第9話 一致する条件

 事故が二つ続いたことで、叶多の中に「偶然」という言葉は残らなくなっていた。


 だが、それを証明するものは何一つない。

 証明できない違和感ほど、厄介なものはなかった。


 終業後、リハビリテーション室が静まり返った時間帯。叶多は机に広げた評価記録を、一枚ずつ並べていった。最初の事故、二つ目の事故、そして事故が起きなかった評価。


 患者の年齢。

 疾患名。

 麻痺側。

 回復段階。


 どれも似通っているが、完全に一致しているわけではない。

 環境要因も、時間帯も、微妙に異なる。


 それでも、目を凝らすうちに、ある共通点が浮かび上がってきた。


 ――評価の設計。


 どの事故も、評価の順番と内容が、ほぼ同じ構成だった。立ち上がり、直線歩行、折り返し。負荷の上げ方も似ている。教科書通りで、非の打ちどころがない。


 そして、その設計をしていたのは、すべて久我だった。


 叶多は、思わずペンを止めた。


 設計そのものに問題があるわけではない。むしろ、安全性を考慮した無難な構成だ。だが、無難だからこそ、誰も疑わない。


 評価は、設計された通りに進む。

 誰も、途中で流れを止めない。


 さらに、もう一つの共通点があった。


 事故が起きた評価では、必ず「励まし」が入っている。

 木下の声。

 患者自身の言葉。


 できる。

 大丈夫。

 もう少し。


 その言葉が、評価の最終局面で、必ず発せられている。


 叶多は背もたれに身体を預け、天井を見上げた。

 設計。

 言葉。

 判断。


 それぞれは正しい。

 それぞれは善意だ。


 だが、それらが同じ方向を向いたとき、誰も止め役にならない。


 翌日、叶多は成瀬に声をかけた。


「成瀬さん、少し時間いいですか」


 二人は、リハ室の奥にある資料室に入った。外の喧騒が遮られ、静かな空間になる。


「事故の評価、見直してみました」


「……で?」


「共通点があるように思うんです。評価の設計と、声かけ」


 成瀬は黙って聞いている。


「設計自体は正しい。でも、その流れを誰も止めていない」


「止めなかった、か」


 成瀬はゆっくりと頷いた。


「評価の場では、止める理由を説明できなければならない。説明できない違和感は、無視される」


「でも、違和感は確かにあった」


「だろうな」


 成瀬は短く答えた。


「久我さんは、その違和感を信じない」


 叶多は、胸の奥が冷えるのを感じた。


「信じない、というより……」


「排除する」


 成瀬は言葉を選ばなかった。


「評価に、曖昧さを残したくないんだ。だから、設計を完璧にする。完璧な設計の中では、違和感はノイズになる」


 叶多は、事故の場面を思い出す。

 あの一瞬の迷い。

 止めるか、続けるか。


 久我は何も言わなかった。

 木下は励ました。

 自分は、判断を委ねた。


「……成瀬さんは、どうして止めなかったんですか」


 成瀬は、しばらく沈黙した。


「俺は、評価者じゃなかった」


「でも、見ていた」


「見ていたからだ」


 成瀬は、低い声で続ける。


「評価の場で声を出すには、責任がいる。久我さんの設計に口を出すなら、それ以上の根拠が必要だ」


「根拠がなければ、黙るしかない」


「そうだ」


 資料室を出ると、夕方の光が廊下に差し込んでいた。

 叶多は、足を止める。


 事故は、誰かが意図して起こしたものではない。

 だが、誰も止めなかった結果、起きた。


 その構造が、少しずつ見え始めていた。


 叶多は、自分が次にすべきことを考え始める。

 違和感を、言葉にする。

 止める理由を、作る。


 それができなければ、

 次もまた、同じ流れが繰り返される。


 一致する条件は、揃っている。

 あとは、それをどう扱うかだった。

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