第16話 孤立

 孤立は、突然訪れるものではなかった。


 翌日から、評価室の空気がわずかに変わった。誰も露骨に態度を変えたわけではない。声を荒げる者も、非難する者もいない。ただ、叶多に向けられる視線の質が、少しだけ違っていた。


 評価前の簡単な打ち合わせで、久我は必要最低限の指示しか出さなくなった。視線も合わない。質問を投げても、答えは短く、感情のないものになる。


「今日の評価、確認事項はありますか」


 叶多がそう尋ねると、久我は資料から目を離さずに言った。


「設計通りでいい」


 それだけだった。


 評価は続く。

 叶多は、以前より慎重に患者を観察した。呼吸、表情、歩幅の微妙な変化。止める判断を、できるだけ言語化しようと努める。


 事故は起きない。

 だが、評価後のフィードバックもない。


 昼休み、休憩室で木下と向かい合った。


「最近、大変そうだな」


「そう見える?」


「久我さん、ちょっと距離置いてるよな」


 木下は言葉を選びながら続けた。


「正直、現場が回りにくくなってる。評価が止まるたびに、予定がずれるし」


 その言葉は、責めているわけではない。

 事実を述べているだけだ。


「患者の安全を優先してるだけだ」


「分かってる。でもさ……」


 木下は、少し視線を逸らした。


「俺たち、チームで動いてるだろ。誰か一人だけ判断を変えると、全体に影響が出る」


 叶多は、何も言えなかった。

 それもまた、正論だった。


 午後、成瀬が評価表を持って近づいてきた。


「最近、孤立してるな」


「……自覚はあります」


「悪くない」


 成瀬は、淡々と言った。


「全員に好かれる判断は、だいたい安全じゃない」


 その言葉に、少し救われる。


「ただし」


 成瀬は続ける。


「孤立したままでは、何も変えられない」


「どうすればいいんですか」


「言葉を揃えろ」


 成瀬は、評価表を指で叩いた。


「お前の違和感を、誰でも使える言葉にする。設計に組み込める形にしろ」


 叶多は、深く頷いた。

 感覚だけでは、久我の論理に勝てない。


 その日の終業後、叶多は一人、評価室に残った。

 床に引かれたテープの前に立ち、患者の歩行を想像する。


 どこで疲労が出るのか。

 どの瞬間に、判断を変えるべきか。


 止める理由を、数値と手順に落とし込む。

 誰が見ても、同じ判断に辿り着ける形にする。


 それは、久我のやり方に近い。

 だが、目指すものは違う。


 久我は、事故を起こさないために設計を固めた。

 自分は、止める判断を共有するために設計を変えようとしている。


 同じ設計でも、向いている方向が違う。


 夜、帰宅した叶多は、ノートに新しい評価案を書き始めた。

 休止基準。

 声かけの制限。

 第三者の確認ポイント。


 誰か一人の感覚に頼らない。

 誰も黙らなくて済む形。


 孤立は、確かに辛い。

 だが、今は必要な時間だ。


 この先に進むには、

 誰かと対立する覚悟だけでなく、

 誰かと再び繋がる準備が要る。


 叶多は、ペンを置いた。

 孤立の先に、道はある。


 それを信じるしかなかった。

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