第13話 歪んだ正義
久我の正義は、一貫していた。
それに気づいたとき、叶多は妙な納得を覚えた。事故が起きる前も、起きた後も、久我の言葉はぶれていない。患者安全。再発防止。責任の所在。すべてが、理論として整っている。
歪んでいるのは、正義そのものではない。
正義が、修正されないことだ。
昼休み、久我はリハ室の端で、若手数名に囲まれていた。評価設計についての簡単な指導だ。叶多は少し離れた位置から、その様子を眺める。
「評価は流れだ。途中で止める判断は、よほどの根拠がなければならない」
久我は、ホワイトボードに簡単な図を描く。立ち上がりから歩行、折り返しまでの一連の動線。
「ここで止める理由が説明できないなら、続ける。それが公平だ」
公平。
その言葉が、叶多の胸に引っかかる。
公平とは、同じ条件を与えることだろうか。
それとも、違いに応じて判断を変えることだろうか。
「久我さん」
叶多は、思い切って声をかけた。
「評価の途中で止めた場合、その判断は誰が検証するんですか」
場の空気が、わずかに張り詰める。
久我は、ゆっくりとこちらを見た。
「止めた本人だ」
「第三者は」
「必要ない。評価は、現場で完結する」
その即答に、叶多は言葉を失った。
「責任を分散させると、判断が鈍る」
久我は続ける。
「だから、設計を整える。設計が正しければ、判断は揺れない」
それは、五年前の事故を経てたどり着いた結論なのだと、叶多は理解する。
誰も責任を取らなかった。
誰も正解を示せなかった。
だから、久我は正解を作った。
設計という形で。
午後、成瀬とすれ違ったとき、叶多は低い声で言った。
「久我さんは、自分が正しいと信じている」
「信じている、というより」
成瀬は、歩みを止めずに答える。
「疑う余地を消している」
その表現は、的確だった。
疑う余地がなければ、悩む必要はない。
悩まなければ、迷いも生まれない。
だが、その正義は、人を黙らせる。
評価の場で、違和感を覚えた者は、自分の感覚を疑う。
止める理由を探す前に、設計の正しさに引き戻される。
それは、意図的な抑圧ではない。
むしろ、善意の産物だ。
終業後、叶多は一人、評価室に残った。
床に引かれたテープ。
歩行距離の目印。
ここで、患者は一歩を踏み出す。
そして、誰も止めなければ、その一歩は次に繋がる。
事故は、突発的に起きるものではない。
起きるまで止められなかった結果だ。
久我の正義は、事故を減らすために生まれた。
だが、その正義は、別の形の事故を生み続けている。
叶多は、深く息を吸った。
自分は、この正義に対抗できるのか。
理論では勝てない。
経験でも及ばない。
それでも、現場で見た事実だけは、否定できない。
歪んだ正義は、常に正論の顔をしている。
だからこそ、厄介なのだ。
叶多は、評価室の灯りを消した。
次に事故が起きる前に、
自分ができることを、見つけなければならない。
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