(2)査察の通達

「アラタさん……?」


不安そうに見上げてくるミーナに、僕はできるだけ柔らかい笑みを返す。


「大丈夫。ちょっと、今のギルドのお金の出入りがどうなってるのか、ロアンさんに教えてもらえないか相談してみるよ」


「お金の……流れ?」


「うん。どこから入ってきて、どこに消えてるのか。

 それが分かれば、少なくとも“今どれくらい危ないのか”くらいは見えてくるから」


ミーナは、ぽかんと口を開けた。


「そ、そんなこと、分かるんですか?」


「たぶん。僕、一応、そういうのを仕事にしてたから」


――元の世界では、だけど。


心の中で付け足しながら、僕はカウンターの向こう、ギルドの奥を見やった。


乱雑に積まれた帳面。

鍵もかかっていない金庫――本当に中身は空なのだろう。

そして、朝からひっきりなしに出入りする冒険者たち。


剣と魔法の世界。モンスターと戦う勇者たち。

子どもの頃から本で読んできた“ファンタジー世界のギルド”のはずなのに――。


「……裏側の金勘定は、けっこう生々しいんだな」


気がつけば、そんな独り言を口にしていた。

ファンタジー小説に出てくるギルドの裏も、現実は案外こんなものなのかもしれない。

いや、ここが“現実”と言っていいのかは、いまだによく分かっていないけれど。


ただひとつだけ、はっきりしていることがある。


――このまま放っておいたら、ミーナの給料は、そのうち「遅れる」どころじゃ済まなくなる。


胸の奥に、じわじわと不安と、変な責任感が広がっていく。


「……よし」


小さく息を吐いて、僕は心の中で決めた。


ミーナの笑顔を守るために。

そして、拾ってくれたこのギルドが、本当に潰れないようにするために。


僕は、この世界でもう一度、自分の武器――数字の読み方を使ってみるべきだ。


たとえそれが、剣も魔法も使えない“役立たずの雑用”にできる、唯一の戦い方だとしても。


* * *


そもそも、僕がこのローレンツァという街で、冒険者ギルドの雑用をしているのには――事情がある。


ほんの一週間ほど前。


僕はまだ、元の世界で、大手監査法人の一員として、

クライアント企業の決算書類とにらめっこをしていた……はずだった。


それが次に目を開けたとき、僕は見知らぬ石畳の路地で、空腹と脱水で動けなくなっていた。


そして――。


「大丈夫ですかっ!? あの、聞こえますか?」


涙目で僕を覗き込んでいた、あのときのミーナの声が、今でも耳に残っている。


ロアン・バルガスと名乗るギルドマスターに事情を説明し、「戦えないなら雑用を引き受けろ」という条件付きで、最低限の飯と寝床を与えられた。


――それが、一週間前の話だ。


その日を境に、僕の前の人生という一冊の帳簿は、強制的に締め切られた。

そしてここ、剣と魔法とギルドの世界で、“新しいページ”がめくられたのだ。


* * *


そして今。


ローレンツァ冒険者ギルドの「戦えない雑用係」として、僕は掃除と荷物運びと使い走りに明け暮れている。

ミーナの笑顔を見るのが、この世界で一日の終わりに感じるささやかな救いになっていた。


だからこそ、今朝の「給金支払い延期」の羊皮紙を見たとき、胸の奥がひどくざわついたのだ。


(このまま何もしなければ、ミーナの給料は「少し遅れる」で済まなくなる)


受付カウンターを離れ、ギルドの奥へ続く廊下を歩きながら、僕は無意識にネクタイを握りしめる。


(勢いと度胸と根性、ね。――そこに、少しだけ“数字の読み方”も足してみよう)


廊下の突き当たりには、ギルドマスター室の重い扉。


軽くノックする。


「ロアンさん、アラタです。少し、お時間よろしいでしょうか」


「……あァ? 入れ」


ぶっきらぼうな声に迎えられ、僕は扉を開けた。


* * *


部屋の中は、酒と紙とインクの匂いが混ざっていた。


壁には巨大な獣の頭骨と、大剣。机の上には、書類と木札と酒瓶が無造作に積まれ、隅には口の開いた金庫と、半端に積まれた布袋。


「で? 雑用係の坊主が何の用だ」


ギルドマスター――ロアン・バルガスが、腕を組んだまま鋭い視線を向けてくる。


「いえ、その……ギルドのお金のことで、少しお話を」


「金ぁねぇぞ。あったら給料遅らせてねぇ」


いきなり核心を突かれ、喉が詰まる。それでも、ここで引き下がるわけにはいかなかった。


「もちろん、分かっています。ただ……ミーナさんたちの給料の件が、やっぱり気になってしまって。

 僕、こっちじゃ戦えませんけど、元いた国では“数字を扱う仕事”をしていたんです。もしよければ、ギルドのお金の出入りだけでも、一度整理させていただけませんか」


「整理?」


ロアンはあからさまに眉をひそめる。


「難しい話は嫌いだ。依頼が何件来て、どのくらい素材買い取って、金庫にいくら残ってるか。そんくらい分かってりゃ回る。細けぇ数字は……ミーナたちが、なんとなくやってる」


「“なんとなく”回っているうちはいいんですけど」


思わず本音が出てしまい、慌てて言い直す。


「いえ、その……。僕としては、ロアンさんの仕事を少しでも軽くできればと。金庫のお金とか、木札とか、覚書とか。そういうものを一度まとめて、“今どれくらい危ないのか”だけでも見えるようにしたいんです」


ロアンは、机を指でトントンと叩きながら、面倒くさそうに天井を見上げた。


「そんなもんに時間割くヒマがあったら、依頼を一件でも多く回した方がマシだろ。どうせ、お前に見せたところで、ある金は増えねぇ」


(正論だ……正論なんだけど)


それでも、ミーナの「慣れましたから」という笑顔が頭から離れなかった。


「お金が増えるかどうかは……正直、分かりません。

 でも、“どれくらい危ないのか”だけは、はっきりさせておいた方がいいはずです。

 このまま“なんとなく”見過ごして、気づいたときにはもう手遅れ──なんてことになったら……」


「……」


「雑用係として拾っていただいた身で図々しいのは承知です。でも、それでも見過ごせなくて」


ロアンはしばらく僕をじっと見ていたが、やがて大きくため息をついた。


「……お前な。掃除と荷運びだけやってりゃ楽でいいものを、自分から面倒の種を拾いに来るとはな」


肩をすくめたそのとき――。


コンコン、と勢いよく扉が叩かれた。


「ロアンさん! 失礼します!」


ミーナの、いつもより硬い声。


「今話してる──」


「も、申し訳ありません! 急ぎの文が……ギルド本部から届きました!」


扉が開き、ミーナが息を切らして飛び込んでくる。その手には、赤い蝋で封印された厚手の封筒。剣と天秤と羽根ペンを組み合わせたような紋章が押されていた。


「本部だと?」


ロアンの顔色が変わる。


「間違いないのか」


「はい。伝令の方が、“ギルド本部査察局”からの文だと……」


査察。


この世界の言葉なのに、聞いた瞬間、胃のあたりがきゅっと縮むのを感じた。

どの世界でも、「上から来る連中が帳簿をひっくり返す日」は、ロクなものじゃない。

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2025年12月26日 18:05
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異世界会計士 ~その冒険者ギルド、経営破綻しています!~ 会計士N @cpa_n

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