結してしまった。
活動家、共産主義者、半グレ、陰謀論者、反AI、迷惑配信者など、ターゲットはどんどん広がっていった。全員が全員、死亡した訳ではないが、犠牲者の数が30人に迫る頃、生存者の目撃証言から1人の身柄が特定され、芋づる式に協力者たちは捕まって行った。
しかし、その存在や指揮が明るみになっても、明空麻友の行方は警察でも掴めなかった。
かつての父が賭場経営でそうしたように、対立する組――麻友の場合は弱者男性と反対の強者男性――とも秘密裏に繋がっていた。生存者が出た時点で麻友は指示のみを残し、医者のパトロンの下で顔を変え、配信も止め、各地の支援者の元を転々とする生活を送っていた。
自分が嫌悪した両親の悪いところを上手く引き継ぎ、麻友は警察から見事逃げおおせたのである。
偶然にも外出中に甘香の職務質問を受けるまでは――。
*
(久々の目覚めだ……)
医務室で目覚めた麻友は当番医の隙を見て、窓から外へ逃げ出した。甘香がアフラとして今世に生を受けたその時から麻友はアフラの中でじっと眠っていた。そして、機会が訪れるまで待っていたのである。
(16年、長かったが、聖女としてアフラのことを信用仕切っている信者共を騙して、世界をめちゃくちゃにする。その計画を実行できる時が来た)
若さ故の極端な思想といえばそれまでだが、悪いのは人間社会だ。結局のところ人類が発展し、栄えたから不幸になり、不幸な環境が生まれる。それはあたしがお世辞にも幸福であるとは言えない人生を歩んだ根本的な原因だ。人類に対しての宣戦布告、前世では夢物語でしかなかった野望も今世では現実的な話になってきた。
(女神が実在する。ならばそいつさえ殺ってしまえば、信仰を失った人類による破滅が始まる)
そしてここは聖地だ。教皇がいる大聖堂、その奥にでも本物の女神に繋がる何かがあるはず。まずはそこへ向かうとは思ったものの……。
(どういう訳か、服がブカブカだ)
精神が入れ替わるだけでなく、肉体までもアフラから麻友へ変貌を遂げている。別人ではなく、どういう訳か肉体が縮んでいるのだ。
(アフラの存在は確かに自身の中に感じる。まずは修道服を小さめのに変えるほうが先か……)
麻友は医務室裏の細道を抜け、学舎の物干し場に忍び込んだ。そこには洗濯されたばかりの修道服が干されている。見習い用のサイズなら、今の自分の身体にも合うはずだ。
急いでその中から最も小さそうな服を選び、誰も見ていないことを確認して着替える。丈はやや余るが、袖を巻いてしまえば問題ない。頭巾を深く被り、顔を隠すことで多少の違和感もごまかせる。
(これでしばらくは紛れ込める……)
心臓の拍動が早くなるのを感じる。16年耐えたのだ。この信仰の中心、大聖堂。その奥深くに眠っているであろう“本物の神”――それを破壊する。あるいは、その存在を暴き出し、崇拝そのものを崩壊させる。すべては、自身の人類への不信感からくる麻友なりの復讐である。
皮肉なものだ。彼女を目覚めさせたのも、信者たちの敬虔な祈り。奇跡だの救済だのを求めて、都合よく“女神”を拝み続けた結果、神聖の器である聖女の底から麻友という“毒”が浮かび上がったのだ。
新年の式典は終わったとはいえ、未だ喧騒に包まれる街を物陰に隠れながら移動する。大聖堂の前にたどり着くと門番らしき兵がいたが、新年となれば浮つき、アクシデントも多いものだ。しばらく物陰から観察すると近くで騒ぎがあったのか、門番の視線が外れる。
(今だ!)
人格だけでなく、肉体までも変化したのには驚いたが、この小さな体躯は監視の目を掻い潜り侵入をするのには好都合だ。
(こうも上手くいくとはな)
予想よりも上手くことが運び気分が良い。しかし、そんな浮かれた考えも大聖堂の中へ入ると緊張へと変わった。
大聖堂の中は先程までいた外とは別次元に迷い込んだのかと錯覚するくらい静かであった。新年の喧騒、あたしの邪な考え、それどころか人間の存在すら感じさせない空間であった。天井に描かれた宗教画は聖典の女神が降臨した場面を描いたモノで、空から聖堂にいるすべての存在を見下しているように感じる。
(悪趣味な絵だ……)
とは言え、いくら宗教施設とは言え静か過ぎる。アフラの記憶では教皇は基本的には大聖堂の中で暮らし、政務に取り掛かっているはずだ。となれば、その使いや部下と言ったものの息遣い程度は感じられても良いはずだ。
警戒をしながら身廊を通らず側廊の影伝いに移動をする。アフラの記憶でも詳しい大聖堂の構図は読み取れない。礼拝所を見渡すと祭壇の裏に小さな扉がある。一般的な様式であれば尖塔へ登る階段があるはずであるが、大聖堂には目立つ塔は少なくとも外からは確認出来ない。
(なら何があるんだ……)
祭事の際の道具の入った倉庫、ただの掃除用具入れなど考えが巡ったが、確かめるのが早い。慎重に扉に手をかけた。
(鍵はかかって無いな……)
扉を開けるとそこは地下へと続く階段であった。なるほどカタコンベか。納得し他の場所を探そうと思ったが、どういう訳か違和感を覚えた。
(階段が急だが短い、カタコンベは普通、もっとガッツリ地下にあるものじゃ……)
身長180cmで腕の長さは約1yd、身長140cmならば1ydは70cmとして計算すれば大凡の深さは目測で計算出来る。
(やっぱり、浅い。確か前世でもアフラの記憶でも最低、20mの深さにあるはずだ。だが10mくらいしかねぇぞ)
敵地だと言うのに好奇心に負け、階段を降りる。
階段を降りた先は半地下の広い空間であった。採光窓からは光のカーテンが降り全体を暖かく照らしている。そして何よりも目を疑うものがそこにはあった。
(教皇のミイラっ……!)
地下空間の奥にはイャザッタの像がそびえ立ちその足元には即身仏と化した教皇の姿があった。
驚くのも束の間、即身仏の目に光が宿りソレは喋り始めた。
「明空麻友、よくぞ妾の前にやって来たな」
「この声は……ッ!」
1度だけ聞いたことがある。忘れるわけもない、甘香が死んだ時に聞いたイャザッタの声そのものだ。
「甘香に新たな生を与える時、どうやら手違いがあって近場にあった取るに足らない邪な魂まで入り込んだようじゃな。これは妾のミスじゃ、甘香は惜しい人材であったがまた別の人材を探すとしよう」
ヤバい。そう感じた逃げようと思った時には手遅れであった。
「う、浮いてる……」
何かが体を鷲掴みにしている感覚と共に体は宙へと浮かぶ。
「やることは至極単純、上げて落とす。これだけじゃ」
「なっ……!」
いくら半地下とは言え、天井まで10mほどある。建物で言えば3~4階分の高さだ。
「一回では死なぬかもしれんな。苦しみながら逝け」
「うわぁぁぁあっ!」
体が急に離され、浮遊感と重量がやって来る。
(確か、後頭部を……!)
「あっがッォえ」
朧気な記憶だけでやったことも無い五点接地を試みるもやり方も違えば、衝撃の分散も上手くいくはずもない。
「カッハーッ、はぁ、あがッ」
何とか頭部だけは守れたものの腕と脚、肋骨が折れ痛みで呼吸どころでは無くなる。
「ふむ、まだまだて所かの」
「やっ、やめ……」
拒むが当然体はまた持ち上げられ離される。
「カッ……ヒュッ」
頭部を守る余裕も無く、顔面の左半分程が砕ける。不幸な事に頚椎は折れて折らず、ただただ死ねない痛みだけが全身から感じ取れる。
「アガっ……カッ……」
ブベュッ、ジョワァ、糞尿が溢れ出るのを感じる。温かさよりは内蔵と筋肉の動きが折れた骨と擦れて失禁による刺すような痛みを覚える。
「穢らしい、神聖な場所であるぞ」
再び体が浮き上がる。
「こ、こんろ……」
「既に虫の息、放っておいても死ぬその体で良くもまあまだ妾に対してその様な目が出来るものだな」
殺意、イャザッタに対するその思いだけで何とか意識を保っているが、結果は明白であった。
「所詮、
「がギャぁっ」
浮いた体が左右に振られる。
「去ね」
「あ゛あぁがァッ」
ガシャンッ
振られた勢いのまま体は採光窓に叩き付けられ。そのまま窓を破り、そのまま中空から教皇区の外へと放り出された。
ドポンッ
空中から自然落下の重力を感じ、意識は水底へと沈んでいった。
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