第24話 止めたはずの瞬間

 翌朝、叶多は出勤してすぐに端末を立ち上げた。昨日の評価ログを確認する。タイムスタンプ、入力履歴、動画記録。新基準の運用開始と同時に導入した、簡易の記録システムだ。判断の過程を残すための仕組み。あの「沈黙」を繰り返さないための道具。


 そのはずだった。


 ログは残っている。

 だが、重要な部分だけが抜け落ちている。


 止めた瞬間。

 休止に入った瞬間。

 患者が「ちょっと息が」と言った瞬間。

 そこが、まるで最初から存在しなかったように空白になっている。


 叶多は椅子に深く座り直した。

 これは偶然ではない。偶然にしては綺麗すぎる。


 キーボードを叩き、バックアップを探す。

 ローカル。サーバー。同期履歴。

 ない。


 記録が「消えた」のではない。

 記録が「残らなかった」ことになっている。


 背後で、足音が止まった。


「……何してる」


 成瀬だった。


 叶多は画面を見せた。

 成瀬は無言で覗き込み、数秒後、ゆっくりと息を吐いた。


「消されてるな」


「……ですよね」


「誰が」


 叶多は首を振った。分からない。分からないが、分かることもある。これは現場の端末操作に慣れている人間の手口だ。ログの欠け方が、事故のときの議事録の“簡潔さ”に似ている。


 隠すのは事故ではない。

 判断の過程だ。


 それをやる人間は、ひとりしかいない——と、言いたいところだが、今回は違う。久我は評価設計から外れている。彼がやる意味がない。むしろ彼は、こういう“処理”を手放そうとしている側だ。


 では誰が。


 成瀬が低い声で言った。


「医療安全の端末権限、誰が持ってる」


 叶多は唇を噛んだ。

 医療安全管理部。情報管理。事故報告の統括。

 現場の記録を「整える」権限を持つ人間。


 そこに、答えがある。


「……確認します」


 叶多は立ち上がった。

 止めたはずの瞬間が消えているなら、今度は「消せない証拠」を作らなければならない。だが同時に、こんなことを考えてしまう自分が怖い。


 自分は、いつから“犯人探し”をしている。

 医療の現場で。

 患者の横で。


 それでも、やめられない。


 事故が、また「処理」されるなら。

 誰かが、また壊れる。


 叶多は病棟へ向かう廊下を歩きながら、胸の奥で冷たいものが固まっていくのを感じた。


 第二部のミステリーは、ここから始まる。

 転倒ではない。骨折でもない。


 判断の過程が消える事件だ。

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