第17話 選択
選択は、常に評価の直前にやってくる。
叶多は、新しく組み直した評価案を手に、朝のミーティングに臨んでいた。休止基準を明確にし、声かけのタイミングを限定し、第三者が介入できる確認ポイントを設ける。どれも派手な変更ではないが、評価の流れを確実に変える設計だった。
「提案があります」
叶多が口を開くと、数人の視線が集まる。
久我は、資料から目を上げなかった。
「今日の退院前評価ですが、この基準を追加したいと思います」
資料を回す。
若手の療法士が目を通し、小さく頷く者もいた。
「休止基準が増えているな」
久我が、低い声で言った。
「はい。疲労や集中力低下を、数値と行動で判断します」
「評価が遅れる」
「安全が担保されます」
一瞬、空気が張り詰める。
久我は、ゆっくりと顔を上げた。
「その基準で、事故は防げると?」
「少なくとも、止める判断は共有できます」
「共有、か」
久我は小さく息を吐いた。
「判断は、現場で完結すべきだ」
「現場は、個人ではありません」
叶多は、静かに言った。
「全員で現場です」
沈黙が落ちる。
久我は、資料を一度だけ見返し、口を開いた。
「……今日一日、試行としてやる」
その言葉に、叶多は息をついた。
完全な承認ではない。
だが、拒絶でもない。
評価は、緊張感の中で始まった。
患者は六十代後半の男性。回復は順調だが、午後になると疲労が出やすい。
立ち上がり。
歩行開始。
叶多は、基準表に目を走らせる。呼吸数、歩幅、視線。木下は、声かけを控え、距離を保っている。成瀬は、少し離れた位置から全体を見ていた。
折り返し地点で、患者の歩幅が微妙に乱れた。
基準に、かかる。
「ここで休止します」
叶多は、迷いなく言った。
「まだ行けるよ」
患者は笑ったが、叶多は首を振る。
「次で、また確認しましょう」
評価は中断された。
事故は起きない。
だが、評価室を出た直後、久我が立ち止まった。
「橘」
「はい」
「その判断、記録に残せ」
「残します」
「全員が納得できる形でな」
久我の視線は厳しかったが、そこに感情はない。
評価者としての問いだった。
その夜、叶多は遅くまで残り、記録をまとめた。止めた理由、数値、行動。曖昧な言葉は使わない。誰が見ても再現できる形に落とし込む。
書き終えたとき、時計はすでに日付を跨いでいた。
選択は、終わらない。
一度決めれば、次も同じ判断を求められる。
翌日、久我から短い連絡が入った。
「今日も、同じ基準でやる」
それは、承認ではない。
だが、拒否でもない。
叶多は、静かにスマートフォンを置いた。
選択は、評価のたびに繰り返される。
その積み重ねが、現場を変えるかどうかは分からない。
それでも、自分は選んだ。
事故が起きてからではなく、
起きる前に止める道を。
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